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68番神恵院・69番観音寺を中心とする地域

 この地域は、現在の観音寺市のうち、八幡町・有明町・室本町・高屋町・観音寺町・村黒町・流岡町・池之尻町の区域です。概ね琴弾山の68番神恵院・69番観音寺を中心とした旧観音寺市の区域です。琴弾山は観音寺市の財田川河口近くにあり、その西側の有明浜一帯とともに県立琴弾公園に指定されています。園内には、神恵院・観音寺や琴弾八幡宮、砂絵「寛永通宝」などがあり、白砂青松の有明浜と松の美しい琴弾山々頂からの展望が見所となっています。
 現在の裁判所の前付近の財田川河口が、かつて堪保(港)があったところだといわれており、この辺りの旧市街には、海産物問屋、蒲鉾製造場、エビせんべい製造店などがあります。

【観音寺市八幡町】

●四国霊場第六十八番札所神恵院と第六十九番札所観音寺  MAP
 琴弾山の北東山麓にあります。地名の由来にもなった観音寺は、約1300年前に日証上人が琴弾宮の別当寺として創立し、その後大同2年(807)空海が第7代住職をしていたときに、本尊聖観世音菩薩をはじめ諸像を安置して観音寺と改名したものです。一方、神恵院(じんねいん)は、日証上人が琴弾八幡宮を奉祀したとき、琴弾八幡宮の本地仏として阿弥陀如来を祀ったものです。
 こうして、明治時代を迎えるまで、琴弾八幡宮が68番、観音寺が69番の札所でしたが、明治初期の神仏分離の際、琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来の画像が観音寺西金堂に移され神恵院とされました。こうして神恵院が観音寺に同居することになり、1寺に2つの札所が生まれました。四国八十八寺の中で、1寺2霊場となっているのはここだけです。
 観音寺境内には、廻遊式枯山水庭園である「巍々園(ぎぎえん)」や大楠も見ることができます。
  (御詠歌)68番 笛の昔も松吹く風も琴弾くも 技うも舞うも法のこえごえ
        69番 観音の大悲の力強ければ おもき罪をも引きあげてたべ
(関連記事)“最初は88ヶ所以上あった四国霊場

●琴弾八幡宮  MAP
 琴弾山の南東に大鳥居があり、そこから381段の石段を登ったところの琴弾山頂に琴弾八幡宮本殿が鎮座しています。この創始については、次のような伝承があり、今も、秋の大祭で「お稚児さん」として古事にのっとった祭事が行われています。
 大宝3年(703)のある日、日証(にっしょう)上人が琴弾山で修行していたとき、有明浜一帯に黒雲が立ちこめ3日間暗闇が続き、やがて、薄暗い海上がにわかに光り輝きそこに漂うよう一隻の船から琴の音が流れてきた。日証上人が船に声をかけると、「われは宇佐八幡大明神なり、この地風光明媚なる故に去り難し」と答えたので、上人が船にその証を求めたところ、海水であったところが竹林に、砂浜が蒼松の林に変わり、再び琴の音が響き渡った。驚いた日証上人は、里人数百人とともに船を山上に引き上げ、社殿を造って琴を添えて祀った。日証上人が問答をしたころという「問答岩」が山の麓にあります。
 源家の信仰が厚く、源頼義は前九年の役に代参を立てて願文を納め、八幡太郎義家は父頼義の志を継いで社殿を造営し神馬を奉納したといわれています。また、源義経は屋島合戦の後、平家追討を祈って名馬望月と木之鳥居を奉納し、頼朝は一千貫文の土地を寄進しています。
 琴弾八幡宮は琴を弾く神様、つまりは技芸の神様を祭っているということから、昭和60年より全国奉納絵馬コンクールが始まり、全国から応募のあった絵馬がゴールデンウイーク中に展示されます。
(関連記事)“滝沢馬琴「椿説弓張月」の舞台となった八幡宮

