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(103)“江戸の玉川上水より早く整備された高松城下の上水道”

 江戸時代、玉川上水は江戸城下の飲料水を供給する貴重な水源でした。現在の羽村市から新宿区四谷大木戸までの43kmが露天掘りで、四谷水番所から木樋や石樋などで地下水道となる本格的な上水道でした。この上水は、玉川庄右衛門と清右衛門の兄弟が私財を投じて工事を行い、開削工事を承応2年(1653)の4月4日から11月15日までに完了させ、翌年から江戸市中へ通水を開始したものです。
 高松城下では、この玉川上水より9年も早い時期の正保元年(1644)に、配水管を地中に埋めた本格的な上水道の敷設工事が行われています。
 瀬戸内海式気候の下にある讃岐は年間の降水量が少なく、昔から水不足に悩まされてきました。このため各時代の為政者も水の確保に並々ならぬ努力を傾け、空海の満濃池修築、菅原道真の雨乞いなど水にまつわる多くの物語が残っています。
 
 寛永19年(1642)、高松藩の初代藩主となった松平頼重は、生駒藩の後を受けて高松城に入りました。ところが、その翌年の夏の讃岐は日照り続きで、灌漑(かんがい)用水はもとより、城下では飲み水にも事欠くありさまでした。これをみた頼重は、正保元年(1644)、飲料水に乏しく困っている城下の住人のために上水道を敷設することとします。
 飲み水の水源地として使われたのは、城下の南はずれにある水田の灌漑用に利用されていた辻丸井の湧き水でした。この湧き水は、その大きさがほぼ東西18m・南北36mあり、湧き水の出る穴が甕(かめ)の形をしていたところから甕井(亀井)霊泉と呼ばれ、現在の亀井町という地名の由来になりました。
 そして、ここから地中に水道管を埋設して侍屋敷や町屋などの井戸まで水を導きました。その導水の原理は、井戸の水を汲むことによりその水位が下がれば、水源から井戸まで水が樋管を通って自然に流れ込むという水の性質を利用したものでした。
 水道管には、松材で作った内径約10cm四方正方形の木樋(もくひ)や竹樋を用い、それを土管や約40cm四方の箱桝(はこます)でつなぎました。そして、この水道管を地下約1.5mの深さに埋設して暗渠(あんきょ)としました。
 正保元年に造られた高松城下の上水道は、本格的なものとしてはわが国初めてのものといわれており、同じ本格的な江戸・玉川上水より9年も早い敷設でした。

 伝承では、松平頼重の命令によりこの上水道の敷設工事に携わったのは、矢延平六(やのべへいろく)だといわれています。平六は、慶長15年 (1610) の生まれで、頼重が常陸国(今の茨城県)の下館藩主をしていたときから仕え、寛永19年 (1642) に讃岐国高松に国替になったとき、頼重にしたがって高松に来たといわれています。平六は、身分は低かったようですが、優秀な土木家であり、生駒藩時代の西嶋八兵衛の後を受けて、ため池の築造工事に大きな功績を残しています。
 正保2年(1645)、讃岐は「正保の旱魃」といわれるたいへんな日照りに見舞われました。そこで、松平頼重は平六に命じて領内の溜池・導水路などの築造・改修を行わせています。讃岐では生駒藩時代までに966のため池が造られていたようですが、松平藩時代になって406のため池が造られたといわれています。その多くは頼重時代に平六が中心となって造られたものといわれています。平六が築いたといわれる主なため池は、新池(高松市香川町)、仁池(丸亀市飯山町)、楠見池(丸亀市飯山町)、北条池(綾川町綾南)、羽間池(高松市牟礼町)、小津森池(綾川町綾歌)、城池(高松市植田町)、宮奥池(東かがわ市白鳥町)などです。

 讃岐の水普請に大きな功績を残した矢延平六ですが、高松市香川町浅野にある新池の築造について次のような伝承が残されています。
 高松藩では、荒廃地の多い浅野村の開墾に着手しましたが、土地の高低差が大きいため灌漑に困っていました。そこで、寛文年間(1660~1670)に藩がため池を築造することになりました。平六は、大川原某および篠原某と話し合い、川東上村を流れている香東川の水を引いてくることとしました。そして多くの労力を費し、ついに川内原に面積26町歩にわたる新池を築きました。農民たちの喜びもひとしおでした。
 ところが、ため池工事の規模を必要以上に大きくして藩費を浪費したということで、平六は国外追放の罪を受けて阿波藩 (徳島)に亡命します。伝承では、平六がこの池を築いたのは「高松城を水攻めにするためである」と藩主に讒言(ざんげん)をした者があり、それによって平六は裸馬に乗せられて阿波の国に追放されたともいわれています。その日は、旧暦8月3日だとされています。平六を慕う農民たちは行き先を探しますが分かりませんでした。そこでせめてその恩に報い、これを後世に伝えようと新池を見下すことができる高塚山頂に小さい祠を建てて平六を神として祀ったということです。これが今の新池神社だといわれています。
 その後、平六は再び高松藩に23石2人扶持で仕え、貞享2年(1685) 7月1日に76歳で死去したとされています。
 新池のある地元では、旧暦の8月3日に、高塚山から新池までの間を、神輿の渡御と扮装した人がおどけながら練り歩く「ひょうげ祭り」が今も行われています。これは平六の慰霊にちなむものだといわれています。

