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(143)“バブル経済真っ只中のときに開通した瀬戸大橋”

 昭和63年(1988)4月10日、瀬戸大橋が開通しました。同時に高松~岡山間にJR瀬戸大橋線も開通しました。昭和53年(1978)10月10日に起工され、着工から9年6ヶ月を経ていました。本州四国連絡橋3ルートの中で最も早い開通でした。
 瀬戸内海に大橋を架けようという構想が提起されたのは、明治22年(1889)に香川県会議員の大久保之丞(じんのじょう)が四国新道の起工式における祝辞の中で「塩飽(しあく)諸島ヲ橋台トシテ架橋連絡セシメバ・・・」と発言したことが最初だといわれており、瀬戸大橋が開通した年は、それからちょうど99年目のことでした。また、現在の香川県は明治21年(1888)12月3日付で全国において最後に設置された県であり、それからちょうど100年目のことでした。さらに、昭和天皇は1989年1月7日に崩御されており、昭和の終焉を迎える年でもありました。

 瀬戸大橋が開通するまでは、香川と本州間を自動車で行き来する場合、フェリーを利用する必要がありましたが、大橋の開通によって待ち時間なくいつでも本州間を行き来することができるようになりました。また、新幹線は昭和47年(1972)3月15日に新大阪駅~岡山駅間が開業していましたが、大橋開通前は、高松から新幹線に乗ろうとすると、高松港から宇野港までの宇高連絡船に約1時間乗り、そこで乗り換えて岡山までの在来線(宇野線)にまた約1時間乗る必要がありました。ところが、大橋が開通してからは、高松~岡山間を約50分間の直通列車で行くことができることとなりました。JRで高松から坂出へ行く場合、橋の開通前は“下り”でしたが、開通後は“上がり”になったということは、香川の人に大橋の開通による変化を印象づけました。
 瀬戸大橋の架橋工事と並行して四国内における高速道路の整備も進められ、大橋開通前年の昭和62年(1987)12月16日には、香川県にとって初めての高速道路である四国横断自動車道・善通寺IC~川之江JCT間が開通しています。そして、4年後の平成4年(1992)1月30日には川之江JCTで高知自動車道と接続し、さらにその年の4月19日には高松西IC~善通寺IC及び坂出支線坂出JCT~坂出IC開通により、坂出ICで瀬戸中央自動車道と接続します。一方、香川県では新空港の整備も進められ、瀬戸大橋開通翌年の平成元年(1989)12月16日には、新高松空港が開港します。従前の高松空港は滑走路が短いためジェット機が就航できませんでしたが、新空港は2,500mの滑走路を持ち、大型ジェット機の就航が可能となりました。これら一連の交通インフラの整備は、香川県にとってまさに交通革命ともいえる出来事でした。

 瀬戸大橋の開通によりすぐに影響が出たのは観光の分野でした。本州から香川へやって来る観光客は大きく増え、県外観光客は、開通前の昭和62年(1987)が約490万人であるのに対して、開通後の昭和63年には約1035万人と約2倍以上となりました。香川の代表的な観光地である琴平・栗林公園・屋島の付近は県外ナンバーの自動車で溢れ、飲食店や土産物店などは大繁盛します。しかし、一方では、県外観光客に素うどんを千円で売りつけるというような“ぼったくり”も生じました。
 きしくも、瀬戸大橋開通に始まる香川の交通革命は、日本経済がバブルに踊っていた頃の真っ只中に起きた出来事でした。
 1980年代後半から1990年代初頭にかけて、日本は、いわゆるバブル経済に陥り、特に地価と株価が異常に高騰しました。瀬戸大橋が開通した昭和63年(1988)には、日経株価が初の3万円台を突破し、いよいよバブルが大きく膨らみ始めるときでした。

