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(76)“空海の叔父が創建したわが国最古の三間社流れ造り神社”

 7世紀半ばの大化の改新の頃から14世紀始めの建武の新政の頃まで、讃岐国の国司庁は現在の坂出市府中町の綾川がほぼ90°で蛇行する地域の西側にありました。ここから北に行くと、白峯山の西山麓の谷に神谷川という清流が流れています。そのうっそうとした木立の中に神谷神社(かみたに)という古い神社があります。
 太古、神々がこの谷に集い遊んだところからこの地を神谷というそうです。この附近からは弥生時代の石鍬・石斧・土器などが出土し、また本殿裏には影向石(ようこうせき)と呼ばれる巨石があり、神社創建以前から盤座(いわくら)信仰があったことを物語っています。
 この神社は、平安時代初期の弘仁3年(812)、阿刀大足(あとのおおたり)が社殿を創建し、併せて春日四神を相殿に勧請し祀ったといわれています。祭神は、火結命(ほむすびのみこと)、奥津彦命(おくつひこのみこと)、奥津姫命(おくつひめのみこと)です。阿刀大足は空海の母方の叔父で、桓武天皇の皇子伊予親王の儒学の侍講(講師)を務めるほどの大学者でした。少年時代の空海の優秀さをみて都へ連れて行き、大学に入学させるために儒学を教えた人物です。

 神谷神社の現在の社殿は鎌倉時代初期の建保7年(1219)に再建されたもので、現存する三間社流れ造りの神社建築としては日本最古のものです。昭和30年には国宝に指定されています。この社殿が再建された建保7年(1219)の2月13日(正月27日酉の刻)には、源実朝が鶴岡八幡宮の参拝を終えて降りて来たところを公暁(くぎょう)に暗殺されています。
 本殿は、高さ1.5メートルあまりの乱積(らんづみ)の基壇の上に建っており、正面6メートル余り・奥行4.7メートルの大きさです。その建築様式は、社殿正面の柱間が3つある「三間社(さんげんしゃ)」となっており、また前面の屋根が後方の屋根に比して長く流れて向拝となっている「流れ造り」です。屋根は「桧皮葺(ひわだぶき)」となっています。反りが豊かに流れる屋根、簡素な舟肘木や和様三ツ斗正面の板扉、角材の階段など鎌倉建築の様式をよく表し、乱石積の基壇とよく調和して荘厳かつ優美な姿を今に伝えています。

 神谷神社は、三ヶ庄(松山・林田)の総氏神として、五社大明神・青龍社とも呼ばれ、古来より郷人から崇められてきましたが、歴史の舞台にも顔を出しています。
 南北朝時代の貞治元年(1362)、南朝方の細川清氏は、現在の坂出市林田の地にある白峯雄山の高屋に城を構えて北朝方の細川頼之と対峙しました。その場所は神谷神社から少し北のところでした。このとき清氏は神号扁額を神谷神社に奉納しています。清氏と頼之はその林田の地で戦い(白峯合戦)、清氏は討ち死をしています。(なお、この物語について、36話「乃木希典大将の先祖が討死した南北朝の合戦」を参考にしてください。)
 室町時代中期の明応5年(1496)には、讃岐守護細川氏の家臣である香西元資が勧進して、安富氏ら讃岐在住の武士らが参加した神谷神社法楽連歌会が催され、神前で興行された連歌が奉納されています。

 白峯合戦のあった地から少し北のところに讃岐国の総社神社があります。総社は国司が毎年奉幣するため国内にある神社の神々を一堂に集めて祀った神社です。この神社の社殿は南北朝時代の嘉慶年間(1387~89)に兵火で焼失し、細川頼之により再建されましたが、戦国時代の天正年間(1573~92)に再び兵火で焼失し、江戸時代初期の慶長2年(1597)に新社殿が建立されたといわれています。この総社神社の歴史と比べても、神谷神社の社殿が約800年間存続していることは驚くべきことです。
●訪れてみたいところ

神谷神社
 国宝の社殿は奥にあります。社殿の他にも重要文化財に指定されている木造随身立像2体、阿形(あぎょう)像・吽形(うんぎょう)像や舞楽面などの貴重な文化財も多く収蔵されています。また祭神の三体のうち奥津姫の石の座像は10世紀のものとされ、わが国最古の座像で大変貴重なものです。
神谷神社

 神谷神社の大元ともいわれている「影向石(ようこうせき)」(磐境(いわさか))です。神谷川の淵から忽然と自然居士(じねんこじ)という徳の高い人が現れ、この大石に天地の神様をお祀りしたと伝えられています。
神谷神社影向石

○細川将軍戦跡碑
 坂出市林田のさぬき浜街道と産業道路の交差点から産業道路を少し南に行くと、左手の田んぼの中に「細川将軍戦跡碑」という史跡が残っています。ここが白峯合戦の古戦場です。この碑は江戸時代に中山城山の筆になるものです。このあたりの所は、「三十六さん」と呼ばれ、清氏とその従士36人が、頼之の軍と奮戦苦闘、遂に力つきて、主従共に壮烈な戦死を遂げかばねを埋めたと伝えられています。

○総社神社
 平安時代初期の延長4年(926)の創建といわれます。

○讃岐の式内社
 神谷神社は延喜式讃岐24社の一つです。延喜式(えんぎしき)とは、平安時代中期に編纂された格式(律令の施行細則)で、三代格式の一つです。延喜式の神名帖に記載された神社は一般に式内社といわれ、当時朝廷から重要視された神社であることを示しています。延喜式讃岐24社は次のとおりです。
 讃岐では、一宮は田村神社、二宮は大水上神社、三宮は由良大明神、四宮は櫛梨神社、五宮は大麻神社といわれています。ただし、由良神社は戦国期に後退し、三宮の地位から外れていき、水主神社を三宮とする説もあるそうです。
 水主(みづし)神社〔東かがわ市大内町〕
 志太張(したはる)神社〔さぬき市志度町〕
 布勢(ふせ)神社〔さぬき市寒川町〕
 神前(こうざき)神社〔さぬき市寒川町〕
 多和神社〔さぬき市津田町〕
 大蓑彦神社〔さぬき市寒川町〕
 和爾賀波(わにかわ)神社〔三木町〕
 田村神社〔高松市〕
 鴨神社〔坂出市〕
 神谷神社〔坂出市〕
 城山神社〔坂出市〕
 飯(いい)神社〔丸亀市〕
 宇閇(うへ)神社〔丸亀市綾歌町〕
 櫛梨神社〔琴平町〕
 神野神社〔まんのう町〕
 大麻神社〔善通寺市〕
 雲気(くもけ)神社〔善通寺市〕
 大水上(おおみなかみ)神社〔三豊市高瀬町〕
 高屋神社〔観音寺市〕
 山田神社〔観音寺市〕
 加麻良(かまら)神社〔観音寺市〕
 於(うへ)神社〔観音寺市〕
 粟井神社〔観音寺市〕
 黒島神社〔観音寺市〕

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