(番外3) 讃岐の方言(1)
(1)『いた』・『つか』
“これ、いた”とか“これ、つか”というように、両語とも、“ください”、“ちょうだい”、という意味です。「いた」は東讃岐、「つか」は西讃岐で使われています。坂出辺りが境界でしょうか。「いた」は“いただけますか”、「つか」は“つかわしてください”という言葉の省略形でしょう。
筆者は西讃岐の出身ですので、「つか」を使っていました。子供の頃、10円玉を手に握りしめて菓子屋へ行き、“おばはん、飴つか”と言っていました。高松で仕事をし始めた頃、隣の人から“それ、いた”と言われて何を言っているのか分からなかったことを記憶しています。子供の頃にインプットされた語感はなかなか抜けないものでしょうか。今でも“いた”という言葉には少し違和感が残ります。
(2)『ごじゃ』・『わや』
「ごじゃ」は“じょうだん”とか“あやまり”という意味です。例えば、“ごじゃを言うな”というのは“じょうだん(あやまり)を言うな”というような意味あいです。この他に「ごじゃ」という言葉には、“むちゃくちゃ”とか“でたらめ”いうような意味もあるようです。あまりきれいな言葉ではありませんが、「ごじゃ」に「くそ」をつけた「ごじゃくそ」という言い方もあります。
また、高松の年配の人から「ごじゃはげ」という言葉を聞いたことがあります。「ごじゃ」に「はげ」を付け加えた言葉で、「ごじゃ」よりさらに強烈な“まったくのでたらめ”というような意味あいでしょう。この「ごじゃはげ」という言葉は高松でも最近ではあまり聞かれません。筆者はかつて頭が禿げている人の前で“ほんまに、ごじゃはげやで”と言ってしまい、バツの悪い思いをした経験があります。
「ごじゃ」に似た言葉に「わや」というのがあります。“むちゃくちゃ”とか“乱暴”、“でたらめ”というような意味です。これに「くそ」を付け加えた「わやくそ」という言い方もあります。子供の頃、“わやくそを言うな”と叱られた記憶があります。
(3)『いたい』
讃岐では“熱い”ことを「いたい」ということがあります。例えば、風呂に入ろうとして湯が熱かったとき、“いたた”と言ってしまいます。筆者の母親は大阪育ちで、讃岐に嫁いできたのですが、結婚当初、讃岐の生まれ育ちの父親が風呂に入ったとき、風呂場から“いたた”という大声が聞こえてきて、何事が起きたのかとビックリしたそうです。筆者も子供の頃、風呂の湯が熱かったとき“いたー”と言っていたように記憶しています。もちろん、讃岐でも“痛い”ときには「いたい」という言葉を使いますが、“熱い”ことも「いたい」と言うのは他県の人にとっては驚きなのでしょう。
(4)『おどれ』
讃岐では、相手のことを指す言葉に“おどれ”という方言があります。しかし、“あなた”とか“きみ”というような相手を丁寧に指していう言葉ではありません。あまり丁寧でない言い方に“おまえ”という言葉がありますが、“おどれ”はもっと下品で粗野な言葉です。
語源はよく分かりませんが、相手を見下したり、軽蔑、威圧、喧嘩するときにしか使われません。現在は、まず普通一般の人には使われることのない言葉でしょう。
しかし、筆者は50歳の半ばですが、小学校の低学年の頃、友達と喧嘩になったとき、“おどれ”を使っていた記憶があります。例えば、“おどれ何いうとんじゃ”と言っていたように思います。それからずっと“おどれ”を使ったことも聞いたこともありませんでした。
ところが、社会人になってから、仕事で威圧的な人と交渉をしたときに、“おどれ”と言われたことがあります。そのとき、怖いという気持ちよりも、なにか懐かしさを感じ、つい笑ってしまいそうになりました。
(5)『ほんでのー』・『ほんでだ-』・『ほんでな-』・『ほんでご-』
いずれも、“それでね”という意味で、前から述べてきた話しを受けて新しく話しを発展させるときの最初に使います。
高松辺りでは「ほんでの-」と言っているでしょう。「ほんでの-え」というように延ばして言うところもあります。
東讃辺りでは「ほんでだ-」、
中讃辺りでは「ほんでな-」、
西讃辺りでは「ほんでご-」でしょう。
讃岐でも地域によって、「の」、「だ」、「な」、「ご」と語尾が違うのはおもしろいことです。
(6)『あのの』・『あのだ』・『なのな』・『あのご』