 このバブル経済は、昭和60年(1985)9月のプラザ合意による急激な円高と、一方で内需拡大を図るために打ち出された金融緩和が原因だといわれています。低金利による過剰流動性すなわち「金あまり」の現象が生じ、それが投機的な株式や不動産の投資をもたらし、日本経済にバブルを生じさせたのです。そのバブルの象徴的な政策がいわゆるリゾート法でした。この法律は、内需拡大政策の一環として昭和62年(1987)に制定され、日本全国が競うようにリゾート開発に向けて突き進んでいきました。また、だぶついた資金をもとに「ジャパンマネー」と呼ばれる日本投機家による外国資産買いも始まっていきました。平成元年(1989)の三菱地所によるニューヨークのロックフェラー・センター購入は、当時の日本企業による国外不動産買い漁りの象徴でした。昭和62年(1987)11月に発足した竹下登内閣が、ふるさと創生事業として、全国の市町村に対し一律1億円を交付するという今では考えられないようなバラマキ施策が行ったのもこのときのことです。
 平成元年(1989)12月29日の大納会、日経平均株価は38,915円とついに史上最高の値に至ります。昭和61年(1986)1月1日に比べ3倍でした。また、土地の価格は、地価調査の全用途平均対前年平均変動率によると、昭和61年(1986)では全国2.7%(香川県1.6%)でしたが、最も高い変動率を示した平成2年(1990)では全国13.7%(香川県8.5%)と高騰します。
 しかし、平成2年(1990)4月から、大蔵省が不動産向け融資に上限を加える総量規制を実施すると、バブル経済は急激に崩壊へと向かっていきます。この年の10月1日、日経平均株価は2万円台を割り込み、わずか9ヶ月あまりの間に半値近い水準にまで暴落します。また、地価は、株価の暴落に遅れ、翌平成3年(1991)には下落しはじめて、バブル経済は崩壊へと向かっていきました。
 なお、香川県内では、平成3年(1991)4月20日に、全国的なテーマパークブームに乗り、レオマワールドが開園しています。ちなみに「レオマ」という呼称は、当時の社長の名前から「レジャーは、大西に、任せろ」に由来するといわれています。

 一方、世界に目を向けると、瀬戸大橋が開通した年は、9月17日にソウルオリンピックが開かれていますが、東欧革命、東西ドイツ統一、ソ連解体と続く戦後の冷戦構造が崩壊していく端緒になった年でした。
 昭和63年(1988)3月、ユーゴスラヴィアを訪問した当時のソビエト連邦共産党書記長・ゴルバチョフは、他の社会主義諸国に対するソ連の指導性を否定した「新ベオグラード宣言」を発表します。さらに5月にはアフガニスタンからの撤退を開始します。
 翌年の平成元年(1989)8月にハンガリーで行われた汎ヨーロッパ・ピクニックでは1000人程の東ドイツ市民が一斉に国境を越えてオーストリアへ亡命し、これを契機に11月9日夕刻、ベルリンの壁が崩壊します。その後、12月のルーマニアのチャウシェスク体制の崩壊に至るまで、東欧の共産国家は次々と民主化されていき、平成2年(1990)10月3日には東西ドイツが統一されます。そして、平成3年(1991)12月25日、ソビエト連邦が解体されて消滅し、ついに東西冷戦構造が完全に崩壊しました。

 バブル経済が崩壊したわが国では、不況に陥り、その後「失われた10年」と呼ばれる長期の停滞に苦しみます。香川県でも、平成12年(2000)8月31日にレオマワールドが閉園し、平成18年(2006)には県外観光客が約799万人まで減少しました。
 瀬戸大橋が開通した時期は、わが国だけでなく世界においても、大きな時代の変わり目のときだといえるでしょう。
●訪れてみたいところ

