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(120)“滝沢馬琴「椿説弓張月」の舞台となった八幡宮”

  江戸時代後期の読本作家滝沢(曲亭)馬琴は、文化4年(1807)から文化8年(1811)にかけて、「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」という物語を書いています。この物語は、保元の乱に敗れて伊豆大島に流罪になった源為朝(みなもとのためとも)が琉球に渡り琉球王国を再建するという、歴史を基にフィクションを加えた、現代風にいう冒険活劇ですが、この一説の中で、讃岐の琴弾八幡宮直島白峯が舞台として書かれています。琴弾八幡宮は現在の観音寺市有明の琴弾山にある神社、白峯は現在の坂出市にある白峯寺のあるところです。
 保元の乱は、保元元年(1156)年、崇徳上皇と後白河天皇の対立を軸に勃発した戦いで、上皇方には源為義、源為朝、平忠正らが、天皇方には、源義朝、平清盛らがつき、父(源為義)と子(源義朝)、兄(源義朝)と弟(源為朝)、叔父(平忠正)と甥(平清盛)がそれぞれ敵味方に分かれて戦いました。

 「椿説弓張月」の中での讃岐が舞台になっているところは次のような場面です。
 保元の乱が起きたとき、太宰府の館(やかた)を守っていた源為朝の妻・白縫(しらぬい)は召使い8人とともに、九州から讃岐、琴弾の宮に逃れ、神仏に夫の無事を祈っていました。琴弾の宮というのは、現在の観音寺市にある琴弾八幡宮のことです。
 一方、京では、戦いに敗れ傷ついた為朝が家来の武藤太(ぶとうだ)の家に身を潜めていましたが、恩賞に目がくらんが武藤太により密告されてしまいます。この裏切りで為朝は敵方に捕縛され、再び弓を引けないように肘の筋を断たれて伊豆の大島に流されることになりました。
 しかし、主君を敵方に売った武藤太は、痴れ者(しれもの)として非難され、京に居たたまれなくなって船に乗って九州へ向かいます。その途中、讃岐の室本の港(現在の観音寺市室本町)に流れ着き、武運に縁の深い琴弾の宮に参拝します。武藤太は祈願の言葉の中で密告の恩賞が少なかった恨み言を述べます。そのとき、偶然、白縫がそこに居合わせ、拝殿に祈る男の言葉からその男が夫為朝の仇だと知ります。
 白縫は、「これこそ神の導き」と、ある月の夜、武藤太を酒宴に誘い出します。美しい琴の音が聞こえる酒宴の場と、白縫の容色に取り付かれた武藤太は、何も知らず勧められるままに酒を飲み、前後不覚となってしまいます。気がついた武藤太は逃げようとしますが、縛りつけられ、指を一本ずつ落とされたうえ体に竹釘を打ち込まれて殺されます。夫の仇を果たした白縫は護送される為朝を追って伊豆に向かいます。
 しかし、白縫は為朝を救出することができず、讃岐に流されていた新院(崇徳上皇のこと)を奪還しようと企てますが、そうするうちに京では平治の乱が起こります。新院が瀬戸内の直島の磯に現れるという噂を聞いた白縫は、直島に忍び込み、読経をする新院に会いますが、次の日新院は崩御します。
 それから十年が経過したとき、伊豆の大島に居る為朝に対して討伐の軍勢が押し寄せてきました。逃れた為朝は、讃岐国多度郡の逢日の浦に到着し、新院の葬られている白峯の陵(現在の坂出市)に参詣し、腹を切ろうとします。そのとき、新院や父の為義ら保元の乱で死んだ者たちの亡霊が現われ、その後の行く末を伝え、為朝の自殺を留め、肥後国に向かうように指示します。肥後で為朝は、長い間行方不明だった妻の白縫と再会します。
 その後は、琉球での物語りとなります。

 このように、滝沢馬琴は「椿説弓張月」の中で讃岐を物語の一つの大きな舞台としていますが、これは、馬琴が、主人公源為朝の仕えた崇徳上皇を、為朝が思慕し、また為朝を庇護する人物として描いたことから、上皇が葬られた白峯やその伝承のある直島を舞台としたものと思われます。ちなみに白峯御陵の側に建てられた頓証寺殿(とんしょうじ)の大門左右の随神は源為義、為朝親子の武装像です。
 では、馬琴はなぜ琴弾八幡宮を物語の舞台としたのでしょうか。琴弾八幡宮の由緒は次のようなものだとされています。大宝3年(703)のある日、有明浜一帯に黒雲が立ちこめ3日間暗闇が続き、やがて、光を回復した海上に一艘の船が現れて船中から琴の音が聞こえてきた。民人が近づくと、「われは八幡大菩薩なり、宇佐からきたが、仏法弘布の地によいので止まりたい」と答えた。そこで、日証上人が船に証を求めたところ、海水であったところが竹林に、砂浜が蒼松の林に変わり、再び琴の音が響き渡ったので、驚いた日証上人が里人を集めて船を山上に引き上げ、琴を添えて宝殿に安置して琴弾八幡宮と称え奉った。
 宇佐とは、現在の大分県宇佐市にある宇佐八幡宮のことで、全国にある八幡宮の総本社です。「椿説弓張月」の中で源為朝の妻・白縫は九州から逃れてきたことになっていますが、馬琴は琴弾八幡宮の由緒を知っていたので、そこから琴弾八幡宮を物語の舞台にしたのかもしれません。
 なお、琴弾八幡宮にある「木之鳥居」は、屋島合戦勝利のしるしとして源義経の側近が代わって奉納したものといわれています。


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●訪れてみたいところ
琴弾八幡宮
白峯御陵
直島
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