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(64)“杉田玄白らの「解体新書」刊行より早く人体解剖図を著した讃岐人”

 明和8年(1771年)3月4日、蘭方医の杉田玄白前野良沢、中川淳庵らは、江戸小塚原の刑場(東京都荒川区南千住)で罪人の腑分け(解剖)を見学しました。このとき、所持していたオランダ語で書かれた解剖学書「ターヘル・アナトミア」と、実際の解剖と見比べて、その図の正確さに驚嘆し、翌日の3月5日から翻訳を開始しました。

 しかし、玄白と淳庵はオランダ語が読めず、オランダ語の知識のある良沢も翻訳を行うには十分な語彙がなく、また、通訳もおらず、辞書もありませんでした。このため当初は、暗号解読ともいえるような方法により翻訳作業を進めました。

 杉田玄白が「蘭学事始」の中で『解体新書』翻訳作業のことを回想して書き残していますが、そのエピソードのひとつに、「鼻の所に『フルヘッヘンド』という語があったが意味がわからず、しばらく考えて『堆い(うずたかい)』のことだと判明した」というものがあります。

 この翻訳作業の成果は、安永3年(1774年)、「解体新書」として刊行されました。本文4巻、付図1巻、内容は漢文で書かれていました。この刊行により我が国の医学が発展したことはもちろんですが、鎖国下の日本において西洋の文物を理解する下地ができたことは重要であるといわれています。解体新書の中で初めて用いられた「神経」、「軟骨」、「動脈」などの翻訳語は、今日でも使われています。

 この解体新書が出るよりも早く人体解剖図を著した讃岐人がいました。和田浜(現観音寺市豊浜町)出身の合田求吾という医師です。

 求吾は、京都や江戸で、漢方の中でも特に経験や実証に基づく治療を重んじる古医方の就業をしたうえで、宝暦12年、39歳のときに長崎に遊学し、オランダ通詞の吉雄耕牛(よしおこうぎゅう)・蘆風(ろふう)兄弟の門弟となり最新の西洋医学を学びました。そして、蘭書の訳読を記録して、全五巻からなる「紅毛医述」と題する本を著します。この巻三には人体の精密な図をはさみ、内臓、脈官などについての記述がありました。これは解体新書の出る12年も前に人体解剖図を紹介したものでした。しかし、刊行されなかったため広く知られることはありませんでした。

 その弟、合田大介は兄より先に長崎に行き、吉雄耕牛・蘆風に学んでいます。蘆風に、最新の西洋医学書を伝授するのは大介しかいないとまで言わしめ、「紅毛医術聞書」などをともに著しています。これはカンケル(悪性腫瘍)について記した、我が国初めての書物でした。なお耕牛には源内や玄白も師事しています。

 求吾も大介も、豊浜の片田舎で町医者として生涯を過ごしましたが、その医学知識は当時におけるわが国の最先端を行っていたということができるでしょう。


●訪れてみたいところ

○坂出市の鎌田共済会郷土博物館
 ここには「紅毛医言」の写本が保管されています。

合田兄弟の墓・浜合田家

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