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(131)“讃岐に残る平家落人伝説”

 現在の三豊市高瀬町羽方に鎮座する大水上神社(おおみなかみじんじゃ)は、讃岐二宮と称される古社です。ちなみに讃岐一宮は高松の田村神社です。大水上神社の境内左手には、四社宮という平教盛(のりもり)、平経盛(つねもり)、平資盛(すけもり)、平有盛(ありもり)の四人を祀る小祠があります。教盛と経盛は平清盛の弟、資盛と有盛は清盛の孫にあたり、関門海峡での壇ノ浦の戦いの敗戦の中でともに海中に身を投じて果てたといわれています。
 元暦元年(1184)2月15日の屋島合戦の前、大水上神社は平家から戦勝の祈願を受けましたが、その効なく平家は滅亡してしまい、その後、神社に災いが続いたそうです。これは平家の祟りだろうということで、それを鎮めるために四社宮が営まれたといわれています。おもしろいことに、同年の2月25日、大水上神社は源氏からも戦勝祈願を受けています。
 現在の東かがわ市大内町水主に鎮座する水主神社(みずしじんじゃ)も、屋島合戦の前に、源氏と平氏の両方から戦勝祈願を受けたといわれています。平教経(のりつね)が大雁股を奉納し、また、源義経が大坂越えをして屋島へ向かう途中、鞍を奉納したといわれています。平教経は、平清盛の弟にあたる平教盛の次男で平国盛の別名です。平家随一の猛将として名高く、数々の合戦において武勲を上げたといわれています。

 源氏と平氏の両方から戦勝祈願を受けた神様は、結局、源氏に軍配をあげ、元暦2年(1185)2月19日、平氏一族は屋島の戦いで源氏に敗れ、生き残った者たちは散り散りに逃げて行きました。徳島県の祖谷地方には平氏の落人が逃れてきたという伝承が残っていますが、それによると、平国盛は、屋島の合戦に敗れた後、安徳天皇を奉じ、手勢を率いて陸路東に逃れ、現在の大内町の水主村にしばらく潜伏した後、讃岐山脈の大山を越えて吉野川をさかのぼり、奥深い祖谷山に入ったといいます。讃岐にも平家の落人が隠れ住んでいたという伝説が残っています。

 観音寺市大野原町には五郷ダムがありますが、そのダムの中ほどに架かる「有盛橋」を東に500メートルほど行くと、有木(ありき)という集落があります。ここには、関門海峡での壇ノ浦の戦いで亡くなったとされている平有盛(ありもり)が落ち延びてきたという伝承が残っています。平有盛は清盛の息子・重盛の四男で、小松少将と呼ばれた武将です。有盛はしばらく有木に留まっていましたが、愛用の小烏丸(こがらすまる)という太刀をこの地に残し、もっと奥深い祖谷へ移り住んだといわれています。安土桃山時代の慶長の頃、この太刀を生駒一正が高松へ持ち帰ったところ、いろいろ怪奇があったため有木に返したという話も伝えられています。
 今でも有木には「えかた」という所があるそうですが、これは有盛が住んでいたという「やかた」が訛ってそのように呼ばれるようになったといいます。また、宝屋敷、上屋敷、中屋敷、下屋敷、烏帽子屋敷、神子谷(巫女谷)、王塚、鞍掛松、高旗など平家にまつわる地名や、平岡、平口、平野という平家にちなむ姓があるといいます。
 また、有木の里では、戦後しばらくまで、源氏の旗が白旗だから、鶏やウサギなど白い家畜は飼わず、衣類や祭りの幟も白いものは避けて色物を使っていたとか、有盛が小黍(こきび)の畑で討死したといわれることから里人は決して小黍を作らなかったなど独特な風習や伝統が残っていたそうです。

 まんのう町琴南美合の土器川をさかのぼった竜王山の標高650m前後の山腹には、横畑という集落があります。ここには、源平屋島合戦で敗れた平国盛ら数十騎が、阿波の祖谷へ落ち延びる途中、平寿盛の一族数人が住み着いたという伝承が残っています。平寿盛は清盛の息子・知盛(とももり)の三男だといわれています。
 横畑という地名は、平家の軍旗を横に倒して農民になったから「横旗」すなわち横畑になったといわれています。横畑集落の下方の入口には木戸、尾根越えの寒風峠には物見櫓があり、見張りの人が住んでいた「キビジリ屋敷」という屋敷跡が残っているそうです。また、今でも十数基の墓が現存し、墓碑に平寿盛の孫であると刻されている墓も残っているそうです。

 三木町西鹿庭の竹尾にも平家の落人が隠れ住んだという伝承があります。屋島合戦のとき、筒井日向守孫兵衛という武将が、平宗盛の命を受けて、源義経の軍が阿波から讃岐山脈の清水峠を越えて進撃してくるのに備えていました。ところが義経は北方の海岸沿いに丹生・石田・白山・高田を越えて屋島を背後から攻撃してきました。逃げ遅れた日向守は家来を連れて山中に分け入り、途中で一人の狩人に匿われて竹尾の山里に逃れたということです。今も竹尾には、日向守の屋敷跡や、日向守を祀るという日向大明神が残っているといいます。

【関連記事】
○“建礼門院と安徳天皇が滞在した牟礼・屋島
○“二つある源平ダンノウラの戦い
●訪れてみたいところ

大水上神社

水主神社
 源義経が屋島に向かう途中この神社に立ち寄り戦勝祈願をしたという伝承があり、宝物の中に源義経が奉納したと伝えられる「螺鈿(らでん)雷文の軍陣鞍」があります。

観音寺市大野原町五郷有木の平家谷

○琴南町横畑地区
 ・平寿盛のものという墓   地元の人から「おこんどさん」と呼ばれている祠があります。これは平寿盛の墓といわれています。
 ・三条神社   集落最上部の杉木立の中にあります。祭神は市杵嶋姫命、田心姫命、多岐津比賣神命で、これは平家の守護神である宮島の厳島神社の祭神と同じです。鳥居もかつては厳島神社と同じ朱塗りの両部鳥居(枠指(わくざし)鳥居)でした。

○三木町西鹿庭の竹尾
 ・筒井日向守孫兵衛の屋敷跡
 ・日向大明神

○清水峠
 国道193号を南に走ると、香川県三木町と徳島県美馬市の県境にあります。
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