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(66)“遠山の金さんと対立した妖怪が幽閉されていた丸亀”

 江戸時代末期の天保12年(1841)、12代将軍徳川家慶の信任を受けて老中に就任した水野忠邦(みずのただくに)は、綱紀粛正や経済改革などを基本とした天保の改革を実施しました。その背景には一揆や打ちこわし、大塩平八郎の乱といった国内不安やアヘン戦争などの対外的不安がありました。この改革では、倹約令を施行して、風俗取締りを行い、芝居小屋の江戸郊外(浅草)への移転、寄席の閉鎖など、庶民の娯楽に制限を加えるとともに、人返し令を施行し、江戸に滞在していた農村出身者を強制的に帰郷させようとしました。そして、水野は、これを腹心の鳥居耀蔵(とりいようぞう)らに実行させます。
 
 鳥居耀蔵は、寛政8年(1796年)、幕府の昌平坂学問所の大学頭林述斉の次男として生まれ、旗本鳥居家の養嗣子となり、後に忠耀(ただてる)と名乗っています。学識が高かった反面、蘭学を嫌い、蛮社の獄では渡辺崋山ら洋学者を弾圧しました。天保12年(1841)に南町奉行となり、さらに勘定奉行も兼務してその権力は幕閣随一といわれました。
 
 天保の改革の下、耀蔵は目付や南町奉行として市中の取締りを行います。その市中取締りは非常に厳しく、かつ、おとり捜査を常套手段とするなど陰険極まりないものでした。このため、耀蔵は甲斐守だったところから、その名をもじって「耀甲斐(ようかい)」すなわち「妖怪」と恐れられたといいます。鳥居は悪知恵にたけていて、自分が好まない者を罪に落し入れ、深く憎まれていたそうです。
 
 この鳥居耀蔵とライバル関係にあったのが、遠山金四郎こと遠山景元(かげもと)です。腕に桜吹雪の入れ墨をした「遠山の金さん」として浪曲・講談・ドラマのモデルなった人物です。北町奉行だった遠山は、江戸市中の改革をめぐって鳥居と意見が対立します。天保の改革を厳格に実行しようとした鳥居に対して、遠山はそれを緩和して庶民の暮らしを守ろうとしました。例えば鳥居がある時、風紀上よくないとして江戸中の舞台小屋を全て廃止しようとした時、遠山は数軒を残せるように交渉し、江戸の人々に喝采されました。
 
 何かと対立していた二人ですが、天保14年(1843)、鳥居が非常に巧妙な策略で遠山を陥れ、北町奉行から閑職の大目付に転任させます。町奉行から大目付になるのは、形式上は昇進でしたが、事実上の左遷でした。
 
 しかし、水野忠邦が上知令(じょうちれい)の発布を計画し、これが諸大名、旗本の猛反発を買った際、鳥居耀蔵が反対派に寝返ります。上知令は、江戸や大阪の周辺の大名・旗本の領地を幕府の直轄地とし、その替わりに他の幕府直轄地を与えるというものでした。このため水野は老中辞任に追い込まれて改革は約3年間で頓挫してしまいます。ところがそれから間もなく、水野が再び老中として幕政を委ねられると、今度は状況が一変し、鳥居は弘化元年(1844)に失脚します。
 
 水野は自分を裏切り、改革を挫折させた鳥居耀蔵を許さず、職務怠慢・不正を理由に奉行を解任し、身柄を丸亀藩お預けとします。一方の遠山は、南町奉行に復帰し、嘉永5年(1852)まで、再び南町奉行として活躍しました。大目付から南町奉行へという公式には降格になるこの人事は異例中の異例ともいえるものでした。
 
 厳重な警固のもと、鳥居は江戸から丸亀に護送されます。丸亀藩は六番丁の御用屋敷に鳥居耀蔵を幽閉し、その周囲には青竹の矢来を張りめぐらしたといいます。しかし、幕府からの大事な預かり人だったので、自殺することを防ぐため5、6人の家臣が昼夜交替で監視するほか、召使いの女や医師も置くなど、その生活ぶりには気を使っていたといわれています。
 
 鳥居耀蔵は林家の出身らしく学識が豊で、丸亀藩の藩士を相手に学問についてよく語ったといわれています。また藩士たちもわからないことがあれば鳥居様に尋ねるとよいといって尊敬していたともいいわれています。
 
