スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

(54)“讃岐に残る桃太郎と姉の物語”

倭迹迹日百襲姫命と井五十狭芹彦

 倭迹迹日百襲姫命(やまと・ととひ・ももそひめのみこと)は第七代考霊天皇の皇女で、神話のなかでは、三輪山の主である大物主命との神婚の話がいわゆる箸(はし)墓伝説として有名です。「日本書紀」の崇神天皇の条には、次のように記されています。
 
 倭迹迹日百襲姫命大物主命の妻となりましたが、夫は夜に通ってくるだけで、その顔を見ることができません。そのことに日々不満を募らせ、ある夜、是非顔が見たいと強引に迫りました。そこで大物主命は、「朝になったら櫛箱に入っているが、姿を見ても決して驚くなよ」と告げました。翌朝、櫛箱を開けた姫が中にいた小さな蛇を見て驚き叫ぶと、蛇はたちまち若者の姿となり、恥をかかされたことを激怒して、大空に飛び上がって三輪山に登ってしまいました。姫はそれを見て自分の行いを後悔し、箸で女陰を突き刺して死んでしまいました。後に姫が葬られた墓は、昼は人間が、夜は神が作ったといい、それを当時の人々は箸墓と呼びました。
 
 現在、倭迹迹日百襲姫命が葬られている墓は大和(奈良県桜井市)の三輪山麓西側にある箸墓古墳で、「大市墓(おおいちのはか)」といいます。日本でもっとも古い巨大古墳(全長約280m)であり、そのことから百襲姫は卑弥呼ではないかという説もあります。百襲姫という名は数々の勲功をあげたこと(襲は勲功の意味)によるもので、実際に「日本書紀」の記述にも、百襲姫はたいへん聡明で英知に長け、霊能力が優れていたと記されています。
 
 また、倭迹迹日百襲媛命には、吉備津彦命(きびつひこのみこと)と稚武彦命(わかたけひこのみこと)という弟(息子という説もあります)がおりました。吉備津彦命は本来の名を五十狭芹彦(いさせりひこ)といい、「日本書紀」に登場する四道将軍(しどうしょうぐん)の一人で、弟である稚武彦命と共に山陽道に沿って周辺域を平定し、さらに吉備国平定後、ここを足場として讃岐国、出雲国にも進出したといわれています。一説にはこの時の逸話が桃太郎伝説のモデルの一つになったと言われており、吉備国(岡山県)と讃岐国(香川県)には桃太郎伝説が伝わっています。ただし、「讃岐桃太郎」の主役は讃岐国平定で先陣を切った稚武彦命であるともいわれています。

 讃岐に残る倭迹迹日百襲姫とその弟桃太郎の伝説は次のようなものです。
 
 百襲姫は8歳のとき、讃岐国に派遣され、船で播磨灘を西へ進み、安堵の浦(今の東かがわ市引田町安戸)に上陸しました。そこから水清きところを求めて移動し、水主の里宮内に着きました。その地で御殿を造営して成人になるまで住み、土地の人に弥生米をあたえ、米作り又水路を開き、雨祈で雨を降らせ、文化を興隆しました。その地が今の水主神社です。この辺りの地名を「大内(おおち)」といいますが、その名は百襲姫の住居を付近の人たちが「大内」と称したことに由来するといわれています。
 
 その後、百襲姫は水主の地から船で西へ移り、現在の高松市仏生山の船岡山に宮を造り、讃岐地方の農業開発を指示しました。そしてさらに、農地開発を住民と共同作業するために、平地のど真ん中の農地のすぐそばに宮を造りました。その地が現在の田村神社です。
 
 その頃、桃太郎は吉備中山で鬼退治をしていましたが、吉備国内がある程度安定したため、讃岐の鬼退治のために姉の百襲姫命に会いにやってきました。鬼というのは、当時(2世紀後半)瀬戸内海の島々を中心にあばれていた海賊のことです。
 
