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(41)“和三盆のふるさと讃岐”

 “讃岐三白”といわれるように、江戸時代中期以降、讃岐を代表する特産物は塩・綿・砂糖でした。このうち砂糖は、寛政2年(1790年)の向山周慶(さきやましゅうけい)の成功に始まり、高松藩の積極的な保護政策を受けて盛んとなったものです。

 江戸時代の初め頃までは、わが国のサトウキビの栽培地は南西諸島に限られており、作られる砂糖も黒砂糖が一般的でした。高級な和菓子や料理に使われる白砂糖は、中国やオランダから輸入された高価なものでした。やがて徳川吉宗の享保の改革において砂糖の国産化が奨励され、高松藩では、五代藩主松平頼恭(よりたか)が甘蔗(さとうきび)の栽培を平賀源内に試作させたのが始まりで、その後を藩医の池田玄丈が引き継ぎました。しかし玄丈も研究なかばで故人となります。

 玄丈の遺志はその門人の向山周慶(さきやましゅうけい)に引き継がれます。彼は延享3年(1746年)東かがわ市白鳥町湊の生まれで、医術を学んでいましたが、白砂糖の製法の研究に没頭します。あるとき周慶は、たまたま病にかかり苦しんでいた四国遍路の人を救います。その人は、関良助(せきりょうすけ)という薩摩の人でした。良助はいったん薩摩に帰りますが、深くその恩を感じて報いるため、数年後国禁を犯して薩摩から甘蔗(さとうきび)の茎を弁当箱に詰めて持ち来り、その製法をも伝えたと云われています。また、周慶が京都へ遊学していたとき、薩摩藩の医学生某と交わり、1788年(天明8年)京都の大火の時この医学生某が災害に遭ったところを周慶が助けたことにより製糖法が伝授されたとも云われています。

 サトウキビから砂糖を製造するには、まず搾り液をアクをすくいながら釜煮し、水分を蒸発させて、白下糖(しろしたとう)という糖蜜を含んだ黄褐色半固体状の原料糖をつくります。これを精製して白砂糖にするには、その表面をおおっている褐色・タール状の糖蜜を除去することが必要ですが、讃岐では、19世紀初期に独自の精製法を完成させています。それは、白下糖を盆の上で適量の水を加えて練り上げて、砂糖の粒子を細かくする「研ぎ」という作業を行った後、研いだ砂糖を綿布製の袋に詰め「押し舟」という箱の中に入れて重石をかけ圧搾し、黒い糖蜜を抜いていくという技法です。この作業を数度繰り返していくと、糖の色が最初は茶褐色であったものが、“三盆白(さんぼんじろ)”といわれるようになり、手触りもさらさらになっていきます。これらの工程の中でも一番大変なのが「研ぎ」という「蜜を抜く」と同時に「砂糖を、より白くする」ための作業で、全くの手作業で行なわれ、相当な熟練の技が要求されます。

  “和三盆”(わさんぼん)とは、主に香川県や徳島県などの四国東部で伝統的に生産されている上質の国産白砂糖のことです。粉砂糖に近いきめ細やかさを持ち、微量の糖蜜が残っていることから色がかかった白さとなります。舐めると、甘いながらも「すーっとする」淡泊な味です。和菓子に多用されますが、その中でも、特に「落雁(らくがん)」にはよく使われています。和三盆の原料となるサトウキビには「竹糖(ちくとう)」という品種が用いられ、その製造工程も非常に手間がかかるものです。「和三盆」という名は、「盆の上で三回研ぐ」ことからついた名前といわれていますが、現在では、昔より白い砂糖が好まれているため、4回~5回は研ぐそうです。和三盆は精糖の作業が複雑な上、寒冷時にしか作ることが出来ず、白下糖から和三盆を作ると全量の4割程度に目減りし、途中で原料の追加もできないため、砂糖としては最も高価なものとされています。東かがわ市の相生の辺りは土質が良いためか天下無比の三盆糖ができ、讃岐砂糖の完成を見るに至りました。

 讃岐の甘蔗作付面積は、寛政2年(1790年)にはわずか1町でしたが、その75年後の慶応元年(1865年)には約3,800町と飛躍的に増大し、1830年代の初め頃、全国中央市場の大坂に集まる白砂糖の60パーセントほどを讃岐産が占めていました。高松の東浜港(現在の城東町)より大阪に向けて出荷され、その当時の"砂糖相場"は高松藩が決めていたといいます。また文化の初め頃、江戸で讃岐の砂糖は、「雪白の如く、舶来品にいささかおとらず」と評判であったともいいます。

 これにより高松藩松平家十二万石は大いに富み、また、正月の雑煮にあん入りの餅を入れる風習ができたといいます。せめてめでたい正月のときには貴重品である砂糖を庶民も口にしてもいいだろうということです。「あん餅雑煮」は高松藩、そして讃岐人の"富"の象徴であったということができるでしょう。

 讃岐の糖業は幕末の慶応年間に最盛期を迎え、明治13年でもその甘蔗生産量は、全国の58パーセントを占め第1位でした。しかし、日清戦争で台湾が日本の領土となり、明治30年代頃から台湾産の砂糖が輸入され始めると、讃岐の砂糖産業の隆盛は急速に終わりを告げ、讃岐平野からも甘蔗の姿が消えていきました。和三盆の生産量も減り、現在の香川県の東かがわ市と徳島県の一部の地域のみで生産されるだけになりましたが、その風味は和菓子の製造に欠かせないため、現在も高級食材として製造されています。

○訪れてみたいところ・食してみたいもの
向山周慶旧宅
 白鳥町湊にあります。
向良神社(こうらじんじゃ)
 向山周慶と関良助の働きに、時の藩主は非常に感激し、向山の一字と良助の一字をとり一字を建立して「向良神社」を祀りました。今なお高松市松島町と向山周慶出世の白鳥町に残っています。地元の人から「砂糖神さん」と呼ばれています。
向山周慶砂糖開基の碑
 向山周慶の功績を讃えて建てられて碑が白鳥町湊にあります。
四国村
 屋島北麓の四国村(四国民家博物館)内に、讃岐を中心とした地域のサトウキビ栽培、白下糖(しろしたとう)製造、和三盆糖製造の各工程に応じた砂糖製造用具が収集保存され、また「砂糖しめ小屋」が移築保存されています。
四国村砂糖しめ小屋

三谷製糖羽根さぬき本舗
 東かがわ市馬宿の三谷製糖は200年の伝統を持ち、和三盆作りの製法器具は国の重要文化財に指定されています。
ばいこう堂
 東かがわ市吉田にあり、さぬき和三宝糖という製品名を用いています。製造工程を見学することができます。
讃州井筒屋敷
 江戸時代から栄えた豪商屋敷で、和三盆の型抜き体験をすることができます。
あん餅雑煮
 讃岐独特の雑煮で、砂糖あん入りの丸餅と甘味の強い白味噌で仕立て、具には輪切り大根や人参などのほかに、仕上げに青海苔や花鰹をのせます。
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