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(125)“その先祖が平賀源内を教えたという菊池寛”

 平成14年、「真珠夫人」というテレビドラマが一躍人気番組となり、またその原作者が文豪の菊池寛だということで話題になりました。菊池寛といえば、「父帰る」、「恩讐の彼方に」など硬い純文学のイメージがあり、このような大衆小説も書いていたことに多くの人が「ヘェー」という意外感を抱きました。菊池寛は大衆小説の執筆だけでなく、文芸春秋社の創設、大映の初代社長になるなど実業家としても活躍しています。また、ジャーナリズムと映画という新しいメディアの創出にも大きく関わり、さらに、昭和10年(1935)には、芥川賞・直木賞を創設し、また小説家協会や劇作家協会を設立するなど、作家の地位向上や新人の育成にも尽力して文壇の大御所と呼ばれました。

 菊池寛は、明治21年12月26日、当時の香川県香川郡高松七番丁(現高松市天神前)に父武脩(たけなが)、母カツの四男として生まれました。本名は「ひろし」と読みます。寛が生まれた明治21年12月は、讃岐が明治9年8月に愛媛県に編入されて以来12年ぶりに第三次香川県として愛媛県から分離独立した年でした。
 寛の実家である菊池家は、江戸時代、高松藩の儒学者だった家柄で、今日でいえば学者の家系でした。しかし、明治維新後に家禄を失い、父の武脩は小学校の庶務係りのような仕事をしていたようで、当時の菊池家は貧しい暮らしを余儀なくされていました。
 寛の祖父は武章(たけあき、号は所(てきしょ))といい、江戸の林家の塾に学んだ後、高松藩の儒者となっています。幕末の禁門の変(元治元年(1864))や第二次長州征伐(慶応2年(1866))にも従軍し、明治3年(1870)に51歳で亡くなります。3代前の曽祖父は武幹(たけもと、号は藻州)、4代前は縄武(つなたけ、号は守拙)、5代前は武保(たけやす、号は室山)といい、同じく林家の塾に学んだ後、高松藩の儒者となっています。縄武の弟には、江戸で活躍した菊池五山がおり、五山は同じく高松藩出身の後藤芝山、柴野栗山に学んだ後、江戸本郷の五山堂に住み、寛政の四大詩人とまでいわれました。
 6代前は武賢(たけまさ、号は黄山)といい、宝暦初年、高松5代藩主の頼恭(よりたか)に才覚を見出されて藩学講堂の儒者となった人物です。黄山は文武両面にわたって優れた人物だったようで、後藤柴山など多くの高弟を育てています。おもしろいことに、日本のレオナルドダビンチといわれる平賀源内も、若い頃、黄山の下で学んでいます。源内も頼恭に見出された人物であり、頼恭は人物の才能を見抜くことのできる名君だったといわれています。

 菊池寛は、高松藩の儒者の家柄に育った所以かもしれませんが、少年時代から作文が得意で、懸賞作文などに入選して文才の片鱗を見せたといわれています。また、高松に初めて図書館が建設されると、月5銭の図書券の第1号を購入し、学校の帰りに毎日通って蔵書2万冊余のほとんどを読破したともいわれています。しかし、神経質な秀才タイプではなく、物事にはあまりこだわらない性格だったようです。少年時代、好きな釣りをしているとき、昼食のおむすびを入れたポケットに釣った魚をそのまま無造作に突っ込み、ミミズの這っているおむすびを気にもせず食べていたというエピソードが残っています。また「もず博士」と呼ばれるほどもず狩りを得意としていたといわれています。
 明治41年(1908)20歳のとき、高松中学校を首席で卒業しますが、家が貧乏なため、学費免除の東京高等師範学校に進みます。しかし、授業料免除という理由だけで入学したこともあり、授業に出ず、放縦不羈を理由に除籍されます。その後、地元の素封家の経済支援を受け、明治大学法科に入学しますがそこも約3か月で退学します。
 その後、徴兵を逃れるため一時早稲田大学に籍のみを置いていましたが、22歳の時、第一高等学校第一部乙類に入学します。そこで出会ったのが、芥川龍之介、久米正雄、松岡譲、成瀬正一、山本有三、土屋文明、倉田百三(ひゃくぞう)などの友人です。
 しかし、卒業を3か月前にして、友人佐野文夫(後年の日本共産党幹部)の窃盗の罪を着て退学となります。俗にいうマント事件です。友人の働きかけで、後に疑いが晴れるものの、前言を翻すのは卑怯だと態度を変えることはなかったといいます。そのときの一高校長は新渡戸部稲造(にとべいなぞう)です。