●興昌寺・一夜庵・根あがり松  MAP
 琴弾山の北東隣接に興昌寺(こうしょうじ)山があり、その南山麓に臨済宗東福寺派の禅宗である興昌寺と俳諧の祖・山崎宗鑑(そうかん)が建てた一夜庵(いちやあん)があります。宗鑑は、京都東福寺の住職梅谷(ばいこく)と親交があったので、梅谷が興昌寺に帰山とまもなくこの地に訪れてきてそのそばに庵を結んだといいます。
 興昌寺には、山崎宗鑑の遺筆として、紫金仏勧進帳(本堂再建の寄付集め趣意書)、徳寿軒宛の書簡、「貸し夜着の袖をや霜にはし姫御」の短冊等があり、遺品として銅雀台の瓦硯、岩床の花瓶・自作の木彫半像などが残されているそうです。また、この寺の本堂正面の右寄り塀ぎわに「仏足石」(短辺53センチ・長辺114センチ・幅60センチ・厚み33センチ)があります。なお、宗鑑の墓は七宝山頂にあるそうです。
 一夜庵は享禄元年(1528年)の創立と伝えられています。宗鑑没後、荒れるにまかせていたようですが、江戸時代になり俳人を中心として再興されました。数寄屋の形態で屋根の形は方形に近い寄棟です。庵内は6畳と4畳半という実用以上の面積を用いない点に特色があり、日本独特の静けさや寂しさ、佗しさが表現され宗鑑の俳味をおびたつつましい建物です。庵は、数度の修繕を経ていますが、旧形をよく保っているといわれています。近くは昭和59年に屋根葺替改修工事が行われ、その葺替の「ヨシ」は琵琶湖産で姉妹都市草津市から寄贈され、保存技術者の手で葺替られたといいます。
 多くの俳人が宗鑑の俳蹟を訪れており、古くは与謝蕪村、小林一茶、近代では高浜虚子、河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)などが訪れており、その句碑も残されています。この地では毎年11月に宗鑑忌が営まれているそうです。
   宗鑑の墓に花なき涼しさよ         高浜虚子
   浜から戻りても松の影ふむ砂白きに   河東碧梧桐
 興昌寺山には、ミニ四国八十八か所である「昌寺山四国八十八カ所霊場」があります。本尊石仏の最古のものは明和2年6月8日(1765)、新しいものは明治3年(1870)で約100年間に造られたものと考えられています。また、興昌寺山には、山崎宗鑑とは関係ありませんが、その山麓に根の部分が地上に露出し、根の太さ1m高さ3mのものが数本もある珍しい黒松があります。根が幹のように上がっていることから「根上がり松」といい、天然記念物に指定されています。
(関連記事)“俳諧の祖・山崎宗鑑が隠棲した観音寺
一夜庵

【観音寺市有明町】

●観音寺市郷土史博物館・観音寺市ちょうさ会館  MAP
 琴弾山の麓にあります。大正3年(1914年)に三豊郡農会農事試験場として建築された欧風建築(洋館建)で、大正ロマンが漂うたたずまいを残しています。後に産業勧業館として使用され、昭和2年に町立讃岐博物館となりました。戦時中は一時閉館されましたが、戦後町立図書館と併設で再開館し、昭和30年の市制発足で市立図書館、市立博物館となりました。昭和55年に建物の保存修理を行い、市立郷土資料館となり現在に至っています。旧石器から縄文・弥生・古墳時代の考古資料、古文書・武具などの歴史資料、農耕用具・生活用具などの民俗資料や、化石・貝・鳥の剥製などが展示されています。
(関連記事)“綿の産地だったチョウサの町
観音寺郷土資料館

観音寺郷土資料館だんじり


●世界のコイン館  MAP
 世界110カ国のコイン・日本の貨幣が集められ展示されています。

●琴弾公園 MAP・有明浜海岸・有明浜の海浜植物 MAP
 琴弾公園では、白砂青松の松原を見ることができます。白砂青松の有明浜に、銭形砂絵と呼ばれる砂で描かれた寛永通宝があります。有明浜は瀬戸内海国立公園に指定されており、風雪に耐えた約5万本の黒松があります。
(関連記事)“欧米人が賛美したわが国初の国立公園

●寛永通宝銭形砂絵  MAP
 銭形は現在も毎年春と秋の2回、市民の奉仕で化粧なおしが行われています。「銭形を見た人は健康で長生きし、しかもお金に不自由しなくなる。」という言い伝えもあり、多くの人が訪れています。昼間だけでなく夜も年中、タリューム水銀灯によって緑色に浮かびあがっています。
(関連記事)“銭形平次でおななじみの寛永通宝の砂絵のある街

【観音寺市室本町】

●内浜霊神社  MAP
 明治6年に起きた西讃血税一揆(竹槍騒動)では、観音寺の有明浜、室本あたりで小島勝卦(封)と宮崎瀧松の2人の羅卒(らそつ、巡査のこと)が殉死しています。この神社は、この2人を祀ったものです。
(関連記事)“神様になった一揆のリーダー

●高屋神社  MAP
 延喜式内社讃岐二十四社の一つ。本宮は稲積山の山上にあり、下に下宮(遙拝所)があります。この社は当初稲積山頂にあったのを1600年頃に、山の中腹に移し、さらに1760年頃に山嶺に移しましたが、里人はその祟りをおそれ、1831年に山頂の旧地に再び本殿を造営しました。山の名を取り稲積社とも呼ばれています。大祭は4月第2土・日曜日に行われています。

●有明富士(ありあけふじ)・九十九山城跡  MAP
 有明富士は、標高153.1mの江甫草山(江甫山・九十九山、つくもやま)です。南側の有明浜側の斜面が砕石のため削られていますが、北側から見るとまだ形が残っています。山頂は平で細川家の居城「九十九山城」がありましたが、天正7年(1579)長宗我部氏によって落城しました。現在は石垣らしき石や井戸の跡が少し残っています。
(関連記事)“七つも富士のある讃岐平野”  “長宗我部元親が四国制覇の野望をいだいた山” “三月三日に雛祭りをしない町

