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(129)“金毘羅さんと白峯さんとの知られざる因縁”

 金刀比羅宮の本殿から奥社へ行く途中に白峯神社という社があります。この神社では崇徳上皇が祀られており、「白峯」という名称も五色台白峯山にある白峯寺からきています。なぜ金刀比羅宮の境内に白峯神社が鎮座しているのか、今ではこの理由を知っている人は地元でも少なくなっているようです。じつは、これは明治維新にあった神仏分離による廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)に起因するものです。

 6世紀中頃に仏教が伝来して以来、わが国では、それまでにあった神々への信仰と仏教とが融合していきます。これを神仏習合(しんぶつしゅうごう)又は神仏混淆(しんぶつこんこう)といいます。
 8世紀初めの奈良時代初頭から鹿島神宮、賀茂神社、伊勢神宮などの大社において神宮寺を建立する動きが出始め、8世紀後半になると、地方においてもその寺院に関係のある神を寺院の守護神、鎮守とするようになり、数多くの神社に神宮寺が建てられ、寺院の元に神社が建てられていきました。こうして、従来の神祇信仰と仏教信仰とが互いに補い合うわが国独特の宗教風習が作られていきます。
 神仏習合の基になった思想は本地垂迹(ほんちすいじゃく)という考えで、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として日本の地に現れた「権現(ごんげん)」であるとするものです。「垂迹」とは神仏が現れることをいい、「権現」とは仏が「仮に」神の形を取って「現れた」ことを意味します。
 ところが、明治維新を迎えると、一千年以上にわたって行われてきた神仏習合の風習に対して大きな逆風が吹きます。新政府は、封建的な割拠体制を打破して天皇を中心とする中央集権体制を樹立するため、王政復古の大号令のもと祭政一致を目指し、神社神道を国家統合の精神的よりどころとします。そして、明治元年(1868)、仏法は外来の宗教であるとして神仏習合の慣習を廃止し、神道と仏教、神と仏、神社と寺院とをはっきり区別するように神仏分離を命じます。
 これをきっかけに全国各地で寺院の廃合、祭神の決定、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の取り壊し、仏事の禁止、民間への神道強制などの廃仏毀釈運動がおこり、大混乱となります。それまで僧侶の下に置かれていた神官には混乱にまぎれて寺院を破壊してその土地を接収する者も現れ、また僧侶の中には神官や兵士に転職したり、寺院の土地や宝物を売り逃げする者もいたといいます。現在国宝に指定されている興福寺の五重塔は、わずか25円(2006年現在の価値で約20万円)で売りに出され、蒔にされそうになったといいます。讃岐でも滝宮の法然上人ゆかりの竜燈院ほか61寺が廃寺になっています。

 現在の金刀比羅宮も明治以前は、金光院松尾寺とその守護神である金毘羅大権現との神仏混淆の地で、現在の旭社は薬師堂(金堂)、若比売社は阿弥陀堂、大年社は観音堂というように多くの寺院堂塔からなる一大伽藍地でした。金光院主の差配の下、普門院、尊勝院、神護院、萬福院、真光院という5つの寺の僧侶がお山の事務をとり行っていました。もっとも、こんぴらさんの最初の由来は、初め大物主神を祀り、次いで平安末期に崇徳上皇を合祀した琴平社という純粋の神社であり、琴平の名称は象頭山のたたずまいが琴を連想させることからとか、祭神の大物主神が琴と関係があったからだといわれています。
 明治維新の神仏分離令により、金光院主の宥常(ゆうじょう)は僧侶から神官となり、姓を琴陵に改め社務職を拝命します。そして、仏教名の建物等については神社式に名を改め、多宝堂・鐘楼などは取り壊し、経巻・仏像・仏具などは売却ないし焼却処分して仏教色を一掃したうえ、名も琴平神社と改めます。祭礼・行事・儀式作法もすべて神道式に改めます。要するに、このとき、こんぴらさんは神社としてリニュルアルしたというわけです。その後、琴平神社は事比羅神社と名を変え、さらに明治22年に金刀比羅宮と改称し現在に至ります。

 一方、四国88カ寺81番札所白峯寺の境内には、後白河法皇が崇徳上皇の霊を祀るため平安末期の建久2年(1191)に建立した頓証寺という仏堂があり、白峯寺により守られてきました。ここには、古くから皇室や武家が崇徳上皇の霊を慰めるため夥しい数の什器・宝物類を寄進してきたことから、永徳2年(1382)火災に罹り大半は焼亡したものの、多くの宝物が残っていました。
 ところが、明治元年(1868)、新政府の方針に基づき、それまで頓証寺に祀られていた崇徳上皇の御霊が、京都の今出川に新たに造営された白峯神宮に遷されることになりました。京都から下向してきた勅使が、上皇の御霊代(みたましろ)である御真影と愛用の笙(しょう)を頓証寺から持ち出し、坂出港から京に向かって出航したのは、明治元年8月28日のことです。ちなみに、聖通寺山東中腹にある塩竃神社はかつて西大浜にあったものが現在地に移転されたものですが、その境内にある灯篭は崇徳上皇の霊を京都に奉還した際、沖湛甫に建立されたものです。
 さらに、明治3年、白峯寺は境内を除く土地一切を官に取り上げられます。このため白峯寺の住職は還俗して崇徳上皇陵の番人となり、寺は一時廃寺となってしまいます。廃仏毀釈の嵐は明治4年(1871)頃には収まりますが、仏教や寺が受けた打撃は深刻なものでした。信徒らが県に願い出て白峯寺に再び住職が置かれたのは明治8年(1875)のことです。頓証寺には、崇徳上皇宸筆の「南無阿弥陀仏」の六字名号を御霊代として安置されました。

