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(52)“最初は88ヶ所以上あった四国霊場”

大窪寺
 
 四国霊場八十八ヶ所巡りは、お寺を一つ一つ詣ることで、巡礼者は自分の迷いを解き、身も心も清らかにして八十八の煩悩を取り除き、悟りを開いていくことができるといわれており、四国が誇る偉大な文化です。わが国では、昔から島めぐり・国めぐりという習俗があって、各地で巡礼が行われていました。とくに四国は、弘法大師空海が青年時代に山や海辺に修行を求め霊場を開いた遺蹟が多く、その伝説とあいまって、平安末期頃から真言宗の僧侶たちによって空海修行の足跡を聖地として巡礼する遍路が生まれました。平安時代末期に編まれた歌謡集「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」にも修行僧たちが四国の辺地を巡り歩いていたさまが記されています。鎌倉時代になると弘法大師信仰が急速に広まり、その徳を慕い、修行地を巡る僧が多くなっていきました。

 弘法大師信仰の普及に大きな役割を果たしたものの一つが、高野(こうや)聖(ひじり)の活動です。彼らは空海が開いた高野山を拠点に全国を廻り、庶民に“お大師さん”信仰を広めて回りました。高野聖は、高野山における僧侶の中でも最下層に位置付けられた者で、自分の寺や弟子を持たず、托鉢や行商などで生活をしていたといわれています。四国は、空海が誕生し修行を行った地で大師信仰を受け入れる要素が強く、また高野山から適度の距離にあり、さらに比較的気候温暖で人情も厚いことから、彼らが”生活の場”として生きていける素地があったと思われます。

 戦乱の世も終わり、江戸時代になると庶民の間にも霊場巡りが広まっていきました。しかし、江戸時代の初めごろまではどこから回るか決まっておらず、札所数も90カ所、あるいは100カ所以上もあったといいます。それを現在のように八十八カ所の形を整えたのは、17世紀後半の江戸時代に活躍した真念という僧の献身的な働きがあったからだといわれています。

 真念は大坂西浜町寺島に住む高野聖だったらしく、土佐の出身らしいというだけで生まれた年は不詳です。自ら四国を20回以上回り、遍路そのものを人生とし、その生涯のほとんどを山野での修行に費やしたようです。その間、遍路道に200基以上もの道標石を立て、また遍路宿を開いています。これらは現在のように車もなく道も整っていない時代、お遍路さんの大きな助けとなりました。

 その最も大きな業績は、「四国(しこく)遍路(へんろ)道(みち)指南(しるべ)」(1687年)、「四国(しこく)遍路(へんろ)霊場記(れいじょうき)」(1689年)、「四国(しこく)遍路(へんろ)功徳記(くどくき)」(1690年)という3部作を著し、初めてにして完璧なまでのガイドブックを作ったことです。自らの足で巡る中で、札所数や順番さえ定まっていなかったものを八十八カ所に整理し、順番を決めていきました。四国遍路道は阿波鳴門の霊山寺が一番札所で、そこから右回りに四国を一周し、88番目の結願寺が讃岐の大窪寺となっていますが、これは、上方から船で四国へ行くとすれば阿波の鳴門が最も近い所になるという交通の便のうえから決められたものと思われます。

 札所までの道順や寺の説明など、当時としては決定版といえるこれらの本は爆発的な売れゆきをみせ、四国遍路を一般大衆にまで広めるとともに、版を重ねて明治時代にまで続く超ロングセラーになりました。真念の書を越えるものが現れなかったのは、真念以上に四国遍路に情熱を注いだ者がいなかったからでしょう。そういう意味で、真念は四国遍路の父ともいえる人物です。本が売れて有名になっても、真念の生き方は変わらず、本の売上金はお寺の修繕などに充てたそうです。1693年(元禄6年)6月23日、志度寺近くの地で亡くなりました。四国遍路に一生をささげた人生でした。 




 

○訪れてみたいところ
高松市勅使町にある道標石
 
真念が建てたといわれる道標石は現在でも何本かが残っていて、高松市勅使町の旧道にもひっそりと立っています。この道標石には真念の名が刻まれています。
志度寺
 
ここには、「南無(なむ)大師(だいし)返照(へんじょう)金剛(こんごう) 右遍(へん)ん路(ろ)みち 左つたみち 為(ふぼ)父母(ろくしんの)六親(ため)」と刻んだ、願主真念の小さな道標石があります。
 州崎寺
 
真念の墓は、以前は牟礼町南三昧にありましたが、昭和55(1980)年に洲崎寺に移設され、境内南西の隅で静かに眠っています。
真念の墓


大窪寺
 
矢筈山(789m)系の谷間標高450mのところにあります。相(あい)草(くさ)峠から大窪寺までの遍路道には60基の地蔵尊を刻んだ丁石が並んでおり、路傍には遍路の墓が立っています。また現在の寺北1㎞の山中、古大窪という所に行基菩薩が布施屋を建てたのが始まりで、その後空海が復興して密教修行の道場としました。 結願を果たした遍路たちは本堂隣に金剛杖と遍路笠を納め、これらは旧3月21日と8月20日の大護摩会(おおごまえ)陽(よう)で「おたきあげ」をします。

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