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(91)“讃岐に来て歌を詠んだ万葉歌人柿本人麻呂”

  万葉集第一の歌人といわれる柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)は、7世紀後半から8世紀前半にかけて、飛鳥時代の持統朝(在位:686年 - 697年)と文武朝(在位:697年 - 707年)の宮廷で活躍した歌人です。人麻呂は、平安時代以降「歌の聖」として崇められ、やがて「歌の神」といわれるようになります。
 「万葉集(まんようしゅう)」は、7世紀後半から8世紀後半頃にかけて、天皇、貴族から下級官人、防人(さきもり)ら様々な身分の人々が詠んだ歌を4500首以上も集めた日本最古の歌集です。その成立は奈良時代の759年(天平宝字3)以後と見られ、素朴で率直な歌いぶりに特徴があるとされています。まだ仮名文字が作られていなかった頃だったので、全文が漢字で漢文の体裁により表記されていますが、漢字の意味とは関係なく、漢字の音訓だけを借用して日本語の語順で書かれています。これを万葉仮名といいます。
 万葉集には、人麻呂が詠んだ長歌19首・短歌75首が掲載されていますが、この中には、讃岐に来て詠んだ歌があります。

 人麻呂については史書に記載がなく、その生没年、経歴等は一切不明です。その生涯については謎とされていますが、645年の大化改新の前後に生まれのではないかと推測されています。この頃の讃岐では、大化改新の後の667年に屋島城(やしまき)が築かれたと日本書紀に記されています。この城は、663年に倭国が唐と新羅の連合軍に白村江の戦いで破れたため、その侵攻に備えて築かれたものといわれています。
 制作年代が明らかな人麻呂の最初の歌は、680年 (天武9)の人麻呂歌集(ひとまろかしゅう)七夕歌の中の一首だといわれており、天武朝(在位:673年 - 686年)に歌人としての活動を始めたと考えられています。この直前の672年 (天武元)には、大海人皇子と大友皇子が争い、壬申の乱が勃発しています。
 人麻呂が宮廷歌人として万葉集に登場するのは次の持統天皇の代(在位:686年 - 697年)からで、行幸に従駕して天皇を讃える歌や、草壁皇子(くさかべのみこ)殯宮挽歌(ひんきゅうばんか)など皇子たちの死を悼んだ歌を公の場で詠んでいます。
 人麻呂は長く宮廷に仕えて、多くの荘重な歌を残しましたが、制作年代が明らかな最後の歌は、700年 (文武4)の、明日香皇女(あすかのひめみこ)殯宮挽歌です。この後、宮廷を離れた人麻呂は、筑紫や讃岐国など各地を転々とし、最後に石見国で妻に見取られることなく、六位以下の下級官吏で生涯を終えたとされています。それは710年の平城京遷都の前頃までではないかと推測されています。

 筑紫や讃岐国など各地を転々としていた頃に作られたものと思われますが、「万葉集」巻二には、人麻呂が、「中之水門(なかのみなと)」より舟で狭岑(さみ)島に来て、岩の中に横たわる行き倒れの死人を見て詠った次の長歌1首と短歌2首が収められています。
  玉藻(たまも)よし 讃岐の国は 国柄(くにがら)か 見れども  飽かぬ 神柄(かみがら)か ここだ貴(とうと)き 天地(あめ  つち) 日月(ひつき)とともに 満(た)り行かむ 神の御面   (みおも)と 継ぎ来たる 中之水門(なかのみなと)ゆ 船浮け  て 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立  ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(か  しこ)み 行く船の 梶引き折りて 彼此(おちこち)の 島は多  けど 名ぐはし 狭岑(さねみ)の島の 荒磯面(ありそも)に   廬(いほ)りて見れば 波の音(と)の 繁き浜辺を 敷栲(しき  たえ)の 枕になして 荒床(あらとこ)に より臥(ふ)す君が  家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉鉾(た  まほこ)の 道だに知らず おぼほしく 待ちか恋ふらむ 愛    (は)しき妻らは
    反歌二首
  妻もあらば 摘(つ)みて食(た)げまし 沙弥(さみ)の山 野  の上(へ)の宇波疑(うはぎ) 過ぎにけらずや
  沖つ波 来よする荒磯(あらいそ)を しきたへの 枕とまきて   寝(な)せる 君かも
 この歌は、死人を見た人麻呂が憐れに思い、家がわかれば知らさねば、妻が飛んでくるであろうに。妻がいれば一緒につんで食べもしよう「よめな」(宇波疑)はもう盛りが過ぎたが、と詠んだものです。
 歌の中に出てくる「中之水門(なかのみなと)」とは「那珂の港」をいうとの説もあり、今の丸亀市中津の金蔵川河口付近ではないかと考えられています。また「狭岑島」とは今の沙弥島と考えられています。
人麻呂については謎だらけで、なぜ讃岐に足跡を残したのかも不明です。しかし、讃岐に来たことは史実でしょう。