 ところが、白峯寺復興が緒につきはじめた明治11年、当時の事比羅神社より、政府に対して、頓証寺を神社とし事比羅神社の摂社(末社のこと)にすべきだとの願いが出されます。おそらく、当時の事比羅神社の言い分は、崇徳上皇は讃岐の地に移られてから親しく琴平の宮に参籠されおり、ここには「古籠所」・「御所の屋」という上皇ゆかりの旧跡も残っている。そのようないきさつから、琴平の宮では古くから上皇の御霊をひそかにお祀りしてきた。頓証寺に祀られていた上皇の御霊が京都に還った以上、頓証寺は抜け殻になってしまったのだから琴平の宮が上皇を祀る讃岐の中心でなければならない、というようなものだったのではないでしょうか。
 廃仏毀釈の風潮は依然として強かったものと思われます。政府は十分な調査もせず事比羅神社の願いを承認し、頓証寺は白峯神社と改称されて事比羅神社の摂社となります。これに伴い、頓証寺が長年にわたって皇室や武家から寄進を受けてきた什器・宝物類が事比羅神社に移されました。

 しかし、廃仏毀釈の風潮が沈静化してくると、白峯寺住職と地元信徒らは、頓証寺の復興運動を始めます。その言い分は、白峯寺と頓証寺は、金刀比羅宮と歴史的に何の関係もない。にもかかわらず、金刀比羅宮が頓証寺を自社の末社として古くから頓証寺に伝わる宝物まで管理しているのはおかしい、というものです。それが認められ、県の命令で、白峯神社とされていた頓証寺が、金刀比羅宮から境内・建物の返還を受け、元の仏堂に復することができたのは、明治31年(1897)9月のことです。おそらく、現在金刀比羅宮境内地にある白峯神社の社は、このとき頓証寺が白峯神社で無くなったため、造営されたものではないでしょうか。
 しかし、20年ぶりに金刀比羅宮から独立したものの、頓証寺から金刀比羅宮に移されていた宝物の取扱いについては、当時、相当に紛糾したようです。白峯寺の言い分は、歴史的経緯からいってすべて頓証寺に返還するのが当然だということです。一方の金刀比羅宮の言い分は、明治11年から20年間頓証寺が白峯神社として金刀比羅宮の末社であったことは政府の命令に基づき行われたことであって、すべての宝物を返還する理由は無いということのようです。
 結局、この問題は最終決着がつかず、頓証寺から金刀比羅宮に移された宝物のすべてが返還されなかったようです。元々頓証寺にあった宝物で今も金刀比羅宮で保管されているものの代表例としては、重要文化財の絵巻物「なよ竹物語」があります。
 昭和40年にもこの問題がぶり返し、坂出市の松山青年団から金刀比羅宮に対して、宝物返還の嘆願が出されています。どちらの言い分が正しいかどうかは別として、歴史的な経緯は後世に正しく伝えていく必要があるでしょう。

 なお、この記事を読まれる場合には、次の記事も参考にしてください。
(21)“こんぴらさんはガンジス川のワニ”
(47)“崇徳上皇を偲び来讃した西行法師”
(40)“保元の乱に敗れて怨霊となった崇徳上皇”
(123)“後白河法皇が建て、源頼朝が奉納したといわれる寺”
●訪れてみたいところ

○81番札所白峯寺
 明治初年、頓証寺が金刀比羅宮の摂社となった際、多くの重宝が同宮に移されましたが、なお現存するものに、六字名号の掛軸(崇徳上皇宸筆)頓証寺勅額(後小松天皇宸筆)、紺紙金泥写経一巻(後白河天皇勅納)、紺紙銀泥唐本法華経3巻・千鳥干青磁香炉(共に後嵯峨天皇勅納)、松山百首和歌、続三十首和歌(飛鳥井宋雅筆)、法華経女八品和歌(宋稚以下28人筆)、金襴御袈裟(後水尾天皇勅納)、崇徳天皇御念誦仏十一面観音像等があります。

金刀比羅宮
 白峯神社
 宝物館 ここには重要文化財の絵巻物「なよ竹物語」があります。
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