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(33)“東照宮も左甚五郎の墓もある高松”

 東照宮と言えば日光や静岡を思い浮かべる人が多いと思います。しかし讃岐にも東照宮があります。高松市屋島東町の屋島山麓にある“讃岐東照宮屋島神社”です。

 東照宮(とうしょうぐう)とは、江戸幕府の開祖である徳川家康を神格化した東照大権現を祀る神社のことで、江戸時代には日光、久能山をはじめとして500社を超える東照宮が造られました。明治に入って廃社や合祀が相次ぎ、現存するのは約130社といわれています。
 このうち、家康公の遺言により勧請されたものは日光東照宮(栃木県)と久能山東照宮(静岡県)の2社、家康公ゆかりの地で将軍家により勧請されたものは世良田東照宮(群馬県)の1社、御三家により勧請されたものは水戸東照宮(茨城県)、名古屋東照宮(愛知県)、和歌山東照宮(和歌山県)の3社、親藩により勧請されたものは前橋東照宮(群馬県)、忍東照宮(埼玉県)、佐佳枝廼社(福井県)、松江神社(島根県)、屋島神社(香川県)の5社です。

 屋島神社は、慶安5年(1652年)、徳川家康の孫で水戸光圀の兄に当たる高松初代藩主松平頼重が香川郡宮脇村(旧地名)の本門寿院境内に社殿を建立して東照宮の神霊を奉斎したのが始まりです。以来山王社として歴代藩主により崇敬されてきましたが、八代高松藩主松平頼儀(よりのり)が、風光明媚な屋島烏帽子ケ岳山麓の地に社殿の造営を行い、文化12年(1815年)に移転させて屋島東照宮と称しました。その造営費は当時の金額で約十四万余金と言われています。
 その後明治4年には冠獄神社と改称され、さらに明治7年屋島神社と改称されました。昭和48年2月12日思わぬ不慮の災害に会い本殿、拝殿等を全焼しましたが、唐門は焼失を免れ、翌年11月に権現造り社殿が再建されて現在に至っています。
 屋島神社の彫刻などは、唐門が3分の2を占めており、江戸時代の粋を極めた美術工芸品は見事なものです。左甚五郎の六世、五代目の左利平忠能が父の名跡を継いで高松藩松平家の客分棟梁となり、藩命を受けて完成させたものです。中でも正面上部にある鳳凰の鳥、御門の両側の柱にある上り龍、下り龍などは格別のできばえです。

 左甚五郎(ひだり・じんごろう)は、桃山時代後期から江戸初期にかけて活躍したといわれる宮大工、彫物師で、伝説の名匠です。その代表作は日光東照宮の「眠り猫」の彫刻です。奥社の手前にある坂下の回廊頭上のところで上を見上げると「眠り猫」の彫刻を見ることができます。日光東照宮の数ある彫刻の中でも有名な彫刻です。この他にも京都・知恩院の七不思議の一つ「忘れ傘」を初めとし、その作品といわれるものは全国各地に残されていま
す。
 甚五郎は、文禄3年(1594年)、明石(兵庫)に生まれ、母方の郷里の飛騨で修業を積み、さらに京の伏見で修行した後、江戸へ出て、宮大工・宮彫として活躍し、日光東照宮や上野寛永寺にその腕を振るったといわれています。しかし江戸城内の秘密の地下通路の建設に携わり、その秘密を知ったことで抹殺されそうになったため高松へ落ち延び、生駒家へ大工頭として仕えたといわれています。
 寛永年間に記された高松・生駒藩の家臣名簿『生駒候分限録』には「大工頭 甚五郎」の名が記されており、7人いた大工頭のなかでも筆頭格だそうです。生駒家が改易となった後、一旦江戸に帰って師の名跡を継いでから、再び高松松平家の客分棟梁としてこの地に移住し、没したということです。左家は、彫刻家の家系として現在に至っているということですが、左甚五郎が実在の人物なのかどうかは、未だによくわかっていないそうです。
 高松には、屋島神社のすぐ東隣接の四国村に甚五郎のものといわれる墓があります。この墓は元々市内の地蔵寺にありましたが、道路拡張に伴い四国村に移設されました。


 




 


○訪れてみたいところ



屋島神社
 祭神は徳川家康と高松藩開祖の松平頼重です。

屋島神社唐門
屋島神社唐門

屋島神社唐門獅子

屋島神社唐門葵

屋島神社から南に見た風景。南に延びるのは参道です。
屋島神社参道

四国村
 正式の名称は四国民家博物館といい、四国各地から伝統的建造物を集めて保存しています。写真は左甚五郎の墓。
四国村左甚五郎墓


左甚五郎美術館
地蔵寺
 甚五郎は郊外の三谷村で没し、この寺に葬られたと伝えられています。


付近の地図


http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F20%2F28.281&lon=134%2F6%2F31.325&layer=1&sc=3&mode=map&size=s&pointer=on&p=&CE.x=376&CE.y=206

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屋島神社

 文化11年(1814)8月、高松藩主松平頼儀(8代)のとき、総工費14万両をついやして日光廟をまねた社殿を山田郡潟元(現在の地)に造営した。文化12年4月遷座式をして社号を屋島東照宮とした。明治7年、現在の屋島神社に改めた。
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