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(106)“池田屋騒動で新撰組と白刃をまじえた讃岐の勤王志士”

 幕末の元治元年(1864)6月5日、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館池田屋に潜伏していた長州藩らの尊王攘夷派浪士を新選組が襲撃しました。これが池田屋騒動といわれている事件です。
 文久3年(1863)、長州藩を中心とする尊王攘夷急進派は八月十八日の政変で失脚し、朝廷では公武合体派が主流となっていました。この状況の下、京の街には、尊王攘夷派の浪士たちが潜伏し、勢力挽回を試みようとしていました。これに対して、京都守護職を務める会津の松平容保は、その配下の新選組を用いて、市内の警備や探索を行わせていました。
 翌年の元治元年(1864)5月下旬頃、古高俊太郎を捕らえた新選組は、その自白により、尊攘過激派の浪士が、祇園祭の前の風の強い日を狙って京都御所に火を放ち、その混乱に乗じて中川宮朝彦親王 を幽閉し、一橋慶喜(後の徳川慶喜)、松平容保らを暗殺し、孝明天皇を長州へ連れ去るという陰謀の存在を知ります。さらに、陰謀の実行、中止について協議する浪士たちの会合が池田屋か四国屋において行われる事を突き止めます。
 事態は一刻を争うと見た局長の近藤勇は、近藤隊10人と土方隊24人の二手に分かれ捜索を開始し、池田屋で謀議中の浪士を発見します。近藤勇沖田総司、永倉新八、藤堂平助の4名が斬り込み、真夜中の戦闘となりました。その後、土方隊が到着し、9名討ち取り4名捕縛の戦果を上げました。
 この事件で新選組の名は天下に轟きましたが、逆に尊攘派は宮部鼎蔵(ていぞう)らの実力者が戦死し、大打撃を受けました。桂小五郎(後の木戸孝允)は到着が早すぎたので一度本拠地にもどり時間を待っている間に事件が起きたので難を逃れています。
 新撰組と斬り合いをした勤王浪士は、ほとんど長州藩を中心とした土佐藩、肥後藩出身の者たちですが、この中に、讃岐出身の土肥七助がいました。
 七助は新撰組との斬り合いで池田屋を逃れ、堀川の潜伏先に隠れていたところを探索中の新撰組に見つかり包囲されますが、刀を振りかざしながら囲みを破り、堀川の流れに飛び込んで夜陰に乗じて危機を脱しといいます。

 土肥七助は、天保14年(1843)、丸亀京極藩士・土肥正助の息子として丸亀城下鷹匠町で生まれます。諱(いみな)を実忠(さねただ)といい、大作という6つ年上の兄がいまし
た。
 兄の大作は、諱を実光(さねみつ)といい、藩校正明館に学んだのち、当時わが国の最高学府だった江戸の昌平坂学問所で学びます。大作は、このときに接した師や学友たちの感化により勤王思想を持ち、安政6年(1859)に丸亀に帰った後、長州の高杉晋作、久坂玄瑞、品川弥二郎、土佐の中岡慎太郎ら諸国の勤王志士と親交を重ね、藩論を尊王へと導くように努めます。
 弟の七助は、学問もよくしたようですが、特に剣の腕に優れていました。少年の頃から剣の修行をして諸国を巡り、20歳頃には剣の使い手として知られています。その剣法は、かんぬきに差した長剣を膝をついで下からすり上げる「地ずり剣法」というものでした。七助も兄の影響で勤王家となり、文久3年(1863)7月、21歳のときに脱藩して、藩外での尊王攘夷運動に身を挺します。この頃、中央の政情は、下関での長州藩の外国艦船砲撃事件、天誅組の乱、八月十八日の政変、三条実美らの七卿落ちと、目まぐるしく動いていました。

 池田屋騒動のあと、七助は江戸に帰る水戸藩士の列に変装してもぐり込み江戸に行きます。しかし、その間に京都で蛤御門の変が起こったことを知り、再び京都に戻ります。そして、故郷の母が心配していることを知り、元治元年8月、大坂から船でいったん丸亀に帰り母と妹に再会しています。これが肉親との最後の別れでした。その後、七助は、慶応元年(1865)春、長州で三条実美卿らが大宰府へ落ちのびるのを見送って以後、消息が途絶えます。
 一方、兄の大作は、長州などの勤王志士と交友関係があったことから、丸亀藩が幕府から長州寄りと嫌疑を受けることを恐れ、慶応2年(1866)9月、謹慎を命じられます。
 しかし、慶応4年(1868)、鳥羽・伏見の戦いが起こり高松藩が朝敵となると、丸亀藩は多度津藩とともに、土佐藩兵で構成された高松征討軍に加わり、大作を出獄させて丸亀藩参謀とします。
 その後、大作は、明治新政府の官吏に登用され、民部省、大蔵省に出仕したり、各県の参事などを歴任します。この間、丸亀県創設の事務を指導するために帰藩していた際の明治4年7月、家禄削減に不平を持つ旧藩士51名の襲撃を受けます。これに対しては撃退しますが、明治5年5月、新治県(にいばりけん、茨城県土浦地方)の参事として赴任していたとき、割腹自殺を遂げます。その理由は明らかでありませんが、理想と異なる現実に絶望したのではないかともいわれています。享年36歳でした。
●訪れてみたいところ

○法音寺
 丸亀市南条町の法音寺に土居大作、七助兄弟の墓があります。なお、井上通女の墓もこの寺にあります。
○勤王碑
 丸亀城天守閣の下、月見櫓附近に土居大作と村岡宗四郎を記念した勤王碑が建てられています。
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幕末讃岐勤王史

 今日、久しぶりに、讃岐郷土史についてご造詣の深い某先生にお会いし、いろいろ讃岐の勤王史についてお話を伺うことができました。先生は、香川県経済界の重鎮ですが、独自の史観を持って讃岐の歴史・文化について研究をされておられます。
 先生は、以前から、讃岐の勤王家の活躍がほとんど地元でも知られていないのは残念だと語っておられました。
 筆者自身も、今回改めて調べてみて、讃岐の勤王家の活躍ぶりに驚きました。
 
 
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