 桃太郎は鬼を討つために衆を集めました。犬は犬島(岡山県の沖にある島)出身の水軍、猿は猿王(綾川町陶)出身の火を操る焼き物師の一族、雉は雉ヶ谷(高松市鬼無町)出身の弓の名手たちであると伝えられています。
 
 当時、生島湾近くには大きな泉があって鬼の子分が島から水を汲みに来ていたそうです。そこで桃太郎らはここで鬼の子分を取り押さえ、鬼ヶ島(女木島)へ行く道案内をさせ、鬼が島周辺で大海戦が行われました。鬼は島の岩窟に逃げ込みましたが、桃太郎は岩窟内に攻め込み鬼を降参させ、鬼の持っていた宝物を積んで中津の港に凱旋しました。しかし、鬼の残党が香西の海賊城に集まり攻めてきたので再び合戦になりました。桃太郎は急遽仲間に使を走らせて弓と矢をもってこさせ、威嚇のため弓の弦を鳴らしました。その辺りが「弦打」と呼ばれるようになりました。本津川一帯で激しい戦いが行われ、鬼はついに討たれ壊滅しました。鬼がいなくなったことから、その地域を「鬼無」と改名したということです。

○訪れてみたいところ
艪掛神社(ろかけ神社)
 東かがわ市大内町丹生にある倭迹迹日百襲姫命を祭神とする神社です。百襲姫命がここの海岸に舟を留めて休息したとき、船人が舟の艪を海岸の松にたて掛けたとの伝承があり、現在もこの辺りの地名は「ろかけ」というそうです。近くに艪掛松という古い松の木があり、そのかたわらに芭蕉の「この松の 実生えせし世や 神の秋」という句の石碑が建っています。
 艪掛神社の鎮座地は、水主神社の旧宮跡だったといい、三代物語には「この神は、海の守護神につき南海の旅行者は必ず拝謁する。よって俗名を首途神(かどでのかみ)という」とあり、昔は舟の艪や矢がこの神社に奉納されていたといいます。
袖神社
 現在の大谷地区にあります。倭迹迹日百襲姫命は、安堵の浦に着いたとき、「姿見の井戸」で身つくろいをし、暑かったので着物の袖を引きちぎったといいます。
水主神社
 東かがわ市大内を流れる与田川の川上にあり、倭迹迹日百襲姫命を祭神としています。この神社はすでに奈良時代から大内一体の崇敬を集め、多くの社人を要していました。
 現在社の上流は大内ダムによって堰き止められてしまっていますが、その昔は豊富に流れる水を供給する水神として、弥生期以降の田事にまつわる神として祭られたものと思われます。水主神社付近からは縄文後期から弥生期、古墳時代まで遺跡が発掘されています。
 この神社にはわかばさんと呼ばれる百襲姫の御陵と伝わる塚があり、本殿真後ろには百襲姫命の父である孝霊天皇を祭った社があります。また西方の本宮山山頂部にくじら岩という巨石があります。
 水主の里には保田池という池があるそうです。百襲姫命がこの池のほとりで足を冷やしていると、大なまずが現れ足に噛みつき、怒った姫が水を蹴ったので堤が切れて岡になったといいます。それ以降この辺りにはなまずがいなくなったそうです。
 なお、源平の争乱のとき、源義経が屋島に向かう途中この神社に立ち寄り戦勝祈願をしたという伝承があります。
船岡山・船山神社
 船岡山は高松市香川町浅野にあり、倭迹迹日百襲姫命が水主神社からこの周辺に移動して来て住んでいた地と伝えられます。船岡山は古く百相(もまい)郷に属し船山と称していました。地名の百相は命の名に由来するといわれています。百襲姫命はこの地で農業振興のために溜池を作ることを思いついたと思われ、手前の船岡池が最初に作られたため池ではないかと言われています。
 高松市仏生山町に鎮座する船山神社は、倭迹迹日百襲姫命を祭神とし、もとは船岡山にありました。この神社のある現在の地は、田村神社の別当寺であった神宮寺(百相廃寺)のあったところです。
田村神社
 讃岐一宮で、倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)(別名 吉備津彦命(きびつひこのみこと))・猿田彦大神・天隠山命(あめのかぐやまのみこと)・天五田根命(あめのいたねのみこと)を祭神とし、これを「田村大神」と総称します。
