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(111)“与謝蕪村、小林一茶も訪れた讃岐路”

 江戸時代後期の18世紀半ばから19世紀半ばまでの約100年間は、「化政文化」が花開いた時代といわれています。「化政」というのは、この期間の中心であった文化年間(1804-18)と文政年間(1818-30)から1字ずつとって名づけられたものです。化政文化の特色は、江戸の町の経済的発展にともない町人文化が最盛期を迎え、都市の繁栄、交通の整備、寺社参詣の流行、教育・出版の普及、商品流通の発達などにより、中央と地方との文化交流が進み、中央文化が地方に波及して、文化の内容も多種多様化したことといわれています。
 讃岐にも化政文化を代表する江戸、京、大坂などの文人や画家が多く訪れ作品を残しています。また、讃岐に来ていなくても、讃岐を舞台とする作品を残しています。主なその人物を列挙すると、次のとおりです。(括弧内は生没年)
 与謝蕪村     (享保元年(1716)-天明3年(1784))
 円山応挙     (享保18年(1733)-寛政7年(1795))
 上田秋成     (享保19年(1734)-文化6年(1809))
 小林一茶     (宝暦13年(1763)-文政10年(1828))
 十返舎一九    (明和2年(1765)-天保2年(1831))
 滝沢馬琴(曲亭馬琴) (明和4年(1767)-嘉永元年(1848))
 歌川広重(安藤広重) (寛政9年(1797)-安政5年(1858))
 このうち、与謝蕪村小林一茶十返舎一九、歌川(安藤)広重は実際に讃岐に来ており、円山応挙については讃岐に来たかどうかについて諸説があるようです。上田秋成と滝沢(曲亭)馬琴は讃岐に来ていませんが、讃岐を舞台にした物語を書いています。
 讃岐の中でも彼らが題材として採り上げた地で多いのはやはり金毘羅さんです。その他では白峯の崇徳上皇と観音寺の琴弾八幡宮が題材とされています。

 与謝蕪村は、江戸俳諧の巨匠の一人で、写実的で絵画的な発句を得意とし、また俳画の創始者で、池大雅とともに日本南画の先覚者といわれています。
 京都に住んでいた与謝蕪村が初めて讃岐を訪れたのは、宝暦12、13年(1762~3)頃だといわれていますが、明和3年(1766)の春頃、51歳のときにもやって来て、夏の6月にいったん京に帰り、この年の冬、再び讃岐に戻っています。
 その経路は、阿波から讃岐に入り、引田・白鳥・三本松・長尾を通って、高松城下に入ってきたと考えられています。高松城下では、豪商の三倉屋方でしばらく旅宿りをしています。しかし、他国者の長逗留は御法度に触れるため、遠慮して城下はずれの別荘に移ったといい、ここで、「 水鳥や 礫にかはる 居り所 」の句を残しています。そして、「 炬燵(こたつ)出て 早あしもとの 野河(のがは)かな 」の句を残して香東川の渡し場を渡り、丸亀に向かっています。
 一泊二日の旅をして丸亀城下に入ったときは、乞食のような姿で、妙法寺(みょうほうじ)の門前に立っていたと伝えられています。丸亀城下から目的地の金毘羅に向かい、土地の俳人らに歓迎されます。そこでは、造酒屋(つくりさかや)主人の金川屋左平太の宅を寓居とし、その世話を受けて金毘羅で年越しをしています。金川屋左平太は俳人でもあり、その号を菅暮牛(かんぼぎゅう)と称していました。蕪村はこのとき「 象の眼に 笑ひかけたり 山桜 」の句を残しています。
 明和4年(1767)の春3月、再び京に帰りますが、蕪村はよほど讃岐での生活が気に入ったのか、その年の秋、また讃岐に戻っています。このときも暮牛の家に滞在して金毘羅で年越しをし、翌年の4月23日、丸亀湊から京に帰っています。
 このような明和3年の春から明和5年の春までの2年間は蕪村の讃岐時代といわれており、絵筆の旅の仕上げのときであったといわれています。丸亀の妙法寺は蕪村寺ともいわれており、今も蕪村が描いた「蘇鉄図(そてつず)」などが残っています。

 円山応挙は、京都に住み、遠近法を取り入れた立体感のある作品を描き、近代日本画の基礎を築いた画家といわれています。金毘羅宮の表書院の襖(ふすま)に虎の図や鶴の図・山水の図・滝の図・七賢之図などを描いています。しかし、実際に讃岐に来たかどうかについては説が分かれているようです。

