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(57)“七つも富士のある讃岐平野”

讃岐富士

 全国各地には富士と名のつく山がたくさんあります。それらは、その姿が富士山に似ているとか、その地の代表的な山であることから富士と言われるようになったものです。

 讃岐平野は四国の北東部に位置し、北の瀬戸内海と南の讃岐山脈に挟まれた東西に伸びる細長い平野ですが、この平野にポコンと顔を出したオムスビ山と呼ばれる、ほとんど円錐形に近い形をしたビュートという山々が多く見られます。これらの中でも、特に富士山に似た形をして姿の優れている七つの山が、讃岐七富士と古くから呼ばれています。

 この七山とは、讃岐富士(①)、三木富士(②)、御厩富士(③)、羽床富士(④)、綾上富士(⑤)、高瀬富士(⑥)及び有明富士(⑦)です。なお、讃岐七富士ではありませんが八冨士の一つとして陶冨士(⑧)が数えられることがあります。どの山もお椀をひっくり返したようなおだやかな稜線をえがいているのが特徴です。

 讃岐平野は、今から約1400~1100万年前の火山活動で溶岩に覆われたと考えられています。そのときできた溶岩台地はその後雨水や風で侵食されていきましたが、岩質の違いの重なり方が、オムスビ型の山をつくった主な原因であると考えられています。つまり、山頂部は浸食作用に強い「安山岩」、その下の低山部は浸食作用に弱い「花崗岩」でできていたため、花崗岩の部分が崩れ、侵食されにくい安山岩に覆われた上部だけが小高い丘として残ったと考えられています。その証拠に、これらの山の山頂には安山岩の柱状摂理を見ることができます。これは火山岩が冷却や圧縮を受けてできた柱状の割れ目です。

