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大水上神社を中心とする地域

 この地域は、三豊市高瀬町のうち、南から北に、羽方・西股・上麻・下麻・上勝間・上高瀬の区域です。
 眉山(まゆやま・189.4m)、傾山(かたぶきやま・237.1m)、朝日山(238.1m)、鬼ヶ臼山(おにがうすやま・209m)などの里山と多くのため池があるところです。

【三豊市高瀬町羽方】

●大水上(おおみなかみ)神社  MAP
 大水上神社は、財田川の支流、宮川の渓谷沿いにある讃岐国延喜式内二十四社の一つです。土地の人々から「二宮さん」と呼ばれ、東の一宮(田村神社)に対して西の二宮です。社歴は古く、創建は不詳ですが、神代の昔からであるとさえいわれています。祭神は大山積命(おおやまづみのみこと)、保牟田別命(ほむだわけのみこと)、宗像大神(むなかたのおおかみ)の三神で、秋の祭礼は10月15日です。
 昔から皇室をはじめ武門武将の信仰が厚く、三代実録には、貞観7年5月乙己 讃岐国大水上神授 正五位下貞観17年5月戊申 授讃岐国正五位下大水上神 正五位上など、神位階が授けられており、また源平合戦に際しては、戦勝を祈願した源平それぞれの願書や御神納の矢の記録が残されています。さらに藤原良基の寄進といわれる「しぐれ灯籠」や平氏の祟りを鎮めるために営まれた、教盛、経盛、資盛、有盛を祭るという「四社宮」もあります。現在の建物は永禄年間の再建したのを、明治以降改築したものです。
 大水上神社は、古代より水利の神(水上(源))として崇められてきました。神殿横には竜王淵と呼ばれる深淵があり、三島竜神が祀られています。「鰻淵(うなぎふち)」(竜王淵)には黒・白の鰻がいるといわれ、雨乞いのとき黒い鰻が現れれば雨が降り、白い鰻のときは日照り、カニが現れると大風になると伝えられ、この水は昔から涸れることがないといわれてきました。
 うなぎ淵の横の石段上に「千五百王子(せんごひゃくおうじ)」を祀る社があります。願掛けのしるしに境内の高麗犬の足に藁を結んでここを参詣すると子種を得るといいます。
 境内にある「二宮瓦窯跡」は、平安後期の瓦を焼いた窯の跡であり、昭和7年(1932)、国史跡に指定されています。
 境内には、葉タバコ耕作の「神豊葉(とよほ)神社」もあります。また、戦国時代、長宗我部氏に因縁のある幹周4m高さ11mの「ネズミサシ」の古木があるといいます。
(関連記事)“讃岐に残る平家落人伝説

【三豊市高瀬町西股】

●西股神社  MAP
 傾山の北麓にあります。西股(にしまた)神社は、明治7年に改称されるまでは「荒魂神社」といわれていました。本殿脇にある五輪は、戦国時代、傾山の合戦で長宗我部元親に敗れ討ち死にした麻城主・近藤出羽守国久(くにひさ)とその一族の山中にあった拝み石を合祀したものだといわれています。

【三豊市高瀬町上麻】

●麻城跡  MAP
 麻城は、戦国時代に近藤出羽守国久によって築かれた詰の城です。国久は、獅子の鼻城主・大平国祐の弟で麻を領して「麻殿」と呼ばれ、天霧城主香川氏に臣従していました。長宗我部元親による西讃岐侵攻により麻城は落城し、城主国久も討ち死にしました。その谷はおじが谷(横死ヶ谷)とよばれています。
(関連記事)“長宗我部元親が四国制覇の野望をいだいた山

【三豊市高瀬町下麻】

●歓喜院法蓮寺(かんきいんほうれんじ)  MAP
 この寺は真言宗の古刹です。この寺に祭られている観音菩薩は、人の願いを空しくせず羂索で漏らさず救済するという不空羂索観音(ふくうけんさくかんおん)という像で、平安時代前期(10世紀)に作られたものと考えられています。その表情は一面八臂(いちめんはっぴ)といい、顔が一つで目が二つ、左右に四本ずつ計八本の手があります。