 いわゆる、遣唐使の瀬戸内海航路としては、摂津、播磨、吉備(備前・備中・備後)、安芸、周防という本州側のルートが言われていますが、さかのぼる時代では、四国側のルートもあったのではないかと考えられています。人麻呂はこのルートで讃岐にやってきたのでしょう。風や潮のぐあいにあわせて、舟は讃岐の沿岸の港に寄港しながら航行したと思われます。
 万葉集巻一にも、舒明 (じょめい) 天皇(在位629~641)が伊予の湯宮(道後温泉)へ海路で行幸した帰りに讃岐の安益(あや)郡(綾歌郡)に立ち寄ったとき、その従者の軍王(いくさのおおきみ)が山を見て作ったという歌が載っています。
  霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず 村肝(むらぎ  も)の 心を痛み 鵼子鳥(ぬえこどり) うらなげ居れば 玉襷  懸(たまだすきかけ)のよろしく 遠つ神 わご大君(おおきみ)  の 行幸(いでまし)の 山越す風の 独(ひとり)居る 吾が衣  手に 朝夕に 還らひぬれば 大夫(ますらお)と 思へる吾も   草枕 旅にしあれば 思ひ遣る たづきを知らに 網の浦の 海処  女(あまおとめ)らが 焼く塩の 思ぞ焼くる 吾がしたごころ
    反歌
  山越(やまごし)の 風を時じみ 寝(ね)る夜おちず 家なる妹  (いも)を かけてしねびつ
 この歌は「網の浦」に船を寄せたとき長旅のわびしさに妻への思慕を詠ったものですが、「網の浦」は今の宇多津の津の郷の辺り、「山越(やまごし)の風」とある山は津の山、を指したものではないかという説もあります。

 人麻呂が立ち寄った頃の讃岐では、大宝年間(701~704)に、国守・道守朝臣(ちもりのあそん)により満濃池が築造されたといわれています。空海が修築したのはそれから約120年後のことです。また、讃岐の志度の玉とり海女の伝承も人麻呂が生きた頃の物語です。
 讃岐の沖合いを船で航行すると、海に島が次々と現れ、また讃岐富士(飯野山)をはじめとする秀麗な姿の山々を南に見ることができます。人麻呂はこの景色を見て、「玉藻よし 讃岐の国は 国柄(くにから)か 見れども飽かぬ」と詠んだのでしょう。

●訪れてみたいところ

中津万象園
 丸亀城から西へ約2.5キロ、金倉川河口にあります。丸亀二代藩主京極高豊によって貞享5年(1688)に築かれた池泉回遊式大名庭園です。名は森羅万象に由来し、京極氏の故郷である近江国の琵琶湖をかたどった八景池が掘られ、近江八景を模した島々が浮かびます。園内には、ミレーやコローなどの巨匠の名画を展示している絵画館、ひな人形を収蔵したひいな館、ペルシャ陶器などを展示した陶器館から成る丸亀美術館が併設されています。
 美術館の入口の手前に柿本人麿の歌碑が立っています。

沙弥島
 塩飽諸島の中で最も四国に近い島で、昭和42年(1967)、番の州埋立事業の竣工により陸続きとなりました。この島は瀬戸内海自然公園に指定され、今でも万葉の風情を残しています。
柿本人麻呂碑)
 坂出市出身の作家である中河与一の撰により、昭和11年に島の北側の海浜に立てられました。
(愛恋無限の文学碑)
 柿本人麻呂碑の近くに愛恋無限の碑が立っています。「愛恋無限」は、中河与一が昭和10年12月から昭和11年4月まで、朝日新聞に連載した小説です。この小説の最終舞台が沙弥島になっています。この碑は昭和52年に建立されました。
(ナカンダ浜遺跡)
 ナカンダ浜は北東面にあります。この浜では、縄文式土器、サヌカイト製石器が出土し、製塩に使用されたと考えられる古填時代前~後期(4~7世紀)の師楽(しらく)式製塩土器も出土しています。
(白石古墳)
 ナカンダ浜の西の山にあります。眼下にナカンダ浜を見下ろし、須恵器・金環などのほか師楽式土器が出土しています。
(千人塚)
 島の南側の権現山(28m)の西端に古墳時代前期頃の方墳千人塚があります。沙弥島の出身といわれる理源大師聖宝(839年~909年)の母の墓とこの島では伝えられています。聖宝は讃岐五大師の一人で、京都醍醐寺を開きました。
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