 上田秋成は、歴史や伝説を素材とした伝奇読本を現しました。讃岐には来ていませんが、その著書の一つ「雨月物語」の中で、讃岐の白峯を舞台にした崇徳上皇と西行の物語を書いています。

 小林一茶は信濃柏原の人で、農村の生活感情を詠んだ句を残したことでよく知られています。一茶は、寛政4年(1792)3月、郷里の信濃を出発して諸国を遊歴しながら、その年の夏過ぎに讃岐に来ています。讃岐では豊田郡下市浦(現在の観音寺市)にある専念寺の性誉和尚(せいよおしょう)を訪ね、ここでしばらく滞在します。性誉和尚は俳号を五梅(ごばい)といい、その師は一茶と同じく竹阿門でした。観音寺は室町時代に山崎宗鑑ゆかりの一夜庵があり、俳句が盛んな地でした。一茶は観音寺から伊予に入り、さらに九州に渡っています。
 寛政6年(1794)、一茶は再び讃岐を訪れ、翌年の3月まで専念寺に滞在しています。そのときは、金毘羅や高松、小豆島まで足をのばしています。
 寛政6年(1794)4月11日、金毘羅参詣をしたとき、その出立に際して、「 御ひらひら 蝶も金毘羅 詣りかな 」の句を詠んでいます。また、寛政7年(1795)正月、専念寺で、「 元旦や さらに旅宿と おもほへず 」の句を詠んでいます。

 東海道中膝栗毛でよく知られている十返舎一九も、いつの頃か定かでありませんが、若い頃讃岐に来て、金毘羅参詣をしています。一九はこの体験をもとにして、文化年間に「金毘羅参詣膝膝栗毛」と「方言修業(むだしゅぎょう) 金草鞋(かねのわらじ)」を著しています。金毘羅参詣続膝栗毛の初編序の冒頭にも「予、若年の頃、摂陽浪速にありし時、一とせ高知に所用ありて下りし船の序(ついで)に、象頭山に参詣し、善通寺、弥谷(いやだに)を遊歴したりしが、秀異勝景の地多くして、その感情、今に想像するに堪えず。」と記しています。
 金毘羅参詣続膝栗毛は、好評を博した「東海道中膝栗毛」の弥次郎兵衛・喜多八(この本では北八)のコンビによる金毘羅詣の話で、相変わらずすべてのことを笑いとばすこの二人の滑稽譚がエネルギッシュに語られています。方言修業金草鞋は、狂歌師鼻毛の延高、千久良(ちくら)坊の二人が主人公で、日本全国を巡り歩く形となっており、その中に讃州金毘羅が描かれています。

 「南総里見八犬伝」で有名な戯作者滝沢馬琴(曲亭馬琴)も、讃岐には来ていませんが、讃岐を舞台にした読本(よみほん)を何点か残しています。
 一つは「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」です。この物語は、崇徳上皇とともに保元の乱(ほうげんのらん)に敗れ、伊豆大島に流罪になった源為朝が琉球に渡り、危機に立つ王女を助けて賊軍を平定し、琉球王国を再建するという勧善懲悪の伝奇ものです。この中で、馬琴は源為朝が讃岐の白峯に赴き、かつての臣として崇徳院と対面する場面を描いています。また、観音寺の琴弾の宮で、為朝の妻白縫が夫の仇討ちをする場面を描いています。
 馬琴は「西遊記」をアレンジした「金毘羅船利生纜」(こんぴらぶねりしょうのともずな)という物語も書いています。金毘羅に向かう船中、旅人が同乗客に金毘羅の本地を語り始めるという設定で、火の神・軻偶突智(かぐつち)が、生まれた時にその火で母を死なせたため、父の伊弉冊(いざなぎ)に斬られ、その血が固まって二つの石となったのを父が遠くへ投げ打ったところ、一つが讃岐の国象頭山となり、もう一つが辺无量国(へんむりょうこく)の方便山に落ち、その山の石が、数万年後おのずから裂けて石折神(いわさきしん)となり、これが天狗を従えて乱暴狼籍の限りを尽くすので釈迦如来が大磐石を載せて懲らしめる、という奇想天外なストーリーです。
 また、歌舞伎や浄瑠璃でも有名な田宮坊太郎の仇討ちの話「金毘羅利生記」を、舞台を足利幕府の頃に置き換え、幼い坊太郎が剣術を磨きに瀬戸の海を渡るのを、象頭山の天狗が助けるという筋立てで書いています。
 馬琴は高松藩江戸家老の木村黙老(もくろう)と懇意だったことから、黙老を通じて讃岐の歴史や文化についてよく知っていたのかもしれません。

