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(112)“走水の海で日本武尊の身代わりになった讃岐媛”

 4世紀前半頃、第12代景行(けいこう)天皇の御代、日本武尊は、九州で熊襲の反乱を鎮圧して大和へ帰ると、まだ疲れも癒えないうちに、今度は東国の乱を鎮めるよう父の天皇から命令を受けて出発します。この東征には妃の弟橘媛(おとたちばなひめ)が同行していました。
弟橘媛は、今の善通寺市にある大麻神社の神主・穂積氏忍山宿弥(ほづみのうじおしやまのすくね)の娘として讃岐に生まれたといわれています。

 日本武尊は、まず伊勢神宮に参拝し、そこで天叢雲(あめのむらくも)の剣を授けられます。その剣は、神話の中で、スサノオの命(みこと)が八岐の大蛇(やまたのおろち)を退治したときに、その尾から現れたと伝えられるものです。
 相模国(今の神奈川県)に至ったとき、武尊は相模の国造に騙され、野原の中に入ったところを火をつけられ、あやうく焼き殺されそうになります。そこで剣を出して草を薙ぎ払い、逆に火をつけて、敵を破りました。ここからこの剣は草薙(くさなぎ)の剣と呼ばれ、八咫の鏡(やたのかがみ)・八坂瓊の曲玉(やさかにのまがたま)とともに、やがて「三種の神器」として歴代の天皇に受けつがれる皇位のしるしとなったということです。

 さらに旅を続け、日本武尊は、相模の国から走水(はしりみず)の海を船で渡り対岸の上総の国(今の千葉県)に行こうとします。走水の海とは、東京湾の浦賀水道のことで、三浦半島の横須賀市辺りを船出し房総半島の木更津辺りを目指したと考えられています。
 しかし、武尊の軽はずみな言動に怒った海神が荒波を起こしたため、船は木の葉のように翻弄されて今にも沈没しそうになります。
 このとき弟橘媛命は、海の神の怒りを解くため、武尊の身代わりとなって海に身を投げました。そのとき媛が詠った歌が次のものです。
  さねさし 相模(さがむ)の小野(その)に 燃ゆる火の
  火中(ほなか)に立ちて 問ひし君はも
 (相模国の、あの野原の燃えさかる火の中で、私の身を案じてよびかけてくださったあなたさまだったことよ)
 するとそれまで荒れ狂っていた海も次第に静まり、難行した船も無事に上総の国に上陸することができました。彼女が持っていた櫛は、7日後、海岸に流れ着いたということです。

 この後、日本武尊は、東方の乱れを鎮めて大和へ帰る途中、箱根の碓氷の坂で、東の走水の海の方向を臨んで、弟橘媛のことを偲び、「吾妻(あづま)はや」(ああ、我が妻よ)と嘆きました。それから箱根より東の方を「東(あづま)」と呼ぶようになったということです。
 やがて武尊は、都への帰途、剣をもたないで、伊吹山(いぶきやま)(滋賀県をと岐阜県の境)に登り、山の神の祟りにあって、ついに伊勢の能褒野(のぼの)(三重県鈴鹿市)で病気が重くなり、亡くなってしまいます。人々がその場所に陵(みささぎ)をつくって、尊を葬ると、尊の魂は大きな白鳥となって都をさして飛び立ったということです。

 大麻神社は讃岐忌部(いんべ)氏と阿波忌部氏が協力してこの付近を開拓して麻を植え、祖先神の天太玉命(あまのふとだまのみこと)を祀ったのが起源だと伝えられており、延喜式内讃岐国24社の一つです。祭神の天太玉命は、天照大神が岩戸に隠れた折り、大神を誘い出すべく色々な飾りものを作った神様で、天下りをした後四国に来ていたと伝えられています。
 当時、朝廷は全国から才媛の女性を官女として毎年のように徴用しており、弟橘媛もこうして徴用された官女の一人で、それが日本武尊の目にとまり妃となったのではないかと考えられています。二人の間に雅武彦王命(わかたけひこのみこと)が生まれています。
 今でも、大麻神社の本殿左わきには弟橘媛を祀った祠があり、媛が讃岐出身だったことを偲ぶよすがとなっています。

●訪れてみたいところ

大麻神社
 金刀比羅宮のある象頭山の北側の峰続きに大麻山(616m)と呼ばれる山があります。大麻神社は、この山の東麓に鎮座しています。境内には、「弟橘媛命を祀る」と書かれた境内社・白玖祖霊社があります。
 祭神は、天岩屋戸神話にも登場する天太玉命(あまのふとだまのみこと)で、古事記では、天照大神が天岩屋戸に籠もったときに、占いをして、八尺の勾玉・八咫の鏡・和幣を付けた真榊を持ち、祝詞を唱え、天照大神の出現に成功したとされています。また、日本書紀には、天太玉命は忌部の遠祖とされています。
 大麻神社には、国の重要文化財に指定されている天太玉命座像と、彦火瓊々杵命(ひこほのににぎのみこと)座像があります。天太玉命座像は檜材の一木造りで肩をいからせ怒った表情をしていて、彦火瓊々杵命座像は楠材の一木造りで穏やかな顔をしています。ともに平安後期の作といわれています。
 また、約7,800㎡の広大な社叢はシリブカガシを主体に蔓性植物やシダ植物が加わったもので、県の自然記念物になっています。本殿の左右には「夕水(からみず)」「朝水(あまみず)」という、朝と夕に湧き出たり枯れたりする泉があり、供物を清めるために使われていたそうですが、現在は枯れているそうです。
 戦国時代に兵火で社殿を焼失しましたが、寛文元年(1661年)、丸亀藩の京極高和が再建しました。以来、京極家に崇敬されてきました。

○粟井神社
 観音寺市にあるこの神社も天太玉命を祀った神社です。
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テーマ : 香川
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