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(43)“善通寺の師団長を務めた乃木希典”

 東京に乃木坂というところがありますが、これは近くに乃木神社があることからそう呼ばれるようになったものです。乃木神社は、明治時代に活躍した軍人の乃木希典将軍を祀った神社で、東京以外では、京都市・下関市・函館市・室蘭市・栃木県那須郡・滋賀県蒲生郡にもあり、それと弘法大師空海の生誕地で知られる本県の善通寺市にもあります。

 乃木希典は、幕末の嘉永2年(1849年)11月に禄高80石馬廻格の長府藩士の子として生まれました。のち松陰の叔父にあたる萩藩の玉木文之進の指導を受け、つづいて萩藩校の明倫館で学んでいます。明治2年には彼は伏見親兵兵営に入り、ここでフランス式の軍事訓練を受け、職業軍人として歩み始めます。明治10年、29歳のときには第14連隊長心得として西南の役に出陣しますが、熊本城攻撃の最中に連隊旗を失うという失態をしています。明治27年に日清戦争がはじまると第1旅団長として参戦しています。

 日清戦争後、陸軍が従来の7個師団から13個師団に増師されるのに伴って、明治31年12月、四国四県を一管区とした師団が善通寺に置かれることになりました。第11師団は、丸亀歩兵第12連隊・徳島歩兵第43連隊・高知歩兵第44連隊以下、野砲・輜重(しちょう)・工兵・騎兵隊などで編成されていました。これに伴い、乃木中将が初代師団長として赴任してきました。ときに50歳でした。乃木中将は、明治31年(1898年)10月3日から34年(1901年)5月まで善通寺第十一師団長を務め、金蔵寺の客殿を宿泊所としていました。善通寺へは単身赴任でした。

 明治37年(1904年)2月に日露戦争が勃発すると、四国の第11師団にも動員令が下り、多度津港から出征しました。第11師団は第3軍に編成され、旅順攻撃軍に加わりました。司令官はかつての第11師団の師団長であった乃木大将でした。しかしロシア軍のコンクリートと機関銃で固めた要塞は容易に陥落せず、日本軍は3度にわたる総攻撃で多大の死傷者を出しながらも前進することができませんでした。司令官が児玉源太郎に交代し、攻撃目標を203高地に切り替え、ようやくこれを占領して旅順を陥落させることができました。その後、奉天の会戦、日本海海戦で日本軍は勝利し、明治38年9月5日にポーツマス講話条約が成り、第11師団は、11月14日から翌年2月18日までに帰国の途につき、多度津港に上陸凱旋してきました。県の発表によれば、県下の戦死者数は、戦死者1481名、病死368名でした。

 明治44年9月13日(1912年)、明治天皇が崩御しました。このとき乃木将軍は「うつし世を神去りましし大君の御あと慕いて我は逝くなり」の辞世の句を残して自決し、静子夫人もまた夫のあとを追って自害しました。ときに64歳です、終生敬愛した明治天皇の死に殉じたものでした。乃木夫妻のこの事件は日本中に衝撃を与え、新聞各紙は乃木大将夫妻の死を悼み、また賛美し、世間も大いに感動したといいます。夏目漱石はその著「こころ」の中で主人公をして「死のう死のうと思って生きていた年が苦しいか、又、刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいかと私は考えました」と書き継いでいます。殉死により、乃木将軍は“乃木さん”として人々の崇拝の対象となり、京都の桃山御陵(明治天皇の墓)の近くに乃木神社が初めて建立され、その後、ゆかりのある全国の各地でも建てられていきました。