 大正2年25歳のとき、友人の成瀬正一の実家の援助を受けて、京都帝国大学文学部英文科に入学します。友人たちと同じく東京帝国大学への進学を希望していましたが、入学を拒まれたようです。しかも、旧制高校卒業の資格がなかったため本科に学ぶことができず、選科に学ぶことを余儀なくされました。京都時代は、大学の講義や学生生活にも失望し、東京の友人たちに対するコンプレックスに苛まれた暗い生活だったようです。
 そんなとき、一高時代の友人らに誘われ、第3次「新思潮」の同人となります。さらに、第4次 「新思潮」を芥川・久米・松岡・成瀬・菊池の5人で発行し、後の代表作となる「屋上の狂人」、「父帰る」を発表します。しかし、「鼻」を夏目漱石に激賞され、一躍脚光を浴びた芥川龍之介とは対照的に、寛の作品は注目されることはありませんでした。

 大正5年、28歳のとき、大学を卒業します。しかし、そのまま作家活動に専念するのではなく、東京で時事新報の社会部記者となり、サラリーマンと作家の二束の草鞋を履きます。翌年には同郷の奥村包子(かねこ)と結婚しています。
 そして、大正7年30歳のとき、「無名作家の日記」、「忠直卿行状記」などを発表して文壇に躍り出、続いて翌年に「恩讐の彼方に」を発表して作家としての地位を確立していきます。時事新報社を退職して文筆活動に専念するのは、この年からです。
 その後、「真珠夫人」の連載と「父帰る」の上演の成功により、一躍人気作家となっていきます。「真珠夫人」は、大正9年に大阪毎日新聞、東京日日新聞に連載された小説で、この連載が評判を呼び、両紙の発行部数は大正10年には100万部を突破したといいます。

 菊池寛は、いつも服のポケットに紙幣をクシャクシャにしたまま突っ込み、貧乏な文士を見ると無造作に取り出して与えていたといい、面倒見の良い親分肌の人だったようです。また、東京市会議員を務めたり、落選しましたが衆議院議員にも立候補するなど政治にも関心があり、現実主義的生活観の持主だったようです。後に、菊池寛は、「半自叙伝」の中で、自分は「生活第一、芸術第二」を信条とし、「小説を書くことは生活のためであつた。」「清貧に甘んじて立派な創作を書かうといふ気は、どの時代にも、少しもなかつた」と、述べています。昭和23年3月6日、狭心症の発作で突如息を引き取りました。

 明治中期頃生まれの旧高松藩士の子弟で、その後中央で活躍した代表的な人物といえば、党人政治家として政界で活躍した三木武吉(明治17年生)と文学界で活躍した菊池寛(明治21年生)でしょう。二人とも新政府の官僚とか軍人のような立身出世は目指しておらず、最初、三木武吉は弁護士、菊池寛は新聞記者となっています。
 高松藩は幕末の鳥羽伏見の戦いで朝敵となったため薩長から睨まれ、旧高松藩士やその子弟は新政府の官僚や軍人にはなかなか登用されなかったといわれています。明治期には旧高松藩士の子弟は陸軍士官学校に入学できず、籍をわざわざ大阪に移して受験した者もいたというような話もあったそうです。実際、明治から大正にかけて旧高松藩士出身者で中央の軍、官界で名を成した者はきわめて稀で、陸海軍とも大将はついに出ず大将無しの県といわれたそうです。
 このことと、三木武吉と菊池寛というどちらかといえば在野的な人物が明治期の高松から輩出しているということと何らかの関係があるのかもしれません。ちなみに、二人とも高松藩藩儒の家柄の出です。
●訪れてみたいところ

菊池寛の生家跡・銅像・「父帰る」の像
 高松市には「菊池寛通り」の愛称が付けられている市内道路があります。この通り沿いに生家跡があり、その道路近くの中央公園には菊池寛の銅像が建っています。また、この通りには、父帰るの一場面の像があります。

菊池寛記念館
 サンクリスタル高松の中にあります。

○峰山墓地
 菊池家の墓は高松市の峰山墓地にあります。高さ1mほどの自然石の表面に「黄山」と草書体で刻まれた墓があり、その左側に、御影石に「高松藩儒家菊池氏累代之墓 昭和十五年秋改修 菊池寛」と刻まれた石碑が立っています。その周りに、室山、守拙、藻州、所、武脩ら一族の墓が並んでいます。

○百舌(もず)坂
 JR高徳線高架下から栗林トンネルまでの坂は、菊池寛が少年時代、もず狩りをしていたことから百舌(もず)坂と呼ばれています。
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