 その後河川の堆積作用によってできた沖積平野が讃岐平野で、平野が広がるにつれ島であったところが陸続きになり、山となったと考えられています。
 

○訪れてみたいところ
讃岐富士(さぬきふじ)
丸亀市・坂出市の境界にある標高421.9mの飯野山(いいのやま)です。 その名のとおり讃岐平野の真ん中に大きく聳え立ち、秀麗な姿は遠方からも認められ、源平の動乱の頃、崇徳上皇を偲び讃岐を訪れた西行法師が、「讃岐にはこれを冨士といひの山 朝げのけむり姻たたぬ日もなし」と詠っています。また高浜虚子も「稲むしろあり飯の山あり昔今」と詠んでいます。山頂には昭和天皇の歌碑、薬師堂、多くの巨石などがあります。
 昭和天皇の歌碑は、大正12年(1923年)、当時摂政宮であった昭和天皇が歌会始めの勅題「あかつきやま暁山くも雲」で、「暁に 駒をとどめて 見渡せば 讃岐の冨士に 雲ぞかかれる」と詠まれたものです。薬師堂の本尊である薬師如来は弘法大師の創設と伝えられており、堂の前には2基の五重石塔があります。
 山頂の巨石の一個には、伝説の巨人「おじょも」の足跡といわれるものがあります。土の入ったフゴ(藁で作った入れ物)を天秤棒で担いで瀬戸の島々をぴょんぴょんと跳ぶように渡ってきた「おじょも」が、前のフゴを移してできたのが飯野山で、後ろのフゴを移してできたのが青の山といわれています。また飯野山と青の山に足を渡して小便をして出来たのが大束川で、小便が飛び散ってできたのが多くの池だといわれています。
 この山の西麓には、飯野山を神体として、飯依比古(いいよりひこ)を祀るいい飯神社があります。讃岐24延喜式内社の一つです。往古、飯野山の山頂に鎮座し、その後、中腹、山麓へと遷座したといいます。祭神の飯依比古は、『古事記』国生みの条に、「次に伊予之二名島を生みき、この島は身一つにして面四つあり。面毎に名あり。かれ、伊予国を愛比売と謂ひ、讃岐国を飯依比古と謂ひ・・・」とあるとおり、讃岐国の国魂神です。この神社は歴代讃岐国司の尊崇を受け、菅原道真も国司として在任中崇敬し、京へ帰る時に自ら木像を作って奉納したといい、境内の菅原社にはその木像が祀られています。
三木富士(みきふじ)
 三木町にある標高202.7mの白山(しらやま)です。東讃富士とも呼ばれます。特に南北方向からの眺めが秀麗です。南麓の登山口に「白山(はくさん)神社」が鎮座しており、この神社は、平安時代中期の926年に加賀白山妙利権現を祀り開かれたといわれています。
 山麓の畜産試験場の横には小さな祠があり、五輪塔が建っています。この塔は、南北朝時代に南朝方につき白山で旗揚げし、北朝方の細川頼之と戦い戦死した細川清氏(きようじ)のものと伝えられています。細川清氏は将軍義詮の執事を務めたが讒言にあい南朝方についた武将です。毎年8月には供養祭が行なわれているとのことです。
御厩富士(みまやふじ)
 高松市にある標高317mの六ツ目山(むつめやま)です。この山は桃太郎伝説と深くかかわっており、その昔、瀬戸内海を拠点とする鬼(海賊)が下笠居の枯れずの井戸に上陸し、中笠居(香西)から上笠居(鬼無)まで攻めてきたとき、この山が女・子供の隠れ場所であったことから、娘山(むすめやま)と呼ばれていたといわれています。西行法師は「かにもかくひとりふせし伏い猪もあるものを むつめの鹿はなんとならん」と詠んでいます。
 また、近くには万灯山(まんどやま)・伽藍山(がらんやま、216m)・堂山(どうやま、302m)が連なります。万灯山は鬼に殺された人々をたくさんの灯篭の火で偲んだことからその名が付いたといわれています。伽藍山は六ツ目山と共に鬼が襲ってきたとき避難先といわれています。堂山の麓には綱敷天満宮があり、この天満宮は太宰府に流される途中の菅原道真を船の綱を巻いた敷物で迎えた所からこの名前が付いたといわれています。また公園には菅原道真をちなんだ筆塚があります。
 この辺りは、古代は山裾まで海であったといわれており、近くの津内山(58m)を地元では船を繋いだ山田から今でも「つなぎ山」と呼んでいるそうです。
④羽床富士(はゆかふじ)
 丸亀市・綾川町の境界にある標高201.6mの堤山(つつまやま)です。麓には地元の人が「ハミ神社」と呼ぶ荒神様があり、ここでもらった「おむすび」を食べるとハミに噛まれないという「おむすび行事」が伝わっているそうです。
綾上富士(あやかみふじ)
 綾川町にある標高512.0mの高鉢山(たかはちやま)です。讃岐七冨士の中で最も高い山です。この山の中腹には、日本三大風穴の一つといわれる県内唯一の風穴があり、岩間から夏でも寒さを覚える涼風が吹き出ているそうです。
高瀬富士(たかせふじ)
 三豊市にある標高約210mの爺神山(とかみやま)です。爺神山という名は、神代にイザナギの命が降臨されたところで、「トトカミ山」を略して「爺神山」と呼んだそうです。この山は昭和30年代から始まった採石により半分削りとられてしまい、現在は異様な山容となっています。
 戦国時代、この山頂には、詫間弾正の築いた山城がありましたが、江甫草山城と同じように長宗我部氏によって滅ぼされました。長宗我部軍が攻めてきたとき、弾正は降伏せず西麓で激戦中馬の足が瓜のつるにとられて討ち死をし、その日は七夕の日だったので一族はその後この日にはつるに実った物を食べないといいます。
有明富士(ありあけふじ)
 観音寺市にある標高153.1mの江甫草山(江甫山・九十九山、つくもやま)です。南側の有明浜側の斜面が砕石のため削られていますが、北側から見るとまだ形が残っています。
山頂は平で細川家の居城「九十九山城」がありましたが、1579年(天正7年)長宗我部氏によって落城しました。現在は石垣らしき石や井戸の跡が少し残っています。
⑧陶富士(すえふじ)
 綾川町にある標高216mの十瓶山です。この地方は平安時代に陶窯が盛んだったところで、十瓶山から東北東側の火ノ山にかけては奈良・平安時代の昔に「須恵器」という素焼きの土器生産地であり、綾川を利用して奈良、京都方面へ移出していました。陶(すえ)というこの付近の地名は「須恵器」(すえき)から来て、「火ノ山」は窯(かま)の火からきているという説があります。5世紀に朝鮮半島から伝来した須恵器がこの地域の高温に耐えられる良質の粘土や薪(たきぎ)、水運の良さと合い重なって当時の一大須恵器生産地でした。十瓶山を中心に須恵器や瓦の窯跡がたくさん発見されています。これは陶窯跡群、あるいは十瓶山窯跡群と呼ばれ、四国で最も大きな窯跡群として有名です。
十瓶山という名は、昔、この地方に長者が居て黄金を十個の壷にいっぱい詰めてこの山のあちこちに埋めたことによると言われています。

