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(47)“崇徳上皇を偲び来讃した西行法師”

 西行は平安時代末期の院政期から鎌倉時代初期にかけての放浪歌人です。2100首余りの歌を残し、鎌倉時代の初期に後鳥羽上皇の命令で藤原定家らにより編集された「新古今和歌集」には彼の歌が94首も入っており、その入撰数は第一位です。
 
 俗名を佐藤義清(さとうのりきよ)といい、1118年(元永元年)の生まれです。もともと佐藤家は俵藤太藤原秀郷を祖とする名門の出で、鳥羽院の北面の武士として出仕し、左兵衛尉(さひょうえのじょう)にまでなっています。23歳のとき妻子があるにもかかわらず突如出家して円位を名のり、後西行とも称しました。出家の動機は「無常を感じて」という説が一般的ですが、一説には白河院の愛妾にして鳥羽院の中宮であった待賢門院璋子への恋着のゆえであったとも言われています。出家の際に衣の裾に取りついて泣く子を縁から蹴落として家を捨てたという逸話が残っています。出家直後は鞍馬などの京都北麓に隠棲し、1145年(久安元年) 頃から高野山に生活の本拠を移し、旅と歌作りに励みました。
 
 西行崇徳上皇が京に居た頃から和歌を通じた交流を持っており、上皇が讃岐に流された後も歌のやりとりをしていたといわれています。なお、崇徳とは没10年後の治承の頃の追号で、当時は「新院」「讃岐院」と呼ばれていました。上皇崩御3年後の1167年(仁安2年)、西行は上皇を偲び、備前児島から讃岐に渡って来ました。源平屋島合戦の18年前、西行の50歳の時です。
 
 西行は坂出の松山ノ津または王越の乃生、あるいは三野津に着いたともいわれていますが、「讃岐に詣でて、松山の津と申す所に、院おはしましけむ御跡尋ねけれど、形も無かりければ」と詞書きして、次の歌を詠んでいます。
 「松山の 浪に流れて こし舟の やがて空しく なりにけるかな」
その後、「白峯と申しける所に、御墓の侍りけるに詣りて」次の鎮魂歌を詠んでいます。「よしや君 昔の玉の床とても かからん後は 何にかはせん」
 
 この時の物語は、その後、室町時代に謡曲松山天狗」としてうたわれ、この中で日本八大天狗の一つといわれる相模坊天狗が上皇の守護者として描かれています。また江戸時代に、国学者であり歌人の上田秋成により怪奇小説「雨月物語」中の一篇「白峰」として仕立てられています。この中で上皇の霊は、青白い陰火の中で、長い髪をふり乱し、やせ衰えた恐ろしげな形相で、手足の爪は獣のように長くのびた姿として描かれており、数々の恨みを訴える上皇の霊と鎮める西行の対話が物語として書かれています。
 
 この後白峯を下りた西行は、弘法大師の跡を慕って善通寺で庵を結び、数年間住んだといいます。この間、讃岐の各地を巡り、「山家集」には、松山・白峯・善通寺・曼陀羅寺・塩飽・三野津などで詠まれた20首ほどの歌が収められています。

 その後西行は讃岐から高野山に戻りますが、60余歳の頃源平の戦乱を避けて伊勢へ移り、69歳のときに東大寺再建の勧進を奥州藤原氏に行うために再び陸奥に下っています。この途次に鎌倉で源頼朝に面会しており、頼朝に弓馬の道のことを尋ねられて一切忘れ果てたととぼけたという話や、拝領の純銀の猫を通りすがりの子供に与えたという逸話があります。

 「願わくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」の歌のとおりに、1190年(建久元年)陰暦2月16日、釈尊涅槃の日に河内弘川寺(大阪府河南町)で73歳の生涯を終えました。西行は藤原俊成とともに新古今の新風形成に大きな影響を与えた歌人と言われており、宗祇・芭蕉にいたるまで後世に大きな影響を与えています。


●訪れてみたいところ

○坂出市王越・青海地区の史跡
 一説によると、西行は日比渋川の浜から坂出王越の乃生の港に着き、鎌刃(かまのは)越えで白峯御陵北側の青海地区に入り、稚児ヶ岳を目指したといいます。坂出市王越出張所のすぐ上に西行庵があり、また、青海地区にある向井の荒神社には西行が腰掛けたという西行の岌掛石(おいかけいし) があるそうです。

