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(87)“志賀直哉の「暗夜行路」に描かれた多度津の港と鉄道”

  多度津の港は古くから良港として栄え、その名の示す通り多くの船が出入りし、江戸時代の中頃には、九州や中国方面からの金比羅詣りの西廻り船が多く来ていました。その頃の港は櫻川の河口港でしたが、五代多度津藩主・京極高琢(たかてる)は、天保6年(1835)から5か年計画で大拡張改修工事を計画し、総工費6200両余という巨費を投じて、内海屈指の港を完成させました。この湛甫(たんぽ)の完成により、金毘羅船はもとより近海の漁船をはじめ五島船や北前船も出入りするようになり、多度津の町はますます活気づきました。
 幕末になると多度津の港は丸亀の港を凌いで、讃岐三白の砂糖や塩、綿を積み込み、西廻り航路で日本海に抜け、越前、佐渡や遠くは北海道まで廻航し、帰りには干鰯、塩鯖、扱苧、鉄、半紙、肥料などを持ち帰って手広く売りさばく北前船の基地となりました。こうして多度津の町は、千石船とともに、廻船問屋、よろづ問屋、干鰯問屋などが集まる商家の町として全盛をきわめました。

 明治時代に入ると、多度津から香川県内で初めて鉄道の建設が始まりました。多度津の景山甚右衛門(かげやまじんうえもん)ほか17名が讃岐鉄道株式会社を設立し、金毘羅参詣客をあてこんで建設したものです。
 甚右衛門は、幕末の安政2年(1855)に、多度津の回船問屋大隈屋の5代目として生まれました。明治11年、血気盛んな二十歳の頃、自家の千石船に乗って上京したとき、新橋~横浜間を走る汽車を目にし、讃岐に鉄道を開設する決意をします。明治18年、29歳のときに計画し、4年かって、多度津を起点とする琴平と丸亀間の15.5キロを明治22年5月23日に開通させました。
 しかし、この開通はすんなりと進んだわけではなく、岡蒸気が走るという噂が広がると、当時の馬方(うまかた)や人力車夫たちは、生活ができなくなるといって、連日、甚右衛門宅に押しかけ「やめなければ、家を焼き払うぞ」といって脅したといわれています。
 開通時の機関車はドイツのホーヘンオレルン社製のタンクで、客車はマッチ箱のような型をしていました。貨客4両編成で、上、中、下等の3ランクに分かれ、今とは逆に琴平行きが上りになっていました。後には食堂車も走らせ、袴(はかま)をつけた「女ボーイ」が給仕をしたそうです。
 わが国で初めて鉄道が開通したのは、明治5年5月7日(1872)の横浜~品川間ですから、讃岐鉄道の開通はそれから17年後のことでした。なお、これは全国では7番目、四国では松山の伊予鉄道に遅れること7ヶ月で2番目でした。ただし、明治9年8月から明治21年12月までの間、讃岐は愛媛県に編入されていた時代であることを考えると、このことは讃岐の実業家の意気軒昂さを示すものといえるでしょう。

 一方、多度津港は、明治期に入り、大型船の入港ができるようにするため、浚渫、港内改築が行われました。明治27年の船舶入港数は多度津港が30,737艘であったのに対し、高松港は3,430艘であり、多度津港は県内最大の港湾でした。なお、日露戦争(明治37年~38年)の時に「一太郎やーい」の美談が生まれたのもこの港です。
 多度津港はその後も絶えず改修が重ねられ、特に明治40年の頃からは町営事業として桟橋工事、突堤築造、浚渫(しゅんせつ)、埋立て工事等が行われて有数の良港となり、大阪商船や関西汽船等が出入りしました。
 こうして多度津は明治43年に宇高連絡線が開通するまで、港と鉄道によって四国の玄関としての地位を占めました。

 また多度津は香川県の電力事業の拠点でもありました。明治40年、景山甚右衛門は、需要の伸び悩みから創立以来10年間も無配で経営不振だった讃岐電気株式会社(旧西讃電灯株式会社)の再建を託されます。明治43年、甚右衛門は社名を「四国水力電気株式会社」(四水(しすい)と略称された。)と改称し、当時中央電力界の第一人者であった福沢桃介(ももすけ)を懇請のうえ大正元年に社長として迎え入れ、経営の刷新を図ります。福沢桃介は福沢諭吉の女婿(じょせい)です。大正3年(1914)、四水の本社は多度津に設けられています。
 その後、四水の経営は福沢桃介から甚右衛門に引き継がれ、県内のほとんどの電灯会社をつぎつぎと合併して県下の電力供給を一手に引き受ける「四水王国」を築いていきます。また、東讃電気軌道会社(高松~志度)や、高松電気軌道株式会社(高松~長尾)、琴平電鉄株式会社(高松~琴平)など電車部門もその傘下に入れていきます。
 甚右衛門は、昭和12年10月19日83歳で死去するまで30年近く四水の経営に携わり、全国電力業界では「四水の景山」として知られていました。鉄道、電力のほか銀行の創業や経営にもたずさわり、貴族院議員として中央政界でも活躍し、いわゆる地域開発の先覚者といえる人物です。

