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(1)“中臣鎌足の息子と孫の物語が残る志度”

 志度の海女 玉藻 と面向不背の玉
 中臣鎌足
(なかとみのかまたり)は、645年、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)とともに飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)にて、当時政権を握っていた蘇我入鹿(そがのいるか)を暗殺し、大化の改新を進めたことで有名です。後に中大兄皇子は天智天皇(てんちてんのう)となり、鎌足は「藤原」の姓を賜り藤原氏の祖となりました。この鎌足の息子が藤原不比等(ふひと)です。

 不比等は鎌足の後継者として大宝律令(たいほうりつりょう)を編纂して律令制度の確立に貢献するなど藤原氏の繁栄の基礎を固めた人物です。不比等には4人の息子がおり、南・北・式・京の藤原四家の祖となりました。このうち、次男の藤原房前(ふじわらふささき)は藤原北家の始祖となり、その嫡流は摂関家として公家の最高家格となりました。讃岐には不比等と房前にまつわる話が残っています。

 高松琴平電気鉄道の高松瓦町駅から志度線に乗ると、高松市牟礼町原に“房前(ふささき)”という名の無人駅があります。この辺りは志度線が志度湾に沿って急カーブで抜ける景勝地で、琴電撮影の名所ともなっています。またここは世阿弥(ぜあみ)の作といわれる能楽「海士(あま)」の舞台となっており、その物語は次のようなものです。

 房前は、ある時、亡き母をたずねて讃岐の国志度の浦を訪れ、そこで父・不比等と母である海女の物語を聞かされます。13年前、不比等は、竜宮に持ち去られた「面向不背の珠(めんこうふはいのたま)」という宝物を探し出すため、この地に来ました。そこでひとりの海女と出会い、男の子をもうけます。不比等は自分がこの地にきたわけを海女に打ち明け、珠を取り返してくれるように頼みます。
 
 海女は、深い愛情を注いでくれた不比等に感謝し、その珠を竜宮からとりもどせば、身分の低い自分のようなものが生んだ子でも藤原の跡継ぎにしてくれるように頼みます。そして海女は海に飛び込み水底深く潜っていきました。海女は竜宮へおもむき、自分の乳の下をかき切って体内に珠をかくし海上へたどり着きました。珠はみごとに不比等の手にとりもどされましたが、海女は傷がもとで亡くなってしまいました。不比等は海女を丁寧に葬り、約束どおり房前を正式な息子として都に連れて帰りました。この話をきいた房前は涙しながら母の菩提をとむらい、法華経の功徳で母は成仏しました。

 この話は、志度寺に伝わる「志度寺縁起」の中の「玉取り伝説」といわれる物語で、志度寺の境内の一隅には海女の墓という石塔があります。平安時代後期の歌謡集である「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」には、「四方(よも)の霊験所(れいげんしょ)」として、信濃の戸隠駿河の富士などとともに、「讃岐の志度道場」があげられており、志度の海は古くから異界へ通じる霊場とされていました。




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○訪ねてみたいところ


 四国霊場第八十六番札所・志度寺 
 四国霊場86番札所。この寺の創建は古く、推古天皇の33年(625年)、几薗子尼(おおしのそのこあま)が近江国より漂流してきた霊木で十一面観音像を彫らせて一間四面の道場を建てて安置したのが始まりと伝えられています。
 天武天皇の頃、藤原不比等が五間四方の堂宇に拡張して死渡道場と名付け、その子房前が海女の追善のため伽藍を修造し、行基を開基として志度道場と改めました。
 この道場は御衣木(みそぎ)の縁起によって閻魔王の氏寺とされ、白杖童子、当願暮当、松竹童子縁起による平安時代の再興、また千歳童子、沙弥阿一の蘇生による鎌倉時代の修造が伝説として伝えられています。
 室町時代は細川氏に保護されて隆盛を極めましたが、火災にあい焼失してしまい、慶長9年(1604年)生駒親正の夫人教芳院が観音堂を再興し、寛文10年(1690年)松平頼重が本堂および閻魔堂、奪衣婆堂を建立しました。

志度寺の庭園
 志度寺には、讃岐の守護細川家が造営し、寄進した日本に三つしかないという曲水式庭園があります。これは、戦後、わが国造園の大家である重森三玲によって明らかにされました。そして、重森氏指導のもとに昭和37年に復元されました。面積は3,300平方メートルです。曲水式庭園はもともと中国からはいってきた造園方法で、池水は入江が多いのが特徴とされています。堀の上手から流す酒盃で、参集の詩人が、酒をいただくまでに詩か歌をつくるという一種の遊びに使われ、わが国でも、平安時代の貴族の間で盛んに行われました。池中の島は、志度寺縁起にちなんで竜蛇の形と真珠島とを模したものといわれています。
 曲水式庭園に続いて、無染庭があります。無染庭は海女の玉取りをテーマに七つの石を配し、淡海公と海女の物語を描いた枯山水であるといわれています。

真珠島
 志度寺から海岸に沿って東へ向かって車で五分くらい行くと、現在は陸続きになっていますが、真珠島があります。真珠島は、謡曲「海人」にも出てくる島で、「讃岐國志度道場縁起」には、「小嶋に下り海人を見るに手足なく頭身有るのみ。(略)泣きて処所の疵を見るに乳下に當り横に大疵有り。其の疵深く廣くして切目に彼の玉を押し籠む。(略)玉を得たるの処小嶋の故真珠嶋と号名す。」と記されています。

琴電房前 房前ノ鼻と志度湾の景観


付近の地図


http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=34%2F19%2F18.282&lon=134%2F10%2F28.783&layer=1&sc=4&mode=map&size=s&pointer=on&p=&CE.x=413&CE.y=228


豊浜ちょうさ舟だんじり豊浜ちょうさ

豊浜ちょうさ会館(観音寺市)の舟形だんじりにも、『志度の珠取り伝説』が金糸銀糸で描かれています。

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テーマ : 香川
ジャンル : 地域情報

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四方の霊験所

平安時代末期頃の1160年代に書かれたという「梁塵秘抄」には、「四方の霊験所は、伊豆の走井、信濃の戸隠、駿河の富士山、伯耆の大山、丹後の成相とか、土佐の室生と讃岐の志度の道場とこそ聞け」とあります。

質問

四方の霊験所。もう一つは、どこですか?教えてください。
讃岐の志度、信濃の戸隠、駿河の富士。・・・・

始めまして。
けっこう熱心な愛読者です。
とても面白く読ませていただいておりますが、
勝手なお願いが一つv-436
出来れば
赤文字の訪れてみたい所を
クリックしたら、地図で場所が分かったりするとかだと
非常に便利になると思うのですが・・・・・・・
、操作は難しいのでしょうか?
すいません、思いつきの提案です。

おめでとうございます

8/11 地域情報の部四国ランキング1位
         全国ランキング5位
         おめでとうございます!

真珠島も玉取り伝説の史跡なんですよね

さぬきの祭りは、東は獅子舞・西はちょうさ(太鼓台)で賑わいますが、玉取り伝説は、ちょうさの太鼓台にも描かれているらしですね。
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栗林公園・一宮・金毘羅に便利 !
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