○訪れてみたいところ
乃木神社
 乃木将軍を顕彰する目的で、昭和12年に歩兵第43連隊跡地に建設されました。鳥居の奥に手水舎・社務所・拝殿・本殿が並んでいます。
金蔵寺
 宝亀5年(774年)に創建された善通寺金蔵寺町にある寺で、四国霊場第76番札所です。弘法大師の甥である円珍・智証大師は、弘仁5年(814)3月25日、この寺で生まれました。円珍はのち天台宗比叡山延暦寺五代座主となった人で、平安時代に多大な功蹟を残しています。この寺は創建当時、道善寺と呼ばれていましたが、延長6年(928年)醍醐天皇が金倉の郷の名をとり、金倉寺と改称されたと伝えられています。その頃の寺は、南北8キロ、東西4キロの広大な領域と123院を有していたといいますが、建武(1334~36)の争乱、天文(1532~55)の兵火で次第に縮小していきました。江戸時代の寛永の末期に高松藩初代藩主・松平頼重公により再建されました。
乃木将軍遺品展示室
 金蔵寺の客殿内にある遺品展示室には、愛用品、静子夫人の手紙や将軍の直筆、辞世の句が保存されています。閲覧は非公開ですが、9月第1土・日曜に行われる乃木祭で一般公開されています。
乃木将軍銅像
 金蔵寺の大師堂の近くには乃木将軍の銅像があります。
妻返しの松
 赴任した年の大晦日に静子夫人が東京から金蔵寺まで面会に来ましたが、乃木将軍は公務と言う理由で会わずに追い返しました。途方にくれた夫人がしばらくの間、境内の松の木の下で佇んでいたと云われています。乃木将軍は肉親や妻子と分かれて兵役についている部下を思って自分だけ妻に会うということを控え、静子夫人もまた軍人の妻である自分を思い直して帰っていったということです。この松が納経所の近くにある「妻返しの松」です。現在の松は2代目と云われています。
桃陵公園 一太郎やーいの像
 多度津山の桃陵公園には、港を見下ろす高台に一太郎やーいの像が建っています。三豊郡豊田村(現在の観音寺市)の岡田梶太郎(通称一太郎)は多度津港から輸送船で日露戦争に出征することになりました。その母カメは、息子を見送りに腰弁当と草鞋履きで多度津までやってきました。しかし一太郎の好きな氷砂糖を買いにいったため船はすでに岸壁を離れていました。そこでカメは大声で、「一太郎やーい、天子様に御奉公するんだぞー。わかったかー。聞こえたら鉄砲を挙げろ。」と叫び、一太郎はそれにこたえて銃を高くあげました。この話が軍国美話として国定教科書に掲載され、全国的に有名になりました。なお金蔵寺の境内には、「妻返しの松」の向かいに「一太郎松」と言う松があります。
多度津町東白方の「日露戦役忠魂碑
 多度津町の東白方には、乃木将軍の揮毫による日露戦役忠魂碑があります。この碑の真筆は東白方の三宝丸村井家に残されているといいます。
陸上自衛隊善通寺駐屯地
 現在の陸上自衛隊善通寺駐屯地の敷地内には、明治時代に建てられた旧陸軍第11師団関係の施設が多く残っています。現在も陸上自衛隊の現役施設として用いられているため一般公開はされていませんが、敷地の外からも赤煉瓦造りの建物外観などを見ることができ、明治時代の景観を偲ぶことができます。
四国学院大学
 旧陸軍第11師団騎兵第11連隊の敷地の大半は現在四国学院大学の構内となっています。大学の2号館は、明治30年竣工の木造2階建で、戦前は旧第11連隊の第2号兵舎として用いられていました。戦後四国学院大学の所有となり、校舎として使用されています。国登録有形文化財。
善通寺偕行社(かいこうしゃ)
 明治36年に竣工した陸軍将校の社交施設で、簡素なルネサンス様式です。大正11年の陸軍特別大演習では摂政宮(後の昭和天皇)の宿泊所とされました。戦後は、善通寺に進駐してきた豪州兵の社交場として使用され、その後、善通寺区検察局・香川県食料事務所仲多度支所・自衛隊クラブ・善通寺市役所・善通寺公民館として使用され、昭和55年から平成16年まで善通寺郷土館として使用されてきました。国重文に指定されています。
丸亀陸軍墓地
 丸亀市街東部にあり、日清戦争からの戦没者が葬られています。日露戦争の時のロシア人捕虜(キリールツーフニコフ)の墓碑があります。この他、陸上自衛隊善通寺駐屯地の南東側の鶴ヶ峰東斜面に善通寺陸軍墓地が、聖通寺山東山麓に坂出軍人墓地があります。
細川将軍戦跡碑
 南北朝時代に白峯合戦があったところ。乃木将軍の先祖である野木備前次郎がこの地で討ち死にしたといわれ、赴任中に夫人と共に参っています。
旅順模擬要塞跡
 1904年に始まった日露戦争で、善通寺の第11師団は、乃木希典大将を司令官とする第三軍の一翼として旅順を攻略しました。その正面に立ちはだかったのは堅固無比、難攻不落といわれたロシアの近代要塞でした。第11師団は、4,072名の戦死者、10,259名の戦傷者という多大の犠牲を払いながらも155日間に及ぶ攻略戦のすえ遂にこの要塞を陥落させました。
 高松市の実業家、牛窪求馬(うしくぼもとめ)は日露戦争を忘れないため、明治43年(1910年)、西方寺の上の山頂に、ロシア軍旅順要塞の東鶏冠山(ひがしけいかんざん)砲台の模造を造りました。模造砲台は広さ約1,000坪で、幅10m、長さ50mの三辺の堀がめぐらされました。
旅順模擬要塞説明板

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11師団のことが

11師団のことがよく分かりました。もうすぐ定年の団塊世代です。父の所属していた騎兵11連隊。そこが、四国学院大学敷地とは。まだ、健在ですので出来るだけ早くつれて行ってあげたく思いました。私は、現在の師団が、騎兵もそこであったのか、と錯覚しておりました。昔、体験入隊で2,3日泊まったことがあります。昭和48年でした。
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