 罪が許され幽閉が解かれるのは明治維新になってからです。鳥居耀蔵の丸亀での幽閉生活はじつに23年にも及びました。明治元年(1868)、鳥居は許されて、郷里駿府(静岡)へ帰り、明治7年(1874年)10月に亡くなりました。

丸亀城

○訪れてみたいところ
丸亀高校正門付近
 鳥居耀蔵が居た丸亀城郭内の六番丁にあった屋敷の大きさは約332坪(約1100平方メートル)で、その中の8畳の座敷牢に幽閉されていたそうです。
 なお、丸亀藩に幽閉されていた鳥居耀蔵をモデルに、宮部みゆきが「孤宿の人」という小説を書いています。
 丸亀城
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直島スタンダード展Ⅱ

 この物語とは関係無いのですが、今日、直島へ行ってきました。今日から直島スタンダード展Ⅱが始まります。
 廃屋になっていた民家を改装し、それにちょっとしたアクセントを加えることにより全体がアートになっているような気がしました。
 今後、直島についても書いてみたいと思います。

いつの世も権力者が、自分の言い様にに事実を捻じ曲げるのかも?
鳥居さんは、いい人であって欲しいと思います。
UDONといい、最近丸亀が元気みたいですね。
高松もあやからねば・・・・・
いつもながら知らない讃岐の歴史に触れることが出来てとても楽しみです。

宮部みゆきさんの「孤宿の人」読んでみます(^^;

宮部みゆき「孤宿の人」

 宮部みゆきさんが書いた小説「孤宿の人(こしゅくのひと)」を紹介します。
 この作品は、史実を基にした歴史時代小説ではなく、歴史フィクションです。小説の舞台はすべて架空の讃岐国丸海藩(まるみはん)です。小説での丸海藩の設定は、3万石で、藩主は畠山氏となっております。金比羅詣りの船が着く城下町という設定で、丸亀藩をモデルにしているということは明かです。しかし、その地理は北が瀬戸内海に面し入江の形が円のようになだらかになっており、東西と南を山に囲まれているという設定で、ちょっと実際の丸亀とは異なっています。
 物語は、丸海藩が幕府の命により船井加賀守の身を預かるというお役目を与えられたところから始まります。船井加賀守というのは幕府の勘定奉行まで勤めましたが、乱心により妻子、家臣を虐殺して罪人となった人物です。このため、江戸でも鬼と噂されている人です。
 丸海藩は、船井加賀守の身に何かあった場合には取りつぶしになるかもしれないということで、非常な緊張を強いられます。しかし、藩内は、以前から藩主畠山派と城代家老浅木派との隠然とした対立が続いており、浅木派は幕府とも裏で通じ加賀守の暗殺を企てようとします。さらに浅木派内部でも暗闘があります。
 このような中で、物語は、女岡っ引き宇佐と薄幸の少女ほうを軸に展開します。
 宇佐が恋する藩医井上啓一郎の妹琴江の毒殺死、宇佐が世話になっている嘉介親分一家の失踪、老人の不審死、と謎の事件が次々に発生し、宇佐は啓一郎の友人である同心の渡辺一馬と共に事件の謎に取り組みます。この謎解きの過程は、ミステリータッチです。
 小説に登場する船井加賀守のモデルは鳥居耀蔵(とりいようぞう)です。この物語では、船井加賀守は、世間からは鬼、怪物のように見られているが実は教養豊かで慈悲に富む孤高の武士であり、まことをみる目をもつ少女ほうが最後まで慕う人物として描かれています。
 読み通した印象は、建前と人情の板挟み、悲恋、サスペンス、スリラー、立ち回りもあり、テンポのある物語でした。

鳥居耀蔵は悪人か善人か?

 鳥居耀蔵さんはよくもまあ、丸亀で23年間も幽閉生活にたえられましたね。
 彼は悪人だったのでしょうか、それとも頑固な善人だったのでしょうか?
 

Hello!

 ぼちぼち讃岐のうんちくを書いていますが、ご感想を投稿していただければ幸いです。
 文字情報だけでなく、写真情報も入れたいのですが、なかなか時間がとれず、かないません。
 勝手なお願いですが、もし、読者の皆さんで、このブログ記事をお読みになって、「訪れてみたいところ」に行かれ、写真を撮られたら、それもご投稿いただければ幸いです。
 
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