いずれも、“あのね”という意味で、人に呼びかけるときに使います。これも上と同じで、「の」、「だ」、「な」、「ご」とそれぞれ地域によって語尾が変わります。
(7)『そやきん』・『そやけん』・『ほんだきん』・『ほんだけん』
いずれも、“それだから”、“そういうわけだから”という意味です。語尾が「きん」と「けん」の場合がありますが、「きん」は西讃岐、「けん」は東讃岐でしょう。
(8)『の-』
(5)、(6)のところで、「ほんでのー」と「あのの」は主に高松辺りで使われていると述べましたが、西讃でも使われています。ただし、西讃では「ほんでのー」・「あのの」は男言葉として使われているようです。西讃の女性が「ほんでのー」・「あのの」と言うことはあまりないようです。西讃の女性は「ほんでな」・「あのな」というように語尾に「な」を使っていると思います。
ところが高松辺りでは女性も「ほんでのー」・「あのの」を使うようです。筆者は西讃の出で、今から30年ほど前から高松で働いています。就職して汽車で高松に通勤し始めたとき、高松駅から乗ってきた女子高校生達が「ほんでのー」・「あのの」を連発しながら会話をしているのを聞きビックリした記憶があります。高松の職場でもおばさん達から「ほんでのー」・「あのの」と語りかけられ、当時若かった筆者はカルチャーショックを受けました。
ただし、高松でも今の若い女性から「ほんでのー」・「あのの」を聞くことはあまりありません。高松生まれで高松育ちの高校生の末娘に聞いてみても、友達どうしで「ほんでのー」・「あのの」を使うことは無いといいます。
高松では女性の「ほんでのー」・「あのの」言葉はすでに死語になってしまったのでしょうか?それとも、筆者が女性からその言葉を聞いても何の違和感も感じなくなったのでしょうか?
(9)『ごくとれ』
これは“怠け者”とか“道楽者”という意味で、飯を食うだけで何もせずぶらぶらしている者を指す“ごくつぶし”とほぼ同じで意味でしょう。
この言葉は人をののしたり、軽蔑するときに使われます。しかし、筆者はこの言葉を聞くと、ある同級生のことを思い浮かべ、つい笑ってしまいます。
筆者が中学校に入学したとき、「ごくとれ」というあだ名の同級生がいました。その同級生は筆者とは別の小学校から来ていたのですが、同じ小学校にから来た別の同級生から「ごくとれ」と呼ばれていました。小学校時代から「ごくとれ」と呼ばれていたのでしょう。なぜそのようなあな名がついたかはわかりません。
そのあだ名を聞いたとき、筆者は少し驚きましたが、その同級生はあだ名で呼ばれても別に怒りもせず、悲しそうもせず、平気な顔をしていました。
そのうち筆者もその同級生と仲良くなり、「おい、ごくとれよ」と呼ぶようになりました。もちろん、その同級生も筆者のことをあだ名で呼んでいました。
(10)『けっこい』
これは“きれい”とか“美しい”という意味です。例えば、“けっこい人”とか“あすこの娘さんはけっこい”というように使われます。おそらく、美しい女性を指していうときに用いられ、景色が“けっこい”とはいわないのではないかと思います。
この言葉は西讃辺りの方言ではないかと思います。高松辺りではあまり聞いたことがありません。
語源はよく分かりませんが、“けっこうだ”からきているのでしょうか?
(11)『たすい』・『またい』・『うすげな』
人が“頼りない”、“とろい”、“間が抜けている”、“弱い”、“もろい”などという場合に使われる言葉です。反対は“しっかりしている”ということでしょう。“たすい奴ちゃ”、“またい奴ちゃ”、“うすげな奴ちゃ”など、人を非難的に言うときに使われるでしょう。
「うすげな」というのは高松辺りで使われる言葉でしょうか。かつて筆者も先輩から“うすげに言うなよ”とよく叱られました。
(12)『へらこい』
“こすい”、“ずるい”などという意味です。この言葉も“へらこい奴ちゃ”など、人を非難的に言うときに使われます。
これに似たようなもので、筆者は「すことい」という言葉を高松で聞いたことがあります。かつて先輩が“すことい奴ちゃ”とよく言っていました。“抜け目がない”、“計算高い”、“ちゃっかりしている”という意味でしょう。これは高松辺りの方言でしょうか?あまり他の人から聞いたことはありませんが、筆者はよく憶えています。なぜなら、そう言われていたのは筆者でしたから。
(13)『何しょんな』・『何がでっきょんな』