 浮世絵の「東海道五十三次」でよく知られている安藤広重(歌川広重)も、時期は不明ですが、讃岐に来て金毘羅参詣をしています。「六十余州名所図会」というシリーズ物の一枚として、象頭山を金毘羅街道より遠望した風景を描いています。なお、二代安藤広重は鼠島という小さい島を描いています。この島は子供の神様で知られる津島神社のある島です。

 江戸後期、化政文化を牽引した文化人にとって、金毘羅さんは興味のある題材だったのでしょう。なお、このほかにも、金毘羅参詣のため讃岐には多くの著名人も訪れています。
 例えば、雷電為右衛門は、寛政6年(1794)に多度津湊に上陸したらしく、元金毘羅多度津街道の鶴橋付近にあり現在は桃陵公園の登り口に移されている大鳥居の奉納者の中にその名前が見られるといいます。また、農政家として知られる二宮金次郎は文化7年に、「日本外史」を著した頼山陽は文化12年に、適塾を開いた医学者・緒方洪庵は文久2年(1862)にそれぞれ金毘羅を訪れています。

 また、化政文化の裾野は、文人や画家などの文化人だけでなく、町人など一般庶民にも広がり、今日の観光ガイドブックともいえるいわゆる名所図会が多く出版されています。金毘羅についても、弘化4年(1847)に、浪花の代表的な人気作家である暁鐘成(あかつきのかねなり・寛政5年(1793)~万延元年(1860))が、「金毘羅参詣名所図絵」を名所図会シリーズ第二作目として著しています。これは地誌としての色合いの濃いもので、地名、名所旧跡の説明も細かく、絵も精緻に描かれています。
 金毘羅には、森の石松が清水次郎長の名代で金毘羅参りをして刀を納めたという浪曲があります。江戸後期、金毘羅さんは町人や農民など一般庶民向けの芸能の題材にもなっていたということでしょう。ちなみに、「江戸っ子だってねぇ」「神田の生まれよ」と石松が江戸の商人と交わした会話のくだりは、金毘羅参りの帰り、大阪・八軒屋から伏見へ渡す船の中での場面です。
 「金毘羅船々 追手に帆かけて シュラ シュシュシュ 回れば四国は 讃州那珂之  郡 象頭山 金毘羅大権現 一度回れ・・・・・」という民謡は、江戸後期より大繁盛をみせた金毘羅船による参詣のにぎわいぶりをよく示しています。
●訪れてみたいところ

○妙法寺

 丸亀市富屋町の商店街を北へ少し歩くと左側に寺があります。参道の内側には「天台宗妙法寺別名蕪村寺」と「元三大師おみくじ所」の石柱が立っています。妙法寺には蕪村の筆跡を刻んだ「 門を出れハ我も行人秋のくれ 蕪村 」の句碑があります。
 丸亀の妙法寺に滞在した蕪村は、次の6点を残しています。
  紙本墨画 蘇鉄図 四曲屏風
  附 淡彩 寒山拾得襖張付 
    〃  山水図 四曲屏風
    〃  山水図  〃  
    〃  寿老人     
墨画 竹 図  

○金毘羅丸亀街道

 江戸時代中期から大正初年にかけて各地から金毘羅参りに来た人が利用した街道を、「金毘羅参詣道」、「金毘羅街道」などといいます。当時は、丸亀街道、多度津街道、高松街道、伊予土佐街道、阿波街道の5街道があり、現在も街道沿いに常夜灯、道標、丁石などが残っており、当時のよすがを知ることができます。
 この5街道のうち、最も栄えたのが丸亀街道です。丸亀中府-郡家-善通寺与北-満濃公文-琴平苗田-高灯篭の東に至る道です。
 丸亀中府に一の鳥居、琴平苗田に二の鳥居があります。

○琴平の文学碑

 琴平公会堂の庭の一隅に与謝蕪村の句碑があります。
  「象の眼の笑ひかけたり山桜   蕪村」
 宝物館の入口左手に、小林一茶の句碑があります。
  「おんひらひら蝶も金比羅参哉   一茶」

専念寺
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