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(32)“唐招提寺開祖の鑑真が開いた屋島寺”

 
 屋根のような形をした屋島は、標高約300メ-トル、花崗岩を基礎としたメサという溶岩台地で、元は島だったところです。山上は平らで南北2つの嶺に分かれ、南嶺に第84番札所屋島寺(号は南面山千光院(なんめんざんせんこういん))があります。この寺は、奈良時代の末に唐の僧で唐招提寺の開祖で知られる鑑真(がんじん)が、北領に伽蓋を建立したのが始まりといわれます。四国霊場88ヵ寺の中で鑑真が創立したと伝えられているのはこの寺だけです。

 仏教では、出家者が正式の僧となるためには、「戒壇」という施設で、有資格者の僧から授戒の儀式を受ける必要があるとされています。しかし、8世紀前半当時の日本には正式の戒壇は無く、戒律を授ける資格のある僧も不足していました。そこで、朝廷は、日本に正式の戒壇を設立するため、天平5年(733)、遣唐使とともに渡唐する留学僧の栄叡(ようえい)と普照(ふしょう)に対して、仏教者に戒律を授けるしかるべき導師を招請するよう命じます。
 渡唐した彼らは、すでに唐で一流の高僧とされていた鑑真に戒律を日本へ伝えるよう懇請します。それを受けた鑑真は、自ら渡日することを決意します。しかし、その後、日本への渡海を10年間で5回にわたり試みますがことごとく失敗します。5回目には嵐に遭い、はるか南シナ海の海南島まで流され、ついに潮風に侵されて失明します。6回目の航海にしてようやく成功し、天平勝宝5年(753)10月、薩摩(琉球という説もあります)に上陸した時、鑑真はすでに67歳になっていました。東大寺大仏開眼の次の年です。

 鑑真が難波津(大阪)に向かって瀬戸内海を航行している途中、屋島の山上に瑞光が見えたので船を泊めて北嶺に登り、そこに普賢堂(ふげんどう)を建立して仏像や経典を納めます。これが屋島寺の始まりといわれています。屋島北嶺には現在も屋島寺の前身である「千間堂」という地名が残っており、基壇をもつ礎石建物跡が確認されています。
 奈良に向かった鑑真は、東大寺大仏殿前で、聖武上皇、光明皇太后、孝謙天皇らに菩薩戒を授け、また天平宝字3年(759)、唐招提寺を創建します。また仏舎利、律・天台の経典、王羲子の書、建築・彫刻・薬学など幅広い知識をもたらし、日本文化に大きな影響を与えて、天平宝字7年(763)に死去しました。なお、鑑真と栄叡・普照らの物語は、井上靖が「天平の甍(いらか)」という小説で描いています。

 弘仁6年(815)、屋島を訪れた弘法大師は、瑳峨天皇の勅願により北嶺にあった伽藍を南嶺の現在の地に移し、十一面千手観音坐像を刻んで本尊とし第84番の霊場として定めます。屋島寺は、鎌倉時代以降衰退しましたが、江戸時代に歴代藩主の援助などによって再興されて現在に至っています。

 讃岐には、鑑真が開いたと伝えられている寺が屋島寺のほかもう一つあります。
 高松市国分寺町の鷲ノ山(わしのやま)(標高322m)の東麓に鷲峰寺(じゅうぶじ)という天台宗の寺があります。この寺の開基は、奈良時代の天平勝宝6年(754)、鑑真和尚が鷲ノ山の山容がインドの霊鷲山に似ていることから、釈迦如来像(元本尊)を刻み、この地に堂宇を建立したことによるといわれています。
 平安時代の初期、智証大師円珍が千手観音像を安置して寺観を整え、貞観2年(860)、智証大師十七檀林の一つとして四海安鎮の勅願寺とされました。その後、嘉元4年(1306)、大和西大寺の長老慈心和尚信空が60余の僧侶を率いて大供養を修したといわれています。
 戦国時代の天正年間(1573-1591)、長曽我部元親の兵火により、伽藍が焼失しましたが、江戸時代初期の寛文元年(1661)、初代高松藩主・松平頼重がその名刹を惜しみ、園城寺(三井寺)から観慶(かんけい)阿闍梨(鷲峰寺中興1世)を招いて住持とし、延宝4年(1673)、諸堂が再建されました。


 




 


○訪れてみたいところ
屋島寺
 山門をくぐり阿波藩蜂須賀公寄進の四天門をくぐると境内は広々として、正面の5間4面単層入母屋造りの本堂は柱の朱色が鮮かで、重要文化財に指定されています。参道の右手には鐘楼、千体の観音を祀る千体堂、大師堂などがあり、左手には庫裏、阿弥陀如来、釈迦如来、鑑真和上の3人を祀る三体堂等が並んでいます。本堂前には根元が1本で幹から上が2本に分かれている"相生の松"があります。また書院の裏庭は"雪の庭"と呼ばれ白い疑灰岩が露出して四季を通じて雪が積もったように見えます。ここには、「平家ゆえ名のあわれなるここちして遍路と入りし屋島寺かな」という与謝野晶子の歌が残っています。
千間堂跡(せんげんどうあと)
 北嶺の芝生広場北側の森の中に遺跡があります。
獅子の霊巌
 屋島寺の西方に突出した峯があり、断崖を数歩下った所に奇岩があります。その形が獅子の頭に似ているので獅子の霊巌といいます。その昔、弘法大師屋島寺本堂大悲閣を建立したとき、まだ完成しないうちに、太陽が西に沈もうとしたので、大師がこの巌頭に立ち、扇をもって夕陽を招き返して工事を急がせ、一日で建立したという「一夜建立」の伝説があります。
不喰梨(くわずのなし)
 屋島登山道の中腹にあります。昔、ここに梨の大樹があって多くの実を結んでいました。ある日空海上人が通りかかって、「その梨を一つ頂けないか。」とお願いしたところ、持ち主は「苦くて渋くて食べられるものではありません。」と嘘を言って差し上げなかった。その後は何故か多くの実を結んでも、無味乾燥で木を噛むような梨になってしまい、これから後この梨の樹を不喰梨と言うようになったということです。
鷲峰寺
 鷲峰寺は四国霊場第82番札所根香寺の奥の院ともいわれ、境内では、春に梅・桜・ヤブ椿、夏に菩提樹、秋に紅葉、冬に柊が咲きます。
 鎌倉時代の彫刻といわれる木造四天王像は、国の重要文化財に指定されています。また、本堂前に並んで立っている2本の樅の大木は、香川の保存木に指定されています。
 鷲の山には修業・悟りの道としてミニ四国八十八か所が配されています。


付近の地図


http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F21%2F11.403&lon=134%2F6%2F15.392&layer=1&sc=4&mode=map&size=s&pointer=on&p=&CE.x=316&CE.y=249

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