いずれも、“どのようにしていますか”とか“ご機嫌はどうですか”という意味の挨拶言葉です。標準語で直訳すると“何をしていますか”という意味ですが、別に本当に何をしているかを聞いているわけではありません。
どちらかというと、西讃では「何しょんな」を使い、東讃では「何がでっきょんな」を使う場合が多いのではないでしょうか。西讃の生まれ育ちの筆者は、「何がでっきょんな」と言われると、つい本当に自分が今していることを説明しなければいけない気持ちになってしまいます。
(14)『うれしげにするな』
「うれしげ」を標準語で言うと、“嬉しそうな”すなわち“心がはれやかで楽しそうだ”という意味になります。したがって、「うれしげにするな」を標準語で直訳すると、“楽しそうにするな”という意味になります。
ところが、讃岐の「うれしげにするな」という言葉は、少し標準語とはニュアンスが異なっているようです。讃岐では得意そうになっている人や目立った振る舞いをしている人をやっかんで言うときに、「あいつ、うれしげにしやがって」とか「おまえ、うれしげにすな」というような言い方をします。省略形で「うれげにすな」とも言います。
いい成績をとったり、先生や上司からほめられると、誰でも心がはれやかで楽しい気持ちになります。しかし、それが顔の表情や態度に出ると、「うれしげにしやがって」といわれることがあるということです。
讃岐人の欠点の一つとして、人の足を引っ張るということがよく言われています。「うれしげにするな」という言葉には、ねたみ強い讃岐人の県民性が出ているのかもしれません。
(15)『りこげにするな』
「りこげにすな」、「りこげにしやがって」、「りこげに言うな」と、この言葉は人に対して否定的に言う場合に使います。
「りこげ」を書き言葉にすると“利口げ”となり、その標準語的な意味は“利口そうだ”とか“賢そうだ”ということになります。したがって、「りこげにするな」をそのまま標準語的に直訳すると“利口そうにするな”、“利口ぶるな”とか“賢そうにするな”、“賢ぶるな”という意味になります。最近の言葉でいうと、“ええかっこするな”、“ええかっこ言うな”というぐらいの意味でしょう。
この言葉は人の話の腰を折るときによく使われます。ある人が真面目に正論を言っている途中で、他の人が「なかなか、りこげに言うの-」と一言入れると、それで話は中断してしまいます。一種の殺し文句でしょうか。
讃岐人はぶりっ子が嫌いなのでしょうか。真面目に見える人は生意気そうに見えるのでしょうか。この言葉にも讃岐人の悪いところが出ているような気がします。また、この言葉はいじめに使われてきているように思います。あまり使われたくない言葉です。
“これ、いた”とか“これ、つか”というように、両語とも、“ください”、“ちょうだい”、という意味です。「いた」は東讃岐、「つか」は西讃岐で使われています。坂出辺りが境界でしょうか。「いた」は“いただけますか”、「つか」は“つかわしてください”という言葉の省略形でしょう。
筆者は西讃岐の出身ですので、「つか」を使っていました。子供の頃、10円玉を手に握りしめて菓子屋へ行き、“おばはん、飴つか”と言っていました。高松で仕事をし始めた頃、隣の人から“それ、いた”と言われて何を言っているのか分からなかったことを記憶しています。子供の頃にインプットされた語感はなかなか抜けないものでしょうか。今でも“いた”という言葉には少し違和感が残ります。
(2)『ごじゃ』・『わや』
「ごじゃ」は“じょうだん”とか“あやまり”という意味です。例えば、“ごじゃを言うな”というのは“じょうだん(あやまり)を言うな”というような意味あいです。この他に「ごじゃ」という言葉には、“むちゃくちゃ”とか“でたらめ”いうような意味もあるようです。あまりきれいな言葉ではありませんが、「ごじゃ」に「くそ」をつけた「ごじゃくそ」という言い方もあります。
また、高松の年配の人から「ごじゃはげ」という言葉を聞いたことがあります。「ごじゃ」に「はげ」を付け加えた言葉で、「ごじゃ」よりさらに強烈な“まったくのでたらめ”というような意味あいでしょう。この「ごじゃはげ」という言葉は高松でも最近ではあまり聞かれません。筆者はかつて頭が禿げている人の前で“ほんまに、ごじゃはげやで”と言ってしまい、バツの悪い思いをした経験があります。
