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67番大興寺を中心とする地域

 
この地域は、現在の三豊市の山本町と財田町の区域です。

【山元町辻】

●六十七番札所大興寺(だいこうじ)  MAP
 四国霊場67番札所。小松尾寺不動光院と称します。平安時代初期の弘仁13年(822)、嵯峨天皇の勅願により、空海が開創したといいます。戦国時代の末期には、土佐から侵攻してきた長宗我部元親の兵火により本堂を残してことごとく焼失しましたが、その後再建されました。
   (御詠歌) うえおきし小松尾寺を眺むれば のりのおしえの風ぞふきぬる
 山門前に、「中司茂兵衛義教(なかつかさもへえよしのり)」という人物の名が刻まれた道標があります。この人は、本名を中司亀吉といい、弘化4年(1847)に周防国大島郡椋野村(現周防大島町椋野)に生まれました。生家は大庄屋でしたが、若い頃に家を飛び出して放蕩三昧を尽くしたため勘当され、慶応元年(1866)2月19才の時、四国に渡り88ヶ所遍路巡拝の旅に入ったといいます。茂兵衛は、この時から大正11年(1922)3月76才で亡くなるまで一生遍路の旅を続け、霊場廻りの回数は実に280回にも及びました。また、巡拝者のために道しるべの建立を行い、四国各地に建てた石の道しるべも220余ヶ所に及びました。
(関連記事)“最初は88ヶ所以上あった四国霊場

●菅生神社  MAP
 縁起によると、菅生(すがお)神社は、鎌倉時代の嘉禄2年(1226)、香西資村(すけむら)が、霊夢によって河内国(現大阪府)丹比郡菅生神社の神霊を迎えて創祀したとされています。この神社の社叢では、ツブラジイ、カンザブロウノキ、ミミズバイなどの照葉樹林を見ることができ、古い時代の香川の植生を見ることができます。ます。昭和53年天然記念物に指定されました。この神社の社前の老松は、天狗松と呼ばれ、天狗がここまで飛んできて羽休みをしたといわれています。
(関連記事)“瀬戸内の古代の風景が残る信仰の山”  “承久の乱で明暗を分けた讃岐藤家

●鋳物師辻の集落  MAP
 菅生神社の近くに鋳物師辻(いもんじつじ)という集落があり、ここには多くの鋳物師が住み、江戸時代前期から梵鐘などの鋳物産地でした。彼らは、昔、近江国(現在の滋賀県)の辻村というところから移住してきた人たちで、最初は豊田郡の花稲村(はないねむら、今の観音寺市大野原町稲村)で鋳物の仕事をしていました。ところが、そこは海沿いの土地であったことから、たたらの火が海に映って漁師は魚が採れなくなったため、現在の辻の地に移っていたといわれています。この集落の人たちは原姓を名乗り、鋳物の神として金神(かなかみ)さんを祀っています。

【山本町河内】

●薬王寺(やくおうじ)  MAP
 ボタン寺として知られています。明治維新までは菅生神社の別当寺でした。この寺の弘法大師像の両眼は弘法大師みずからの真筆と伝えられています。

●逆瀬池(さかせいけ)  MAP
 昭和31年に築造された池ですが、この池の底には昔から池があったといわれ、その古池にまつわる話が残されています。
 川上の正体(しょうたい)という所にある竜王渕に住む竜神が、毎年5月に降りて来て、この池で水遊びをしたといいます。竜神の水遊びが終わり、正体へ帰ってから(樋(ゆる)を抜くことになっていました。ある年、竜神が水遊びに疲れて、木陰で休んでいるのに、もはや正体へ帰ったと思い違いをした里人が樋を抜いて水を取ってしまいました。すると、腹を立てた竜神が、この池の残り水も谷川の水も全部上流へ逆流させ、正体の竜王渕へ吸い上げてしまいました。それで「逆瀬」と書くようになったということです。また、そのことがあってから、毎年正体の竜王渕で「水もらいのお祭り」をするようになり、前のように水がもらえるようになったといいます。
(関連記事)“ため池密度日本一の讃岐平野

【山本町財田西】

●宗運寺  MAP
 讃岐観音霊場第十五番駒石山宗運寺。平安時代初頭の延暦15年(796)、桓武天皇の勅願により、右大臣藤原内麿が創建したと伝えられています。山王山観音院総本寺中の坊と号していました。天正7年、長曽我部の武将だった山下市郎右衛門藤原盛久が裏山に居を構え当寺を菩提寺として復興したので、その隠居名宗運をとって寺号としました。

【財田町財田中】

●本篠城(もとしの)跡  MAP
 この山城のある地は阿波・讃岐の交通の要路にあたり、南北朝時代と戦国時代末期の2度にわたり戦が繰り広げられています。延元2年(1337)には南朝方の財田左兵衛頭(さひょうえのかみ)義宗が北朝方と戦い、天正6年(1678)には財田和泉守常久が長宗我部軍を相手に激戦を繰り広げています。讃岐へ侵攻した長宗我部軍はまず藤目城を開城させましたが、香川氏に属する諸将によって城を奪い返され、再び讃岐に侵攻してきた長宗我部軍は、今度は本篠城に攻めかかり、多数の死傷者を出す激戦の末に落城しました。その後、長宗我部の部将中内藤左衛門が守ったが天正13年秀吉の四国征伐により長宗我部の退転とともに廃城となりました。山頂には土塁、馬返し、空濠のあと、のろし台などがある。付近には「伯母淵」「財田左兵衛頭義宗の墓」「財田和泉守常久の墓」等があり、待の段、土釜といった地名も残っています。
 本篠城主だった財田左兵衛頭義宗の墓と伝えられる五輪塔の近くには、樹齢200年以上といわれる根元の幹回りが約4.9四・九メートルで、樹高は約二十メートルあり、通称「義宗桜」と呼ばれる樹齢200年以上の山桜があります。
(関連記事)“長宗我部元親が四国制覇の野望をいだいた山