瀬戸大橋
 瀬戸大橋は、本州の岡山県倉敷市と四国の香川県坂出市を結び、瀬戸内海の5つの塩飽諸島の間に架かる6つの橋梁とそれらを結ぶ高架橋により構成される本州四国連絡橋のひとつです。
 この橋は、鉄道・道路併用橋といわれ、橋梁部分の上部には4車線の瀬戸中央自動車道が走り、下部にはJR本四備讃線(通称、瀬戸大橋線)が通る2階建ての構造となっています。橋梁部の長さは9,368mあり、高架部も含めると13.1kmの延長があり、鉄道・道路併用橋としては世界最長です。橋梁は吊り橋・斜張橋・トラス橋の3種類が併設されています。総事業費はおよそ1兆1,338億円です。この工事の際には世界で初めて、「海底無線発破」が用いられました。
 橋梁が架かる5つの島は、北から南に櫃石島、岩黒島、羽佐島、与島それに三つ子島で、いずれも香川県坂出市に属し、三つ子島以外は有人島です。
 北の岡山側から南の香川側に向かって走ると、まず鷲羽山トンネル(道路部205m、鉄道部230m)に入り、これを抜けると、瀬戸大橋に出ます。北から順番に、下津井瀬戸大橋(全長1,447m、吊橋)→櫃石島高架橋(全長1,316m)→櫃石島橋(全長792m、斜張橋(トラス橋))→岩黒島高架橋(全長93m)→岩黒島橋(全長792m、斜張橋)→与島橋(全長877m、トラス橋)→与島高架橋(全長717m)→北備讃瀬戸大橋与島と三つ子島の間、全長1,611m、吊橋)→南備讃瀬戸大橋(全長1,723m、吊橋、三つ子島)→番の州高架橋(全長2,939m)と次々に橋が現れます。なお、下津井瀬戸大橋の中間地点が岡山と香川の県境になっています。

○瀬戸大橋記念公園
 瀬戸大橋の完成を記念して坂出市番の州に整備された面積10.2haの海浜公園です。園内には、水の回廊や芝部広場、浜栗林などの憩いのスペース、瀬戸大橋記念館、展示広場など瀬戸大橋を紹介する施設があり、瀬戸大橋を眼前に一望できるビューポイントとなっています。

東山魁夷せとうち美術館
 日本画家東山魁夷画伯から香川県が寄贈を受けた280点余りの版画作品及び貴重な資料が展示・公開されています。東山魁夷画伯のご祖父は櫃石島の出身で、明治維新の函館戦争のとき、水夫として榎本艦隊に加わり函館へ行ったといいます。

与島
 この島は、瀬戸中央道のほぼ中央に位置しています。
与島パーキングエリア  瀬戸大橋の中で唯一のパーキングエリアです。四国側・本州側からチェッ  クゲートを通過してUターンすることも出来ます。
・瀬戸大橋フィッシャーマンズ・ワーフ  四国銘菓、海産物、民芸品などを取り揃えたショッピングフロ  ア、和食、洋食、さぬきうどんなど豊富なメニューのレストランがあります。
・ベコニア海花園  西日本随一の規模です。
・鍋島灯台  与島の南側にある鍋島にあります。明治5年に英国人ヘンリープラントンによって建てら  れた洋式灯台です。佐田啓二、高峰秀子主演の映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台として登場  しています

○琴平公園
 琴平公園の一角には瀬戸大橋の提唱者である大久保之丞翁の像が瀬戸内海の方向を向いて立っています。大久保湛之丞は、現在の三豊市財田町財田上の地主の三男として嘉永2年(1849)8月15日に生れました。家庭の事情から本家を継ぎ、明治5年村議を振出しに、郡吏員・学区世話係・愛媛県農談員・愛媛県会議員・香川県会議員等、明治24年42歳で病死するまで地方行政一筋に生き、その間地方の産業・文化の発展に尽くしました。

○戸川ダム公園・たからだの里
 戸川ダム公園には、大久保湛之丞の大きな肖像があります。毎年桜の季節には瀬戸大橋、香川用水構想を提唱した大久保湛之丞を記念した「湛之丞祭り」が開催されています。
 また、近くには、温泉施設「たからだの里・環の湯」があり、物産館においては地域の食材が販売されています。

○ニューレオマワールド
 レオマワールドは、平成12年(2000)8月31日の閉園後、平成16年4月11日にニューレオマワールドとして再び開園されています。 
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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