「ごじゃ」に似た言葉に「わや」というのがあります。“むちゃくちゃ”とか“乱暴”、“でたらめ”というような意味です。これに「くそ」を付け加えた「わやくそ」という言い方もあります。子供の頃、“わやくそを言うな”と叱られた記憶があります。
(3)『いたい』
讃岐では“熱い”ことを「いたい」ということがあります。例えば、風呂に入ろうとして湯が熱かったとき、“いたた”と言ってしまいます。筆者の母親は大阪育ちで、讃岐に嫁いできたのですが、結婚当初、讃岐の生まれ育ちの父親が風呂に入ったとき、風呂場から“いたた”という大声が聞こえてきて、何事が起きたのかとビックリしたそうです。筆者も子供の頃、風呂の湯が熱かったとき“いたー”と言っていたように記憶しています。もちろん、讃岐でも“痛い”ときには「いたい」という言葉を使いますが、“熱い”ことも「いたい」と言うのは他県の人にとっては驚きなのでしょう。
(4)『おどれ』
讃岐では、相手のことを指す言葉に“おどれ”という方言があります。しかし、“あなた”とか“きみ”というような相手を丁寧に指していう言葉ではありません。あまり丁寧でない言い方に“おまえ”という言葉がありますが、“おどれ”はもっと下品で粗野な言葉です。
語源はよく分かりませんが、相手を見下したり、軽蔑、威圧、喧嘩するときにしか使われません。現在は、まず普通一般の人には使われることのない言葉でしょう。
しかし、筆者は50歳の半ばですが、小学校の低学年の頃、友達と喧嘩になったとき、“おどれ”を使っていた記憶があります。例えば、“おどれ何いうとんじゃ”と言っていたように思います。それからずっと“おどれ”を使ったことも聞いたこともありませんでした。
ところが、社会人になってから、仕事で威圧的な人と交渉をしたときに、“おどれ”と言われたことがあります。そのとき、怖いという気持ちよりも、なにか懐かしさを感じ、つい笑ってしまいそうになりました。
(5)『ほんでのー』・『ほんでだ-』・『ほんでな-』・『ほんでご-』
いずれも、“それでね”という意味で、前から述べてきた話しを受けて新しく話しを発展させるときの最初に使います。
高松辺りでは「ほんでの-」と言っているでしょう。「ほんでの-え」というように延ばして言うところもあります。
東讃辺りでは「ほんでだ-」、
中讃辺りでは「ほんでな-」、
西讃辺りでは「ほんでご-」でしょう。
讃岐でも地域によって、「の」、「だ」、「な」、「ご」と語尾が違うのはおもしろいことです。
(6)『あのの』・『あのだ』・『なのな』・『あのご』
いずれも、“あのね”という意味で、人に呼びかけるときに使います。これも上と同じで、「の」、「だ」、「な」、「ご」とそれぞれ地域によって語尾が変わります。
(7)『そやきん』・『そやけん』・『ほんだきん』・『ほんだけん』
いずれも、“それだから”、“そういうわけだから”という意味です。語尾が「きん」と「けん」の場合がありますが、「きん」は西讃岐、「けん」は東讃岐でしょう。
(8)『の-』
(5)、(6)のところで、「ほんでのー」と「あのの」は主に高松辺りで使われていると述べましたが、西讃でも使われています。ただし、西讃では「ほんでのー」・「あのの」は男言葉として使われているようです。西讃の女性が「ほんでのー」・「あのの」と言うことはあまりないようです。西讃の女性は「ほんでな」・「あのな」というように語尾に「な」を使っていると思います。
ところが高松辺りでは女性も「ほんでのー」・「あのの」を使うようです。筆者は西讃の出で、今から30年ほど前から高松で働いています。就職して汽車で高松に通勤し始めたとき、高松駅から乗ってきた女子高校生達が「ほんでのー」・「あのの」を連発しながら会話をしているのを聞きビックリした記憶があります。高松の職場でもおばさん達から「ほんでのー」・「あのの」と語りかけられ、当時若かった筆者はカルチャーショックを受けました。
ただし、高松でも今の若い女性から「ほんでのー」・「あのの」を聞くことはあまりありません。高松生まれで高松育ちの高校生の末娘に聞いてみても、友達どうしで「ほんでのー」・「あのの」を使うことは無いといいます。
高松では女性の「ほんでのー」・「あのの」言葉はすでに死語になってしまったのでしょうか?それとも、筆者が女性からその言葉を聞いても何の違和感も感じなくなったのでしょうか?