 明治・大正の初めにかけて、多度津は香川県の近代産業の中心として栄えました。多度津には「多度津の七福神」と呼ばれた大地主あるいは実業家が居住し、大正時代には大邸宅が多く建てられました。

 大正2年(1913年)2月、志賀直哉は尾道から船に乗り、多度津港へ上陸し、琴平・高松・屋島を旅行しています。その旅行を基に書かれた小説「暗夜行路」前編の第2の4には、当時の多度津の港や駅の様子が次のように描かれています。なお、当時の多度津駅は桜川の河口に面する現在の多度津町民会館の位置にありました。
 「多度津の波止場には波が打ちつけて居た。波止場のなかには達磨船、千石船といふやうな荷物船が沢山入つて居た。
 謙作は誰よりも先に桟橋へ下りた。横から烈しく吹きつける風の中を彼は急ぎ足に歩いて行つた。丁度汐が引いてゐて、浮き桟橋から波止場へ渡るかけ橋が急な坂になつてゐた。それを登つて行くと、上から、その船に乗る団体の婆さん達が日和下駄を手に下げ、裸足で下りて来た。謙作より三四間後を先刻の商人風の男が、これも他の客から一人離れて謙作を追つて急いで来た。謙作は露骨に追ひつかれないやうにぐんぐん歩いた。何処が停車場か分らなかつたが、訊いてゐると其男に追ひつかれさうなので、彼はいい加減に賑やかな町の方へ急いだ。
 もう其男もついて来なかつた。郵便局の前を通る時、局員の一人が暇さうな顔をして窓から首を出してゐた。それに訊いて、直ぐ近い停車場へ行つた。
 停車場の待合室ではストーヴに火がよく燃えてゐた。其処に二十分程待つと、普通より少し小さい汽車が着いた。彼はそれに乗つて金刀比羅へ向つた。」
●訪れてみたいところ

○旧多度津駅跡・JR多度津駅
 明治22年に讃岐鉄道が開業した当時の多度津駅は、桜川の河口に近い須賀町(現在の多度津町民会館の位置)にありました。川に面して洋風木造2階建ての本社兼駅が建っていました。現在のJR多度津駅は、大正2年12月20日に多度津~観音寺間が開通したことに伴い移転したものです。旧多度津駅舎敷地はその後、国鉄四国病院用地となり、さらに現在の多度津町民会館用地となりました。
 なお、現在の多度津駅には「四国の鉄道発祥の地」の碑があります。

○JR四国多度津工場
 この工場は明治時代に讃岐鉄道会社の車両修繕場として、旧多度津藩の陣屋屋敷の敷地に建設されました。JR各社の所管する鉄道工場としては、全国で2番目に古い沿革をもっています。明治39年の鉄道国有化により国鉄多度津工場となりました。地元の人はこの工場を「工機部(こうきぶ)」と呼んでいました。
 この工場は最盛期には2千人を超える職員が働いていました。鉄道関係の資料が展示されているほか、戦前・戦中の建物・施設が今も残っており、鉄道博物館ともいえる存在です。中でも、戦後移築され現在会食所として使われている旧西条海軍航空隊格納庫は希少な残存軍事関係遺構です。

○多度津港
 明治期において四国の玄関口の座を高松港と争い、その末期には多額の費用を費やして大改修が行われました。しかし、明治43年の宇野線開通・宇高連絡航路の開設により、その地位は高松港に奪われました。このため、多度津港には、明治期に築造された防波堤などが現存しており、当時の築港を見ることができます。

○四国電力株式会社多度津営業所
 明治30年4月に西讃電気株式会社が創立され、明治36年3月15日から丸亀、多度津に電灯供給を行いました。同社は開業に先立って社名を「讃岐電気」に改め、明治43年12月に「四国水力電気(四水)」と改称しました。大正3年12月、多度津町反橋483番地(京町1-4)に、洋風2階建ての社屋が新築され、四水の本社が移転されました。
 昭和26年5月1日、四国電力株式会社が誕生し、高松市に本店、多度津には5支店が置かれました。昭和31年11月、四国電力本社ビルが高松市内町に落成し、多度津の香川支店も同7日に移転しました。これにより大正3年以来42年間における多度津の電力事業の拠点としての歴史は幕を閉じました。
 現在の四国電力株式会社多度津営業所前には、四水発祥の地を記念して、景山甚右衛門の胸像が発祥地碑とともに併設され、その遺徳を称えています。

○桃陵公園
 「一太郎やーい」の像のある展望台では、多度津の港と町並みを眺めることができます。
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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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