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(9)“柳沢吉保と讃岐高松藩との名刀をめぐる確執”

 柳沢吉保といえば、元禄時代、五代将軍徳川綱吉の側近として権勢をふるった人物といわれています。この吉保と高松藩二代藩主・松平頼常(よりつね)(水戸光圀の実子)は、名刀“真守”(さねもり)をめぐって暗闘をくりひろげています。

 高松松平家には、“真守”という名刀がありました。この太刀は平安時代中期頃の名工真守の作で、初め源義光が帯刀していたものです。源義光は新羅三郎(しんらさぶろう)といい、前九年・後三年の役で活躍した八幡太郎・源義家の弟です。

 “真守”は、義光の子孫である甲斐武田氏に代々伝えられ、武田信玄も帯刀していました。武田氏が織田信長に滅ぼされた後、“真守”は徳川家康の手に渡り、家康からその末子である水戸藩初代藩主・徳川頼房(よりふさ)へと伝えられました。

 水戸藩では“真守”を家宝としていましたが、二代藩主・徳川光圀のときに、高松松平家へ譲られました。これは、高松藩初代藩主である松平頼重(よりしげ)が光圀の兄に当たり、光圀は水戸藩を本来継ぐのは兄の頼重であるという思いによるものでした。

 吉保は、自分は武田の出であるから一見させてほしいと、頼常にから“真守”を借り受けました。ところが返さず、そのまま自分の持ち物としてしまいました。 頼常は光圀の子らしく、側近政治を好まず、吉保との仲もよくなく、当時高松藩国替えのうわさもあったといいます。このため頼常は幕府の実権を握った吉保に屈し、泣く泣く“真守”を贈りました。

 将軍綱吉の死去によって吉保が権力の座からしりぞけられた後、高松松平家は柳沢家に“真守”の返却を申し入れました。しかし柳沢家がこれを拒んだので、ついに三代水戸藩主・徳川綱条(つなえだ)(頼重の実子)が柳沢家に命じて、高松松平家に返却させました。

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