(9)『ごくとれ』
これは“怠け者”とか“道楽者”という意味で、飯を食うだけで何もせずぶらぶらしている者を指す“ごくつぶし”とほぼ同じで意味でしょう。
この言葉は人をののしたり、軽蔑するときに使われます。しかし、筆者はこの言葉を聞くと、ある同級生のことを思い浮かべ、つい笑ってしまいます。
筆者が中学校に入学したとき、「ごくとれ」というあだ名の同級生がいました。その同級生は筆者とは別の小学校から来ていたのですが、同じ小学校にから来た別の同級生から「ごくとれ」と呼ばれていました。小学校時代から「ごくとれ」と呼ばれていたのでしょう。なぜそのようなあな名がついたかはわかりません。
そのあだ名を聞いたとき、筆者は少し驚きましたが、その同級生はあだ名で呼ばれても別に怒りもせず、悲しそうもせず、平気な顔をしていました。
そのうち筆者もその同級生と仲良くなり、「おい、ごくとれよ」と呼ぶようになりました。もちろん、その同級生も筆者のことをあだ名で呼んでいました。
(10)『けっこい』
これは“きれい”とか“美しい”という意味です。例えば、“けっこい人”とか“あすこの娘さんはけっこい”というように使われます。おそらく、美しい女性を指していうときに用いられ、景色が“けっこい”とはいわないのではないかと思います。
この言葉は西讃辺りの方言ではないかと思います。高松辺りではあまり聞いたことがありません。
語源はよく分かりませんが、“けっこうだ”からきているのでしょうか?
(11)『たすい』・『またい』・『うすげな』
人が“頼りない”、“とろい”、“間が抜けている”、“弱い”、“もろい”などという場合に使われる言葉です。反対は“しっかりしている”ということでしょう。“たすい奴ちゃ”、“またい奴ちゃ”、“うすげな奴ちゃ”など、人を非難的に言うときに使われるでしょう。
「うすげな」というのは高松辺りで使われる言葉でしょうか。かつて筆者も先輩から“うすげに言うなよ”とよく叱られました。
(12)『へらこい』
“こすい”、“ずるい”などという意味です。この言葉も“へらこい奴ちゃ”など、人を非難的に言うときに使われます。
これに似たようなもので、筆者は「すことい」という言葉を高松で聞いたことがあります。かつて先輩が“すことい奴ちゃ”とよく言っていました。“抜け目がない”、“計算高い”、“ちゃっかりしている”という意味でしょう。これは高松辺りの方言でしょうか?あまり他の人から聞いたことはありませんが、筆者はよく憶えています。なぜなら、そう言われていたのは筆者でしたから。
(13)『何しょんな』・『何がでっきょんな』
いずれも、“どのようにしていますか”とか“ご機嫌はどうですか”という意味の挨拶言葉です。標準語で直訳すると“何をしていますか”という意味ですが、別に本当に何をしているかを聞いているわけではありません。
どちらかというと、西讃では「何しょんな」を使い、東讃では「何がでっきょんな」を使う場合が多いのではないでしょうか。西讃の生まれ育ちの筆者は、「何がでっきょんな」と言われると、つい本当に自分が今していることを説明しなければいけない気持ちになってしまいます。
(14)『うれしげにするな』
「うれしげ」を標準語で言うと、“嬉しそうな”すなわち“心がはれやかで楽しそうだ”という意味になります。したがって、「うれしげにするな」を標準語で直訳すると、“楽しそうにするな”という意味になります。
ところが、讃岐の「うれしげにするな」という言葉は、少し標準語とはニュアンスが異なっているようです。讃岐では得意そうになっている人や目立った振る舞いをしている人をやっかんで言うときに、「あいつ、うれしげにしやがって」とか「おまえ、うれしげにすな」というような言い方をします。省略形で「うれげにすな」とも言います。
いい成績をとったり、先生や上司からほめられると、誰でも心がはれやかで楽しい気持ちになります。しかし、それが顔の表情や態度に出ると、「うれしげにしやがって」といわれることがあるということです。
讃岐人の欠点の一つとして、人の足を引っ張るということがよく言われています。「うれしげにするな」という言葉には、ねたみ強い讃岐人の県民性が出ているのかもしれません。
(15)『りこげにするな』
「りこげにすな」、「りこげにしやがって」、「りこげに言うな」と、この言葉は人に対して否定的に言う場合に使います。
「りこげ」を書き言葉にすると“利口げ”となり、その標準語的な意味は“利口そうだ”とか“賢そうだ”ということになります。したがって、「りこげにするな」をそのまま標準語的に直訳すると“利口そうにするな”、“利口ぶるな”とか“賢そうにするな”、“賢ぶるな”という意味になります。最近の言葉でいうと、“ええかっこするな”、“ええかっこ言うな”というぐらいの意味でしょう。
この言葉は人の話の腰を折るときによく使われます。ある人が真面目に正論を言っている途中で、他の人が「なかなか、りこげに言うの-」と一言入れると、それで話は中断してしまいます。一種の殺し文句でしょうか。
讃岐人はぶりっ子が嫌いなのでしょうか。真面目に見える人は生意気そうに見えるのでしょうか。この言葉にも讃岐人の悪いところが出ているような気がします。また、この言葉はいじめに使われてきているように思います。あまり使われたくない言葉です。
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