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(21)“こんぴらさんはガンジス川のワニ”

 大きな灯籠に守られた金刀比羅宮本宮の雰囲気は神社というよりお寺のようにも見えます。それは、もともとここが神仏混合の聖地だったことによるものです。

 今は金刀比羅宮といいますが、江戸時代は金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)といいました。その創始は明かでありませんが、最古の記録では、織田信長が足利義昭を追放して室町幕府が崩壊した元亀4年(1573年)に、象頭山松尾寺金毘羅堂が建てられ本尊が安置されたとされています。松尾寺は釈迦如来を御本尊とする真言宗の寺で、守護神として金毘羅が祀られました。そして松尾寺の裏山は釈迦の修行の地に名を借りて象頭山と呼ばれていました。

 金毘羅は、本来は薬師如来の十二神将の筆頭である宮比羅大将(くびらたいしょう)を指します。また般若守護十六善神の一に数えられる守護神であり、お釈迦様が修行したというヒフラ山の守護神でもあります。宮比羅大将は、サンスクリット語(梵語)でクンピーラといい、元々は、インドのガンジス川に棲む鰐(わに)が神格化されてヒンドゥー教の神となり、それが仏教に取り入れられたものだといいます。またヒフラ山はその形が象の頭に似ていることから象頭山(ぞうずさん)といわれたということです。

 松尾寺の守護神である金毘羅は、やがて、神仏混合によって金毘羅自体に神名が与えられて象頭山金毘羅大権現となったという訳です。

 クンビーラ神は元々鰐の神とされていたことから、日本神話でも鰐は海神や龍神、水神と深く関係しているように、日本に入ってくると海神や龍神に見立てられ、金毘羅は海難や雨乞いの守護神として信仰されるようになりました。また、讃岐の象頭山が瀬戸内海を航行する船の目印になったことからいつしか船の守り神とされるようになりました。

 金毘羅領は、生駒親正など歴代藩主の寄進に加え、初代高松藩主松平頼重の働きかけによって徳川家光の朱印状が出され、幕府の朱印地となります。また、東廻り西廻りの海上交通路が開かれると、塩飽船により金毘羅大権現の名が全国の津々浦々に知られるようになりました。そして、江戸中期以降になると、船乗りの守護神から広く民間信仰へと広がっていきました。

 ところが明治の初期、国家神道を成立させるべく政府が出した神仏分離令により、仏像を壊したり捨てたりするという事件が相次ぎました。廃仏毀釈と呼ばれる運動です。この時、寺の破壊を恐れた、松尾寺の別当・松尾宥暁(ゆうぎょう)は、僧職と神職を兼任できなくなったので、寺自体は廃絶させた上で祭神を仏教とは無関係の大物主神(おおものぬしのかみ)と崇徳天皇(すとくてんのう)に変更していち早く純粋な神社に模様変えしてしまいました。この奇策によりここは暴徒たちの矛先を逃れ、社号も琴平、事比羅を経て現在の金刀比羅宮となりました。