 倭迹迹日百襲姫命は吉備津彦命と西海鎮定の命を奉じ讃岐路に下り給いよく鎮撫の偉功を立て当国農業殖産の開祖神となられたと、関連伝承は伝えています。
 この神社の始まりは境内にある池といわれています。この池にはかって豊富な湧き水があり、古墳時代後期以来香川郡の平野部の開墾が進むにつれてこの場所に水神が祀られ、709年(和銅2年)に神社が創祀されたといわれています。百襲姫命は農業・水の神と伝えられています。香川県で溜池をはじめて作ったのが百襲姫命ともいわれています。
 讃岐一宮としての田村神社の神威は古来から大きく、室町時代、細川勝元が応仁の乱の7年前にかけた壁書が伝えられています。
 境内西側に倭迹迹日百襲姫命が手を洗ったところと伝えられる花泉があり、境内東側に百襲姫がこの地に来たとき、里人の奉る鳥芋(ごや)を食し熱病にかかり、このとき侍女が袂を浸して水を奉ったと伝えられる袂井(たもとい)があります。境内の東三丁のところには百襲姫命が休んだという休石があります。また田村神社に伝わる故事に基づき、平成18年7月27日に、倭迹迹日百襲姫命と吉備津彦命桃太郎)の像が建立除幕されました。
田村神社_本殿
本津川・芝山
 おばあさんが洗濯をしていたとき桃が流れてきたといわれる川が本津川です。永大橋に桃が流れてきたこの川には洗濯場というところがあり、ます。また、おじいさんが芝を刈っていたところが芝山といわれています。
女木島
 桃太郎はこの島の桃谷に上陸したといいます。この島には、鬼のすみかだったという奥行き450m、広さ約4,000平方メートルにわたる大洞窟(堅牢の穴)があります。また鬼の大将の霊をなだめるために建立されたという住吉神社があります。なお「めぎ島」という名は、源平屋島合戦のとき、めげた弓(壊れた弓)が流れついたことから、そのように呼ばれることになったという言い伝えがあります。
女木島_鬼の大洞窟
男木島
 鬼はこの島の鬼が崎に敗走しジイの穴で再起を図ろうとしましたが、桃太郎は稍東側の王谷に上陸し追撃したといいます。この島にある加茂神社には、本殿の両側に桃太郎が鬼に刀の背打ちをしている彫刻と鬼の大将と猿が岩窟の入り口で力比べをしている彫刻が残っています。なお、「おぎ島」という名は、源平屋島合戦のとき、那須与一が射落とした扇が流れついたことから、そのように呼ばれることになったという言い伝えがあります。また、この島には水戸黄門の家来である助さんこと佐々木助三郎のものといわれる墓があります。
桃太郎神社
 稚武彦命を祭神とする鬼無にある神社で熊野神社が正式な名でしたが、周辺に桃太郎に関する伝承が多いので、桃太郎神社と改名したそうです。桃太郎と犬、猿、キジのものといわれている墓があります。弓塚矢塚という弓矢を作っていた人たちの墓も残っています。
鬼ヶ塚
 桃太郎神社の近くには、桃太郎が退治した鬼の屍を埋めたという鬼ヶ塚があります。


oldtale01.gif 32*32 赤鬼
岩田神社
 飯田郷の郷社で、桃が流れてきたといわれる永代橋の袂にあり、赤ん坊の桃太郎がすくすく育ったことから、安産の岩田帯にまつわり、その名で呼ばれるようになりました。春には「孔雀藤の棚」で知られています。
山崎八幡宮
 堂山の東麓に建立された中間郷の郷社で、鬼が襲ってきたとき、女・子供の避難先になっていたといいます。近くに弓塚と矢塚があります。隣の六ツ目山は娘山とも呼ばれ、伽藍山とともに鬼が襲って来たときの避難所とされていました。万灯山は鬼に殺された多くの人々を多くの灯籠の灯で偲んだところからその名が付いたといわれています。
滝宮天満宮
 讃岐の桃太郎物語は、菅原道真が讃岐国の国司として赴任してきたときに、笠井郷平賀の住民から伝承を聞いたことに始まるといわれています。