白峯寺・頓証寺
 白峯寺は、四国高松市西部から坂出東部にかけて広がる溶岩台地が風化で五つの山白峰、黄峰、紅峰、青峰、黒峰 を形成した五色台の白峰山頂上近くに、弘仁6年815に空海によって創建され、四国霊場81番札所に当たります。現在の建物は慶長4年1599に再建されました。白峯寺の境内には、崇徳上皇の府中鼓岡(つづみおか)の配所丸木の宮殿を移し、仏堂とし、菩提を弔った「頓証寺(殿を付けることも)」があります。この寺は、崇徳上皇を配流させた張本人でその怨念に脅えた後白河法皇が、建久2年(1191年)に自分の病治癒のため上皇鎮魂のために建立したものです。頓証寺という名は、速やかに迷いを断ち、悟りを開く供養を行うことから、付けられたといいます。ここには、中央に上皇尊霊、左に天狗様の白峰大権現、右に御念持仏十一面観世音菩薩を祀っており、また西行の像があります。「白峯陵」は頓証寺の奥にあります。

○相模坊社 
 坂出市大屋富町にある相模天狗を祀る社です。木像の鴉(からす)天狗一体があり、昔から毎年二、四月に地元では「鼻の市」と呼ぶ例祭が催され、木像がご開帳されるなどして、大勢の参拝者でにぎわってきました。
 天狗の相模坊は、もともと日本八大天狗の一に数えられた相模の国大山の天狗でしたが、上皇の配流を知り、その霊を慰め、鎮守するために、讃岐の地へ飛び、“白峰相模坊”となったと伝えられています。謡曲松山天狗」をはじめ、「保元物語」、「源平盛衰記」、「太平記」、「雨月物語」「花月」などにもしばしば登場しています。日本八大天狗とは、愛宕山太郎坊、比良山次郎坊、飯綱三郎、鞍馬山僧正坊、大山伯坊、彦山豊前坊、大峰山前鬼坊、白峰相模坊です。
 なお、「松山天狗」のあらすじは次のようなものです。
 西行は山中で行き会った老人に案内され、ようやく崇徳院の陵にたどり着くが、崩御後わずか数年にもかかわらず、あまりに荒廃していて、詣で仕える人もいなければ、散華焼香の跡もまったく見えない。西行が涙ながらに「よしや君むかしの玉の床とても かからん後は何にかはせん」と鎮魂の歌を詠むと、どこからともなく院の霊が姿をあらわし、西行との再会を喜び、衣の袂をひるがえしながら夜遊の舞楽を舞う。こうして楽しいひとときが過ぎるが、院の霊はふと生前の恨みの数々を思い出し、次第に逆鱗の姿へと変わって恐ろしい怨霊の姿となった。やがて吹きすさぶ嵐に呼応するように雷鳴がとどろき、あちこちの雲間や峰間から、天狗が羽を並べて翔け降りてくる。そして、「そもそもこの白峯に住んで年を経る相模坊とはわが事なり。さても新院は思わずもこの松山に崩御せらる。常々参内申しつつ御心を慰め申さんと小天狗を引き連れてこの松山に随ひ奉り、逆臣の輩を悉くとりひしぎ蹴殺し仇敵を討ち平げ叡慮を慰め奉らん。」と、ひたすら院を慰める。院はこの相模坊の言葉にいたく喜び、上機嫌で怨霊の姿を消していく。そして天狗も頭を地につけて院を拝し、やがて小天狗たちを引き連れて、白峯の峰々へと姿を消していく……。

○善通寺
 現在、善通寺の一隅にある玉泉院の場所に西行は滞在したと伝えられています。同院は別名、西行庵と呼ばれています。ここでは次の歌を詠っており、歌に詠まれた松は「西行が松」と呼ばれたといいます。
 「久に経て 我が後の世を 問へよ松 跡しのぶべき 人も無き身ぞ」
 「ここをまた 我住みうくて 浮かれなば 松はひとりに ならむとすらむ」

曼陀羅寺
 
水茎の岡
 
旧吉津小学校校庭西行上人歌碑

○法師越峠の西行石仏
 西行は大高見峰の山崩れを見に行き金剛院や金山神社に詣で綾上まで歩いたという伝承があり、旧満濃町と旧綾上町の境には法師越峠の地名が残っているそうです。法師越えの頂上のところに西行法師の石仏があります。これにまつわる伝承としては、萩原で野ぐそをしたら萩の枝がはねたので「西行も難行苦行したけれど 萩のはねくそ今がはじめて」という歌があるそうです。

○西行の石仏(綾上町)
 綾上町に入った安帽子橋の傍らに地蔵さん、阿弥陀さんと並んで西行法師の石仏があります。江戸時代の文政年間(1818~30年)石工天王寺屋の作と伝えられています。ここで法師が一服したといい、安帽子は「休法師」がなまったものだと言われています。
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滝宮の昼寝岩

 滝宮の堂床地区には、「西行法師の昼寝岩」というのがり、「自ら岩にせかれて諸人に もの思はする綾川の水」と詠んだ歌碑まで添えられていたそうです。
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