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坂出市富士見町

 明治35年、市の中心部を南北に幹線道路が開通、讃岐富士が一望できたことから名づけられました。

爺神(とがみ)山城跡

 イザナミの尊が母神(はがみ)山から鈴を振り鳴らしてイザナギの尊の住む爺近山に通って来た時に忘れた鈴が土に埋れて鈴石(振れば音のする珍らしい石)になったという伝説があります。
 頂上に詫間弾正の城があったといわれており、井戸の跡ともいわれている「かねほり場」が残っています。
 山麓には家老堤三矢や一子梅丸の墓のほか、詫間弾正を乗せた馬が瓜のつるに足を取られて転倒し敵に打ち取られたという処に弾正を祭った祠があります。今でも命日の旧暦7月6日には詫間一族がここに集まって祭をしているといいます。また詫間一族はこの日はつるになったものは一切口にしないといいます。

九十九(つくも)山城址

 応仁~文明年間(1400年代)、細川氏により築城され、天正5年(1577年)12月、細川伊代守氏政の時、長曽我部元親の大軍により落城せしめられたといいます。 現在、城址には井戸に石蓋がしてあるだけです。
 なお、着藻山とも書きます。。

爺神(とがみ)山の鈴石

 神代に伊弉諾尊が降臨された処で爺神(ととかみ)山と云うのを略してとかみ山といっている。伊弉冉尊の降臨された山を母上山と云うのを今では羽上山(はがみ)と云う。
 この両山に降臨された二神は爺神山南側中腹の高潔な処で会合された。このあたりから出る石を鈴石と云って鶏卵大から大人のこぶし大ぐらいの振れば音の出る珍しい石がある。この石には色々の伝説があり、伊弉再尊が鈴を打ち振りながら伊弉諾尊の許に通ったがその時落した鈴が土中に埋って鈴石になった。又、一説には二柱の神が爺神山の南麗に祭場を作り、天津神、国津神を祭られた時、諸神を慰めるため鈴を鳴らして、千寿の舞を献じたが、その鈴が土中に埋って鈴石になった。(高瀬町史)

UDONのロケ地から見た讃岐冨士

 8月26日に映画UDONが封切りされます。この映画は松井製麺所という“うどん屋”がユースケサンタマリア扮する主人公の実家となっています。
 松井製麺所のロケセットは丸亀市土器町の宮池というため池のほとりに建てられています。
 このロケセットの背景には姿の良い讃岐冨士を見ることができ、宮池の水面には逆さに写った讃岐冨士を見ることができます。 

讃岐冨士のよく見える所

 JR坂出駅のプラットホームから南の方向に、形のいい讃岐冨士を見ることができます。ちなみに、坂出市には、富士見町という名のついた地区があります。    

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