スポンサーサイト

テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

コメントの投稿

非公開コメント

おじゃまします。

ブログビギナ-です。
ランキングを参考にお邪魔しました。
香川県とブログにはあまりに素晴らしくて驚きました。ブログ作成頑張ります。
いつかは主人と訪れたいです。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

水主(みずし)神社

 大川郡大内町誉水にあり、主祭神は倭迹々日百襲姫命である。例祭日は10月17日である。県内で最も古い神社の一つである。続日本後記巻五に仁明天皇の承和3年(836年)同神社に従五位が贈られたことが記されており、位を贈られた神社としては県内で国史に初めて出ているという。藤原純友の乱のとき平定祈願の勅使が下されたという。
 平安時代のすぐれた御神像を蔵することで知られ、男神像、女神像、狛犬1対、大般若経600巻,雷文螺鈿鞍が重要文化財に指定されており、他に宝物が多い。

田村神社

 社伝によると、和銅2年(709)に勧請したとあるが、「田村定水(さだみず)大明神」と呼ばれているように、古代から農耕に必要な定水が得られる出水(いずみ)を神としてあがめていたと考えられる。現在田村神社に神宝として保管されている鉄鉾は飛鳥時代以前のもので、神社の創建の古さを示している。
 平安時代中期ごろから大社や由緒ある神社が持別に崇敬された。それが地方の一宮・二宮・三宮・総社とよばれる神社である。一宮はその国で社格や神階が一番高く、由緒も特別で厚く崇敬されている神社が選ばれた。
 田村神社が讃岐の一宮となり、神にも人と同じように官位が授けられた。田村神社は嘉祥2年(849)2月に従五位下、貞観17年(875)5月に従四位上を、その後も昇位して鎌倉時代中期には最高位の正一位となった。
 田村神社に境内を接する大玉院一宮寺は奈良時代の創建といわれ、田村神社の別当寺であったが、延宝7年(1679)二代藩主松平頼常から神仏分離を命ぜられ現在霊場83番の札所となっている。

鬼無の鬼ヶ塚は、鬼軍の亡き骸を埋めたところですが、味方にも大勢の犠牲がでました。そこで、近くに私、イサセリ彦の名をとり、『セリ塚』を造り味方の霊を弔いました。

滝宮の有岡館から坂田の橋詰館に来る途中、射田の高月池に舟を浮かべ弦打山(弦張山)にかかる月を眺めながら、友人の平賀(笠居)や久利(中間)とよく和歌を詠んだり、連歌で遊んだものです。
四国のブログ

FC2Blog Ranking

全記事(数)表示
全タイトルを表示
讃岐
リンク
カウンター
琴平電気鉄道
栗林公園・一宮・金毘羅に便利 !
映画DVDファッション雑誌無料ブログパーツ
カテゴリー
歴史・旅行リンク
にほんブログ村 旅行ブログへ にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村 トラコミュ 讃岐の伝説へ
讃岐の伝説
にほんブログ村 トラコミュ 高松松平藩へ
高松松平藩
にほんブログ村 トラコミュ 日本の文化へ
日本の文化
最近の記事
天気予報
高松の天気予報
-天気- -FC2-
最近のコメント
時計
出来屋の電光掲示板
QRコード
QRコード
国盗りカウンター
プロフィール

讃岐の出来屋

Author:讃岐の出来屋
おいでま~せ、出来屋のページヘ""

カレンダー(月別)
08 ≪│2017/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。