【観音寺市観音寺町】

●観音寺旧市街と財田川河口付近
 財田川と柞田川に挟まれたところが観音寺の旧市街です。この辺りの旧市街には、蒲鉾屋、えびせん屋、海産物屋などのお店があり、ノスタルジアを感じさせる町並みが残っています。いま、この街のお店を訪ね歩き、試食もさせてもらう、食べ歩き観光が行われています。
裁判所付近の川岸にある「官許拝借地」の石標
 明治時代、財田川の南岸は港町として船の発着荷物の積卸に利用されていました。その頃、仮屋浦の問屋衆3名が浜方役所より川岸を荷物揚場として使用する許可を得ていました。この石標は使用の範囲を示すものです。3本が明治22年に建立され、2本がそのままの状態で現地に残っています。残りの1本は郷土資料館の敷地内にあります。
観音寺財田川沿いの官許拝借地

常夜灯と金毘羅大権現 財田川沿いの蔵
 港町として栄えた名残りでしょう。
「金毘羅大権現」と刻んでいます。
観音寺財田川沿い金毘羅大権現
観音寺財田川沿いの倉庫



財田川河口から上流を見た風景
観音寺財田川下から上を見る

海産物問屋
観音寺海産物問屋

えびせん屋
観音寺えびせん屋2

かつての商家
観音寺民家2

旧市街に残る常夜灯
観音寺常夜灯

中二階のある民家
観音寺民家

今も使われているレンガ造りの倉庫
観音寺レンガ倉庫

●専念寺  MAP
 観音寺市の財田川を隔てて琴弾八幡山の向かいにあります。小林一茶はこの寺の住職五梅和尚を頼って、寛政4年(1792)と寛政6年(1794)から翌年にかけての2回ここに来ています。
 「寛政紀行」の寛政7年歳旦詠として「今日立春向寺門 寺門花開清 入来親友酌樽酒豈思是異居古園」(七言絶句)があり、その後「元日やさらに旅宿とおもほへず」以下数句が載せられています。ここに滞在していた頃の句に次のものがあります。
    乞食も護摩酢酌むらん今日の春
    遠かたや凧の上ゆくほかけ舟
    白魚のしろきが中に青藻哉
    天に雲雀人間海にあそぶ日ぞ
(関連記事)“与謝蕪村、小林一茶も訪れた讃岐路

●高丸城(観音寺城)趾(一心寺)  MAP
 この城は、戦国時代、西讃に強大な勢力を誇った天霧城主香川信景の弟景全が、天文年間に築城した居館で、観音寺殿といわれていました。天正7年(1579)天霧城が長宗我部元親の侵攻により開城すると、景全も兄の信景と共に元親に従いました。その後、秀吉の四国統一により、兄と共に土佐に走りました。
 景全が敗走した後、上坂丹波守が城主として居城し、天正15年生駒氏が讃岐守に封ぜられた時、丹波守は生駒氏に服しました。秀吉はその内1万石を割いて大阪の御蔵入の料所にあて、丹波守をその代官とし、観音寺城が代官所にあてられました。その後、豊臣氏の滅亡により生駒氏に没収され、廃城となりました。上坂氏はその後家老として生駒家に仕えましたが、生駒家のお家騒動の折、不義派に組みして一家が断絶しました。
 城趾は約74アールのほぼ正方形の地形で、周囲に内堀をめぐらしていた跡が、明治時代まで端の池、城の池として一部残っていました。今も城趾の北と東側は一段低くなっており、「殿町」など城跡を物語る地名等も多く、現在「一心寺」にある樓門は城の太鼓門を移したものと伝えられています。一心寺近くの小公園に観音寺城の城址碑が建っています。また殿町には城神がまつられ、琴弾宮境内十王堂には上坂丹波守の小祠があります。

【観音寺市村黒町】

●高木神社  MAP
 高木神社の創始については、高木馬之介という強力の弓の名人が、本山寺から西に向かって弓を引き、この矢のとどまるところに葬って欲しいと言って放ち、その矢が落ちた地に祠を立てて祀ったのが始まりだという伝承があります。

【観音寺市流岡町】

●加麻良神社  MAP
 加麻良(かまら)神社は、丸山(橘亀山)に鎮座し、讃岐延喜式内社二十四社の一つといわれています。流岡(ながれおか)の地名は、昔、神田(こうだ)の千五百神(せんごひゃくかみ)という神様の中に顔が小さくて夜な夜な泣く御子神がおり、それを憎んだ親神が枡に入れて流し、その流れ着いた処なのでこう呼ばれるようになったといいます。また、その神様を祀ったのが加麻良神社だということです。

【観音寺市池之尻町】

●黒嶋神社  MAP
 讃岐国延喜式内二十四社の一つで、万延3年、京極高矩が江戸の邸に居たとき、将軍家より悍馬を賜ったある夜、我は黒島神なりと夢に出てきたので、祭田10石余りを寄付したという伝承があります。この神社の闇山津見神は毒蛇の災いを防ぐ神様という一面があり、御神体は黒蛇で本殿下に住んでいるといい、毒蛇を嫌い、神域、氏子区域から毒蛇を追い払ったと言われています。

【観音寺市柞田町】

●山田神社  MAP
 延喜式内社讃岐二十四社の一つ。山田村の名は山田皇女の御名代地だったことから起こったといわれています。山田大娘命は、安閑天皇の皇后である春日山田皇女だといわれています。

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