 江戸時代の高松上水道は、初めはごく限られた地域で敷設されただけでしたが、城下町が広がるにつれて、次第に給水区域が広げられていきました。新たな水源地として西瓦町の大井戸や外磨屋町の今井戸などが設けられ、そこに石清尾山の自然の伏流水と今の栗林公園の北にあった霊源寺池などの水が導水され、さらにそこから城下に配水されました。
 しかし、高松の水不足がこれで解消されたというわけではなく、その後も、特に夏季には水不足に悩まされました。城下の町に水を売って歩く、水売りの姿がみられ、讃岐の独特の風情をつくっていました。
高松において近代的な上水道が敷設されるのは大正時代に入ってからです。香東川の水を水源として西方寺山の配水池へ揚水し、市内に配水されました。大正3年の末に工事にかかり大正10年11月3日完成し、通水式が行われました。

●訪れてみたいところ

○亀井戸跡・水神社
 旧高松城下の鍛冶屋町にあります。ここが水源地の辻丸井の湧水があったところでし。泉の水の涌き出る穴が甕(かめ)の形をしていたので、甕井の泉といわれ、これが亀井戸と呼ばれるようになりました。松平頼重はこの井戸のそばに水波能売神を祭神とする水神社を設けました。井戸は現存していませんが、水神社は残っています。

○大井戸
 旧高松城下の西瓦町にあり、現在も水をたたえています。

○今井戸跡・藤森神社
 旧高松城下の磨屋町にあります。ここは良質の清水が湧き出て藤蔓が繁茂していたので藤森といったといいます。ここにかまどをつかさどる神・興津彦命(おきつひこのみこと)・興津姫命(おきつひめのみこと)を祀り、藤森神社として敬神していました。今井戸は残っていませんが、藤森神社は残っています。

○新池と新池神社
 高松市香川町浅野にあります。

○ひょうげ祭
 高松市香川町浅野の高塚山にある新池神社を中心に、旧暦の8月3日にくりひろげられる牧歌的な祭礼で、古くから地元の人たちによって伝承されてきました。「ひょうげ祭」という呼び名は「ひょうげる」という方言からきており、「気軽でおどける」という意味です。祭典用具はすべて農作物や家庭用品などで整えられ、供侍となる人たちはそれぞれ工夫をこらした色あざやかなメーキャップをした仮装をします。神輿は浅野高塚山の山頂から東赤坂-坂下-道端-赤坂-丸山の部落を経て新池までの2キロ余りをひょうげてねり歩きながら行われます。
 この祭礼については、新池を築造した矢延平六の功績をたたえる、農作の祈願、藩に対するレジスタンス神事の芸能化などといろいろ意味づけられていますが、この地域では古くから地蔵盆の日に野菜その他で人形などを作ってみせる風習であったので、それがこの祭りにも採用されたのであろうといわれています。

○飛渡(ひわたし)神社
 綾川町富熊にある矢延平六を祀る神社です。昭和5年に碑が建てられています。それによると、仁池の完成後、冤罪で退任させられたが再度採用され、池の工事に力を尽くしました。74歳で隠居し、76歳のとき富熊で亡くなったといわれています。

○御殿浄水場
 高松市街の西、香東川右岸にあります。場内には西洋風木造建築物が保存されています。建築は、瓦葺平屋造りの事務室とポンプ室の2棟で、いずれも80数年前の大正5~7年に建築された旧御殿浄水場の施設でした。現在「高松市水道資料館」として活用され、館内にポンプ設備等の展示を見ることができます。
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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 これらのご質問に答えられるだけの知識を現在のところ持っておりません。申し訳ありません。
 もっと勉強してお答えできるようにしたいと思います。

高松の頼重上水

松平頼重が、矢延平六に命じて造らせた“頼重上水"?は、矢延平六が当時高松の大工町に住んでいた六百人の大工を使い約一ヶ月で造り上げたと聞いたことがあるのですが本当でしょうか?

玉川上水は,誰がつくったのですか?

玉川上水は、讃岐を離れた西島八兵衛がその技術者として招かれたと聞いたことがあるのですが、本当でしょうか?
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