○訪れてみたいところ
(境内)
大門
 象頭山の中腹に鎮座し、参道の石段は奥社まで登ると1368段にもなる。
本宮
 桧皮葺の大社関棟造りで、大物主神と崇徳天皇を祭る。
厳魂神社(いづたまじんじゃ)
 奥社と呼ばれ、1368段の石段を登りきった先に鎮座する。戦国時代の別当である宥盛を明治に入り厳魂彦命として祭った。
絵馬殿
 航海の安全を祈願した多くの絵馬が見られ、安全祈願をした漁船、タンカーの写真やスペースシャトルに搭乗した秋山豊寛の絵もある。
旭社(重要文化財)
 天保8年(1837年)に建立された銅瓦葺の二層入母屋造りの建物で、全体に多くの美しい彫刻がなされている。神仏分離以前の松尾寺の金堂であり、そのあまりの豪華さに江戸時代に参拝した森の石松は本堂と誤り、ここへの参拝のみで帰ってしまったと伝えられる。
書院(重要文化財)
 万治2年(1659年)に建立された書院造りによる建物。内部は円山応挙らによる障壁画で飾られている。
・紙本墨画竹林七賢図(重要文化財)
 応挙の筆による書院七賢の間の障壁画。
・紙本墨画遊虎図(重要文化財)
 応挙の筆による書院虎の間の障壁画。日本には虎がいなかった為、猫を模して描いたと伝わる。
・紙本墨画遊鶴図(重要文化財)
 応挙の筆による書院鶴の間の障壁画。
・紙本墨画瀑布及山水図(重要文化財)
 応挙の筆による書院鶴の間上段及二の間の障壁画。
大門
 これより内が境内で、有栖川宮熾仁親王筆の「琴平山」の額が掲げられる。門をくぐると特別に境内での営業を許された五人百姓が加美代飴を売っている。
宝物館(登録有形文化財)
 明治38年(1905年)に建てられた石造、ニ階の宝物館。
(境外)
鼓楼(ころう)
 参道途中の大門傍にあり、中にある時太鼓は今も朝夕に打ち鳴らされる。
旧金比羅大芝居(重要文化財)
 金丸座とも呼ばれ、天保7年(1836年)参道近くに建てられた、現存する日本最古の芝居小屋で、今も毎年春に「四国こんぴら歌舞伎大芝居」として歌舞伎が公演される。
鞘橋(登録有形文化財)
 門前の金倉川に架かる橋。銅葺唐破風の屋根がかかるアーチ式の木造橋で、刀の鞘の様に反った形から鞘橋と呼ばれる。洪水で何度も架け替えられ、現在の橋は明治2年(1869年)に阿波国鞘橋講中により寄進された。例大祭の時のみ用いられる。
高灯籠
 琴電琴平駅の隣に建ち、敷坪約23㎡、高さ約28m、二層瓦葺。万延元年(1860年)に完成し、摂津住吉の高灯籠と並び称せられますが、石台を合わせれば琴平のものが最も高い。現存する日本一高い木造の灯籠で、かつては瀬戸内海を航行する船舶からもその明かりが見え、船人がこんぴらさんを拝む目標灯にもなっていたといいます。
金毘羅講燈篭
 江戸時代に江戸の商人が寄進した燈篭で、香川県丸亀市の港に一基が現存し、寄進者の名を冠し太助燈篭(たすけどうろう)と呼ばれている。
金陵の郷
 琴平の酒蔵である金陵が参道に面し設けた日本酒の資料館で、江戸時代の酒造りに用られた道具などを見ることができる。
牛屋口(うしやぐち)
 金刀比羅宮の南の入口。象頭山南側にあり、鳥居や燈篭などがある。土佐・伊予と讃岐をつなぐ主要街道であった金毘羅街道(旧伊予土佐街道)は、幕末には坂本龍馬、中岡慎太郎などの脱藩者、また高杉晋作などが、往来する際にこの道を使ったといわれる。そのため、この牛屋口には観光用として設置された坂本龍馬像がある。併設の「峠の茶屋」(藁葺き小屋)は現在使用されていない。また牛屋口付近からは、改修工事のために整備された道路(管理者も駐在し一般者は通行不可)があり、本宮や絵馬殿付近まで続いている。
旧伊予土佐街道金毘羅街道)
 土佐・伊予と讃岐をつなぐ旧主要街道。(牛屋口~参道間について)金毘羅さんへの街道として、また主要道路であった時期には繁栄しており、多く立てられている石燈篭にも大正末期頃まで明かりが灯っていた。しかし、国道などの他のルートが出来ると共に衰退し、石燈篭の一部を盗まれるなど、荒廃が進み、現在では鳥居や石燈篭を残すのみとなっている。参拝にこの道を使われることは、地元の人が正月にわずかに使用するのみである。この区間の街道途中にある広谷墓所には、代々の別当職が眠る墓が建てられている。

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本地垂迹論とか、逆本地垂迹論を調べると、もっと面白い発見がある。
権現という仏教用語を理解すると、違ったものが見えてくる。
明治以前は、神よりも仏が上位だった。
松尾寺の別当・松尾宥暁は、松尾姓を琴陵姓に変えた。
まだ有るがこのくらいで
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