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(68)“紫の雲が出る山があり浦島太郎伝説が残る半島”

荘内半島(三豊市詫間町)


 香川県の西部に備讃瀬戸と燧灘(ひうちなだ)を画するように半島が北西に向かって突き出ています。この半島を荘内半島といいます。荘内半島の先の部分はかつて「浦島」という島だったところで、陸繋島が発達して現在のような半島となったものです。半島の中ほどにある船越と大浜を結ぶ辺りはかつて海だったところで、船越という地名は島であったときの運河状態の海に船が通っていた名残だといわれています。
 「浦島」は、大浜・積(つむ)・生里(なまり)・箱(はこ)・香田(こうだ)の5つの浦と、粟島(あわしま)・志々島(ししじま)の2つの島をいいます。この中でも半島の先端にあたる箱の三崎は、昔から瀬戸内海航行上の重要な地点でした。このためここには、三崎大明神と呼ばれる神社が祀られ、航路の安全や管理を司る陣屋が置かれていました。そして、ここの関の浦という入り江は、鎌倉・室町時代、沖を航行する船舶から通行税を徴収していたところで、山口の上関、中関、下関と並んで、四大関所と呼ばれていたそうです。
 室町時代の初めの康応元年(1389年)3月、三代将軍足利義満は、山陽道の武将らに将軍の威厳を示すとともに九州の南朝勢力を牽制し、また讃岐の宇多津にいた細川頼之に対面するため、宮島厳島神社へ参詣します。その途上、三崎神社に参拝し、次の歌を詠っています。
       へだてゆく 八重の汐路の浦島や 箱の三崎の名こそしるけれ

 このように、今の荘内半島とその近くの島からなる浦島は古い歴史を持っています。また、ここには浦島太郎伝説が残っています。そのストリーは次のようなものです。
 昔、浦島の三崎というところに住む漁師の与作とその女房の“おしも”との間に男の子が生まれ、太郎と名づけられました(あるいは大兵衛ともいわれています。)。その地は、太郎が生まれた地であることから、その後、生里(なまり)と呼ばれました。与作は仁尾の家ノ浦という所の出で、浦島の三崎に来て住んだ家を新屋(しんや)といいました。“おしも”は小浜(今の仁老浜)の出で、界隈きっての美人といわれた人でした。太郎はその母に似て美しい上に気立てもやさしい男でした。
 17、8歳の頃、太郎は猟師となって、浦島の各浦々岬々で釣をしていました。ある日、父の生家、家ノ浦へ行った帰り道、鴨ノ越(かものこし)という浜辺で、亀が子供らからいじめられている場面に出会いました。亀をかわいそうに思った太郎は、子供らから亀を買い受け、キビで造った酒を飲ませてやって海に放してやりました。鴨ノ越の海岸の向こう岸に丸山島という小さな島がありますが、そこには今も浦島神社が祀られています。
 5月の朗らかなある日、太郎はいつものように浦崎のどん亀石という岩の上で釣をしていました。夕方の薄暮れになり、帰り支度をしていると、静かにかすむ海の彼方から大亀が突然現れました。そして、亀は忽然として美女に姿を変え、過去の恩を感謝しそのお礼に竜宮へ案内することを告げました。どん亀石は、今も箱浦にあります。

 太郎は亀に連れられて海に出ました。そして、自分の歳を忘れて島々を渡り暮らしました。しかし、やがて遊び疲れた太郎は、古里に帰ることにしました。七つの宝物を亀に積んだ太郎は、乙姫に送られ、浦島のある浜に帰り着きました。その時、姫の腕の金輪がそこに落ちてしまいました。乙姫は太郎を送りとどけた後、潮の変わり目を待つため一時粟島に立ち寄り、その後竜宮へ帰ったそうです。太郎が帰り着いた浜は、宝物を積んで着いたことから積浦と呼ばれ、金輪が落ちた地は金輪の鼻と呼ばれました。また、姫が立ち寄った粟島の地は姫路と呼ばれました。
 古里に帰った太郎ですが、両親はすでに亡くなっており、村の様子も人々もみんな変わってしまっていて、知る人は誰一人いませんでした。まだ若い身のままの太郎は、毎日元気に釣りをして一人で暮らしていました。箱から、太郎が釣糸を持って毎日通っていたところは糸之越(いとのこし)と呼ばれ、若さを失わず毎日釣りをしていたところは不老の浜(ぶろま)と呼ばれました。糸之越には太郎が休んだという腰掛石があります。不老の浜は今の室浜というところです。
 太郎が帰ってから3年目のある日、粟島の海岸に亀の死骸がうち寄せられたと聞き、行ってみると、自分を乗せた亀でした。悲嘆にくれた太郎は、その死骸を粟島に葬りました。そこが今の亀戎社(かめえびす)です。そして分骨を自分が住んでいたところに祀りました。
 乙姫との再開の絆も切れたので、太郎は玉手箱を開けました。すると、箱の中から白煙が立ち上がり、太郎は白髪の老翁となってしまいました。そして白煙は、紫の雲となって山にたなびいて行きました。それから玉手箱を開けた地を箱浦、白煙がたなびいていった山を紫雲出山と呼ぶようになりました。この山は荘内半島で最も高い山で、標高352.3メートルです。

 その後、太郎は、母の里で老を養い、幾年かの後、父母の墓前に来て永眠してその霊は紫雲出山の中腹から昇天しました。太郎が余生を送った地は、仁義深い老人の浜という意味から仁老浜(にろはま)と呼ばれ、太郎が昇天した地は上天(じょうてん)(昇天)と呼ばれています。
 箱には、太郎親子の墓といわれる五輪の塔3基があり、その近くには弘化4年に建てられたという「諸大龍王」と刻まれた墓碑があります。また、亀の霊を祀る竜王社があります。竜王社では毎年、亀の命日とされる旧6月13日に、箱の各戸から薪木を持ち寄り、焚火を囲んで竜宮踊りをして亀の霊を慰めていたそうです。この踊りは箱の盆踊りとなり、8月14日の晩、その年に亡くなった人の盆灯籠を持ち寄ってその霊を慰める新霊踊り(あられ踊り)となって今に残っています。


 なお、この物語の細川頼之についは、37話「室町将軍足利義満の宰相となった讃岐守護」を参考にしてください。

 なお、この物語の細川頼之についは、37話「室町将軍足利義満の宰相となった讃岐守護」を参考にしてください。




●訪れてみたいところ
 大浜の船越八幡神社を出発し荘内半島を北に時計回りで巡ったコースで説明します。
(大浜)
 船越八幡神社  荘内浦島郵便局  荒魂神社  鴨ノ越・丸山島・浦島神社
紫雲出山
 竜王社  上天(昇天)  紫雲出山遺跡
(生里)
 三宝神社  仁老浜
(三崎)
 三崎神社  関の浦  三崎灯台  御幸石(おこのいし)  どんどろ石
(不老の浜(ふろま) (室浜(むろのはま)))
(糸之越(いとのこし) )
(箱)
 どん亀石  太郎親子の墓・諸大龍王の墓碑・竜王社
(積・金輪の鼻)
(粟島)
 亀戎社(かめえびす) 姫路 粟島神社  旧粟島海員学校校舎
(志々島)
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