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(26)“今昔物語にも出ている日本最大のため池”

 香川県には、現在およそ1万6千を超える溜池が存在し、小さなものまで含めると2万~2万5千存在するともいわれています。溜池の総数では兵庫県、広島県についで全国第3位ですが、県の面積が全国で一番小さいため1km2当たりの溜池数(7・8ヵ所)は全国一です。農業用水のかつては7割、現在でも約5割は、このため池の水で賄われています。その中でも満濃池は、金倉川の流れを阿讃山脈山麓の台地に形成された浸蝕谷の端でせき止めた池で、周囲およそ20km、総貯水量1,540万t、農業用溜池としては日本一のスケールです。

 満濃池では、「ゆる抜き」の神事が毎年6月13日に行われます。ゆる抜きは、讃岐地方に田植えの始まりを告げる行事です。満濃池を流れ出た水は、網の目のように張りめぐらされた用水路を通り、田へ、あるいは下流の子池、孫池へと供給されます。その受益面積は現在でも4,600haに及んでいます。

 満濃池の歴史は古く、今から約1300年前の大宝年間(701年~704年)、国守道守朝臣(みちもりあそん)により築造されたというのが最初の記録です。古代の讃岐平野は、温暖な気候に恵まれ、稲作に適した地域として早い時期から条里に基づく水田開発が進んでいました。

 しかし、満濃池は何回か決潰しており、中でも弘仁9年(818年)の大決潰によりこの地方一帯は泥海になったといいます。このため朝廷は翌々年、築池使路浜継(ちくちしみちのはまつぐ)を派遣して修築工事に当たらせますが、なかなか完成することができません。そこで国司から改めて空海に工事監督をしてほしいという要請願書が朝廷に出されます。空海は3ヵ月あまりの間、壇を設け夜を徹して祈祷するかたわら農夫を指導し、弘仁12年(821年)に修築工事を完成させます。空海の数限りない社会事業の伝承の中でも代表的な史実として伝えられています。

 平安時代の中ころに書かれた「今昔物語」巻二十の第一に、「竜王、天狗のために取られたる物語り」として満濃池が描かれています。「今は昔、讃岐国、多度の郡に、万能の池と云ふ極て大きなる池有り。其池は、弘法大師の其国の衆生を哀(あわれ)つるが為に築(つき)給へる池也。池の廻(めぐ)り遥に広(ひろく)して、堤を高(たかく)築き廻したり。池などは、不見(みえ)ずして、海とぞ見えたり。池の内底ひ無く深ければ、大小の魚共(ども)量(はかり)無し。亦竜の栖(すみか)としてぞ有ける」で始まるその物語は次のようなものです。

 池に住む龍は小さな蛇の形に身をやつしているとき、近江国比良の山に住む鳶に身を替えた天狗にさらわれました。比良の山奥の狭い洞穴に置かれた龍は、近くに水が一滴もなく、元の姿に戻ることが出来ず途方にくれておりました。そこに比叡山からさらわれてきた僧侶がやってきました。ちょうど僧侶は手を洗おうと水瓶(すいびょう)を持っているところをさらわれたため、残っていた一滴ばかりの水を龍にかけてやることができました。蛇となっていた龍はみるみる元の龍王の姿となり、空を翔けて僧侶を比叡の山に帰し、やがて天狗に報復しました。助かった僧侶はこの話を広め、龍のために常にお経を詠み、そのため龍は命を永らえることができました。

 しかし、満濃池は、その後も決潰と修築を繰り返し、元暦元年(1184年)の決潰からは修復されることもなく、鎌倉時代、室町時代の中世を通じた約450年間、池は消滅して元の池地には池内村という集落まで存在していました。

 これを復活させたのは、生駒藩時代の西島八兵衛です。藩主の命により、寛永5年(1628年)10月から同8年(1631年)2月までの2年余の歳月をかけ復興しました。このとき甦った満濃池は、今日の姿にかなり近いものでした。今から約380年ぐらい前のことです。

 しかし、当時、堤に埋設された樋管(ひかん)や櫓(やぐら)などの取水構造は木製で耐用年数に限度があったため、十数年に一度交換工事を行わなければならず、その度に多額の費用と労力が必要でした。工事にかり出された農民は「行こか まんしょか(やめようか) 満濃普請(まんのうぶしん) 百姓泣かせの池普請」とうたったといいます。

 そこで嘉永年間(1848年~1854年)に朽ちない石材を組み合わせた底樋管に交換されましたが、石材接合技術に問題があり、また強い地震が重なり、同7年(1854年)7月、約220年間持ちこたえた堤がついに決潰してしまいました。折しも幕末から明治維新という混乱時に当たり、池は16年間も途絶のまま放置されました。池が再び甦ったのは明治3年(1870年)6月のことです。

 その後、昭和15年(1940年)から同34年(1959年)にかけて行われた6mの嵩上げ工事により現在の堤防が築造されて貯水量が倍増して今日の姿になりました。

 満濃池は1300年に及ぶ讃岐人の英知と汗の結晶ともいえる存在で、その規模と役割の大きさにおいて、いまだに讃岐の米づくりに揺るぎない位置を占めています。

○訪れたいところ
満濃池・護摩壇岩(ごまだんいわ)・神野神社・神野寺
満濃森林公園
国営さぬきまんのう公園
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