朝日山  MAP
 朝日山は傾山の北にあります。頂上には朝日山森林公園、伊勢朝日山本宮があります。
「朝日山森林公園」は町民が手作りで創った公園で、城を模した視界360度の展望所から瀬戸大橋を遠望することができます。「伊勢朝日山本宮」は天照大神神武三賢大神他の神々を祀ります。

【三豊市高瀬町上勝間】

●平照寺(首山観音)  MAP
 東部山(標高311.7m)の南山腹にあり、「首山の観音さん」と呼ばれています。本尊は十一面観音で脇侍に勢至菩薩が祀られています。寺号は平照寺といい、昔は平勝寺といわれていました。首山の地名は、近くにある「鬼ヶ臼」にいた鬼が捨てた人の首で谷が埋まり山になったことによるという伝説があります。進学、交通安全などに霊験があるといわれています。お開帳は旧暦8月1日です。

●地蔵寺(嫁楽観音)  MAP
 讃岐三十三観音霊場第23番。行基による開基。御本尊は准胝観世音菩薩・地蔵菩薩。この寺では、大賀博士が発見した古代ハスの分根があり、見事な大輪の花を咲かせます。昭和26年3月、千葉検見川東京大学グランド地下より発見された3粒の蓮の実は、大賀一郎博士に依り、約2000年前のものと鑑定され、その年の5月発芽し、翌年7月18日見事に開花しました。その後、ここから各地にも分根が送られました。
(関連記事)“讃岐にも残る行基にまつわる伝承

【三豊市高瀬町上高瀬】

●新田神社  MAP
 祭神は、新田義貞とその息子の義興、義宗子です。脇屋義助の死後、その家臣である安藤村重とその弟村久は難を避けて讃岐に逃れ、弟村久は上高瀬村に居て新田家の再興を祈願して新田神社を建立したといわれています。
(関連記事)“讃岐にもある後醍醐天皇の息子の足跡と新田義貞一族の物語

鬼ヶ臼  MAP
 鬼ヶ臼山の山頂には、高さ5m、幅3m、奥行き2mほどの異様な形をした巨岩があり、女神が村人に悪さをする鬼を懲らしめた伝説が残っています。
 昔、男神(鬼)が里へ出て村人をさらって臼でついていた。やがて人の首で山ができ、臼からあふれ出た血が麓に池を造った。その山を首山といい、その池を血の池という。そこで、男神の乱暴を見かねた女神が、自分の赤ちゃんと男神の馬を山の頂上から跳ばせる競争を行い、赤ちゃんが勝てば男神が乱暴をやめるよう誘った。競争の結果、赤ちゃんが勝ったので、以後男神の悪行は収まった。山裾には鬼と女神の戦いの跡として「赤子と馬の足跡」が残されている。

●産巣日神社  MAP
 産巣日(むすび)神社は、上高瀬上ノ荘の集落の中に鎮座しています。古くは妙見宮と称され、應和4年2月毘沙門谷より今の地に遷座しました。
 平将門の長子と伝えられる太郎良門(よしかど)は、家臣の貞廣丑之助、神戸城太郎、下戸城五良、成房三良、成行十郎、成行千代春ら6人とともに、善通寺五岳山の西端の火上山(ひあげやま)の南麓にあたる今の三豊市高瀬町の音田(おとだ)の毘沙門谷(現在は、おにが谷)という所に落ちのびてきて、そこに住み着き、六名(ろくみょう)を名乗ったといいます。
 そして、天徳2年(1618)、産土神である下総国(現在の千葉県)の妙見神社を迎へて上高瀬村音田の地に奉祀したと云われています。この神社の境内には、平良門の六名の家臣を刻んだ碑があり、付近には良門の死後、祀られたとされる祠(若宮社)もあるそうです。
 なお、平良門は、父亡き後、臣下や一族の人望を集めて、いちはやく挙兵を模索し奥州や西国を巡ったといわれています。江戸中期に入ると、良門の存在は妖怪あるいは悪鬼として近松門左衛門の人形浄瑠璃や歌舞伎、舞台劇などに登場し、源頼光によって退治された姿として描かれます。
(関連記事)“讃岐も戦場になった藤原純友の乱
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