●密蔵寺  MAP
 この寺は、「四国讃州七福神」の一つで「南極福神」だとされています。

●伊舎那院(いしゃないん)  MAP
 讃岐観音霊場第14番北田山伊舎那院。聖徳太子により創建され、薬師如来、不動明王は太子の作と伝えられています。後に理源大師が再興し、本尊の如意輪観世音菩薩と毘沙門天を自ら刻んで安置したといわれています。一時は末寺が24ヶ寺を数え、寺領も120石を有するほどでしたが、天正6年(1678)に長曽我部の兵火にかかり、七堂伽藍がことごとく焼失し、慶長年間に再興されました。
 この寺には善女竜王の伝説が残っています。伊舎那院に心がけの良い一人の召使いがいました。ところが不思議なことにこの男は雨の日には姿を見せませんでした。ある大雨の日にその男が傘もささずに出ていくので、住職が水晶の数珠を取り出してその玉を通して後ろ姿を見るとなんと大蛇でした。住職はこれはただの大蛇ではなく、善女竜王(ぜんにょりゅうおう)だと思い、小豆飯を炊いて食べさせて暇をやりました。この善女竜王は天王淵(てんのうぶち)の主であったといいます。

●香川用水記念公園  MAP
 吉野川の水が阿讃トンネルを通り最初に水面を見せる香川用水東西分水工のところにある県立公園です。平成9年5月に開園されました。ここから東部および西部幹線水路に分配されます。この公園では、香川用水をはじめ満濃池や豊稔池など讃岐の人々が水を求めてきた歴史を知ることができます。
(関連記事)“紀伊水道から瀬戸内海へ吉野川の水の流れを変えた用水

●常覚院(じょうがくいん)  MAP
 入樋(いるひ)にあるこの寺は、修験道の道場で、かつてここには多くの山伏がいたといいます。山伏たちは大坂夏の陣のとき、三斗三升入りの大法螺貝(おおほらのかい)を持って徳川方に参陣し、その吹き鳴らす音に徳川家康は大いに喜び、常覚院の周りの山地8町4方を御免地として与えたといいます。

【財田町財田上】

●萬福寺  MAP
 讃岐観音霊場第13番殊勝山萬福寺。平安時代初頭の大同3年(808)、弘法大師による開基といわれています。

●鉾(ほこ)八幡宮  MAP
 七尾山に鎮座。財田郷の総氏神。財田三郷と呼ばれていた財田上、財田中、財田西にそれぞれ御神体として鉾が祀られていましたが、天正6年(1578)、橘城主大平伊賀守国秀が七尾山に社殿を建立し、財田郷鎮護の神としてこの三郷の鉾を合祀しました。ご神体が鉾であることから鉾八幡宮と呼ばれています。鎌倉時代末期の木彫りの狛犬が保存されています。
 この神社の境内の「たからだの碑」は、大正4年の大嘗祭に際し、当時の東宮侍従長御歌所長の子爵入江為守が、「たからだの やつかのたりほ かりつみて たみのこころも ゆたかなるらん」と歌を詠んだ記念碑です。

●戸川ダム・戸川ダム公園・たからだの里・鮎返りの滝  MAP
 渓道川の上流に昭和32年に竣工した「戸川ダム公園」があります。戸川ダム公園には、大久保湛之丞の大きな肖像があります。毎年桜の季節には瀬戸大橋、香川用水構想を提唱した大久保湛之丞を記念した「湛之丞祭り」が4月上旬に開催されています。
 また、近くには、温泉施設「たからだの里・環の湯」があり、物産館においては地域の食材が販売されています。付近には、町指定無形民族文化財の雨乞い踊り「さいさい踊り」発祥の地である「渓道神社」、若鮎がこの滝で上流に進めなかったという「鮎返りの滝(あゆがえりのたき)」などもあります。
国道32号と主要地方道・観音寺池田線の交差点に位置し、讃岐と阿波・土佐を結ぶ交通の要衝にあります。
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●大久保之丞顕彰碑  MAP
 大久保之丞の偉業をたたえ、40tにも及ぶ巨石の上に、高さ4m、幅2m35cm、厚さ55cmの記念碑が立てられています。翁は四国新道の実現、さぬき鉄道の完成、瀬戸大橋、香川用水の構想を提言、産業の振興、無医村解消、北海道移民、多度津港の改修など郷土発展に力を尽くしまた。また、近くに財田の地名発祥を物語る「一石一字宝塔」があります。
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●猪ノ鼻峠(いのはなとうげ)  MAP
 香川県三豊市から徳島県三好市にかけて存在する標高413mの峠です。かつては、うさぎ道とよばれるけもの道でしたが、明治27年に四国新道が開通してからは、人力車や荷馬車が通る商いの道となりました。その後、昭和42年に一般国道32号として整備され、現在に至っています。
(関連記事)“草鞋を履いて阿讃の峠を越えた牛



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